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第1話:愛の呪いは黄金に輝く

 王立学院を卒業して間もない、春の柔らかな陽光が差し込む午後のことだった。

 エリュシオン王国の第二王子、アレン・ド・ルミナスは、自らの私室で冷や汗を流していた。


「――ねえ、アレン坊や。あんな小娘との婚約話なんて、忘れてしまいなさいな。貴方の教育係だった私なら、貴方が真に何を求めているか、その肌の震え一つで理解できるのですよ?」


 ソファーに深く腰掛け、優雅に扇子を揺らしているのは、第一王妃エリザベート。十歳年上の彼女は、義理の姉という立場でありながら、その瞳には肉親の情など微塵も感じさせない。紫のウェーブヘアが、獲物を狙う蜘蛛の糸のようにアレンの視界を覆う。


「そ、そんな、エリザベート義姉様。僕はもう大人ですし、公務もありますから……」

「大人? ふふ、いいえ。貴方は私の腕の中で、一生守られるべき雛鳥ですわ。そう、鳥籠の外へ出る必要なんて、これっぽっちもないの」


 彼女の背後に、どろりとした紫色の魔力が渦巻く。それは支配と執着の象徴。

 だが、その支配を撥ねのけるように、部屋の扉が乱暴に蹴破られた。


「お兄様を汚い手で触らないで、おばさん!」


 現れたのは、隣国の王女シルフィ。アレンより五歳年下、わずか十三歳の少女だが、その身に纏う魔力はエリザベートに引けを取らない。銀のツインテールを振り乱し、真っ赤な瞳でエリザベートを睨みつける。


「シルフィ!? 君も、どうしてここに……」

「お兄様! シルフィと一緒に、私の国へ行きましょう? 窓も扉もない、とっても静かな地下のプレイルームを作らせたの。そこなら、二人きりでずーっと遊べるでしょ?」


 シルフィが差し出した手からも、真っ赤な魔力が溢れ出していた。それは純粋ゆえに残酷な、独占という名の呪い。


「アレンは私の人形よ。貴女のような餓鬼に、その髪の毛一本すら触れさせはしないわ」

「お兄様はシルフィの宝物なの! 邪魔するなら、おばさんも一緒に壊しちゃうよ!」


 空気が軋む。二人の強大な魔導師が放つプレッシャーの狭間で、アレンの意識は遠のきそうになっていた。

 次の瞬間、最悪の事態が起こる。


「「――今すぐ、私の(私の)ものになりなさい!!」」


 エリザベートが放った『紫鎖の拘束呪』と、シルフィが放った『赤鎖の独占呪』。

 二つの異なる「愛」の魔力が、逃げ場のないアレンの胸元で真っ向から衝突した。


 通常、異なる術式がぶつかれば霧散するか爆発する。しかし、この二人の魔力はアレンへの執着という共通のベクトルを持っていた。魔力は混ざり合い、渦を巻き、アレンの体を包み込んで収縮していく。


「あ、が……熱い、身体が……っ!」


 骨が軋む音が聞こえた。視界が急速に高くなっていく――いや、違う。周囲の家具が巨大化しているのだ。

 激しい閃光が部屋を埋め尽くし、光が収まった時。


 そこには、王子の服を脱ぎ捨てた一匹の「獣」がいた。

 黄金色の、絹のように柔らかな毛並み。太く短い手足。そして、愛嬌のあるレッサーパンダに似た、しかしどこか神々しい黄金のマスコット。


「……あら? アレン、坊や?」

「え……お兄様? ちっちゃくなっちゃった……」


 エリザベートとシルフィが呆然と立ち尽くす。

 アレン――今の黄金の獣は、本能的な恐怖を感じていた。二人の瞳に宿ったのは、戸惑いではなく、より深い「狂おしいほどの愛着」だったからだ。


「なんてこと……。こんなに小さくて、愛らしくて。これなら、本当に宝石箱に入れて枕元に置いておけるわ……!」

「お兄様、可愛い! 今の姿なら、シルフィのポケットの中にずっと隠しておけるね!」


 二人が同時に、獣となったアレンへ手を伸ばす。

 その指先が、今にも自分を掴み、永遠の閉塞へと閉じ込めようとしている。


(嫌だ。逃げなきゃ。このままじゃ、本当に『物』にされてしまう!)


 アレンは無我夢中で跳ねた。マスコットとなった体は、驚くほど軽かった。

 自分を掴もうとしたエリザベートの手を蹴り飛ばし、窓枠へと飛び移る。


「待ちなさい、アレン! 外は危険よ!」

「逃がさないよ、お兄様!」


 背後から二人の叫びと、追跡の魔弾が飛んでくる。

 アレンは窓から中庭へダイブした。小さな体にはあまりに高い場所だったが、黄金の毛が空気を掴み、パラシュートのようにふわりと着地を助ける。


 城内は騒然としていた。

「珍獣だ! 黄金の精霊獣が現れたぞ!」

「陛下からの命だ! 傷つけるな、生け捕りにしろ!」


 衛兵たちが網や籠を持って追いかけてくる。アレンは必死に駆けた。

 石畳を、植え込みを、排水溝の中を。


(僕は王子なんだ! アレンなんだよ! 誰も気づいてくれないのか!?)


 声を上げようとしても、口から出るのは「きゅう」という情けない鳴き声だけ。

 城門が閉ざされようとしている。その隙間を、泥にまみれながら通り抜ける。


 さらに走り続け、追っ手の声が遠のく頃。

 アレンは自分が、王国の法が及ばない禁忌の地、精霊大陸の深部――『黄昏の辺境』の入り口に立っていることに気づいた。


 深い霧が立ち込める森。そこは人喰いの魔獣や、野蛮なモンスターたちが闊歩する場所。

 だが、今の彼にとっては、あの愛の監獄(王城)よりはマシに思えた。


 しかし、不運は続く。

 茂みがガサリと揺れ、巨大な影が現れた。


 それは、下半身が蛇、上半身が人間の女性の姿をした種族――ラミアだった。

 彼女は空腹なのか、青白い顔で地面にへたり込んでいたが、黄金色に輝くアレンを見つけると、その瞳を怪しく光らせた。


「……あら。珍しい獲物ね。美味しそう……。それとも、街に持っていけばお金になるかしら?」


 ラミアの手が、アレンを捕らえようと伸びてくる。

 逃げようとしたアレンだったが、極限の疲労で足がもつれた。


(だめだ、捕まる――)


 その瞬間だった。

 アレンの首筋に、冷たい感触が走る。

 目に見えないはずの「呪いの鎖」が、アレンの激しい感情に呼応して、紫と赤の光を放ちながら実体化した。


「え……?」


 ラミアが目を見開く。

 アレンの意思とは無関係に、二本の鎖が鞭のようにしなり、ラミアの背後に潜んでいた別の影――彼女を狙っていた巨大な野犬ウルフを一撃で粉砕したのだ。


 ドォォォォン! という衝撃音と共に、大気が震える。

 鎖は再びアレンの首筋に巻き付き、静かに消えていった。


「助けて……くれたの?」


 ラミアの娘は、呆然とアレンを見つめていた。

 アレンもまた、己の内に宿る「重すぎる愛の力」の片鱗を目の当たりにし、小さく震えるしかなかった。


 これが、後に『辺境のもふもふ王』と呼ばれることになる王子の、波乱に満ちた旅の始まりであった。


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