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第18話:辺境の交易路と王都の暗雲

 エリュシオン王国の王都ルミナス。

 その華やかな外観とは裏腹に、王城の深奥は今、凍り付くような執着の冷気に支配されていた。


 第一王妃、エリザベートの私室。

 彼女は窓の外を見つめることもなく、テーブルに置かれた巨大な水晶玉に指を這わせていた。水晶の中には、黄金に輝く小さなマスコット――アレンの姿が映し出されている。


「……あら。あの子、また新しい雌を拾ったのね。銀色の狼……ふふ、節操がないのは困りものだわ。教育係だった私の教えが、少しだけ足りなかったかしら?」


 エリザベートの背後に、ドロリとした紫色の魔力が渦巻く。

 彼女の手元には、アレンが脱ぎ捨てた古い王子の礼服が置かれていた。彼女はその袖を愛おしそうに撫で、鼻を寄せて、もう残ってもいないはずのアレンの香りを求めている。


「……良いのよ、アレン坊や。その小さな足でどこまで逃げても、貴方の首を握っているのは私。……さあ、次の『贈り物』の準備をしましょうか。……今度は、貴方のその黄金の毛を、私以外の誰にも触れさせたくなくなるような……素敵な呪いを」


 エリザベートが微笑んだ瞬間、室内の花々が一斉に黒く枯れ果てた。


 一方、王城の別棟。

 隣国の王女シルフィは、部屋の床一面にアレンの等身大の絵を描き殴っていた。

 彼女が贈った『銀の首輪』。そこから伝わってくるアレンの鼓動と、周囲の女たちの「熱」を感じるたび、彼女の幼い顔は怒りと悦びに歪む。


「お兄様、お兄様、お兄様……! なんでそんなに、汚い女たちとくっついてるの? お兄様の隣は、シルフィだけの場所なのに。……いいもん。あの首輪が、もうすぐお兄様をこっちに引っ張ってきてくれるもんね。……お姉様に取られる前に、お兄様の足を一本、貰っちゃおうかな?」


 シルフィが手にした巨大な鎌が、月光を反射して赤く光る。

 二人の最凶ヒロインが、ついに「直接の迎え」へと動き出そうとしていた。


 ――その頃、黄金のログハウス。


 アレンは、ルナが提案した「交易路開拓」という名の、あまりにも無謀な計画に頭を抱えていた。

 領地の人口が増え、魔力野菜が余り始めた今、外部との交易は必須だ。だが、支配者が「黄金の毛玉」では、足元を見られるどころか、そのまま捕獲されかねない。


「だから言ったでしょう、アレン。私の魔法で、貴方の『人間姿の幻影』を作り出すのよ。……中身は貴方、見た目は麗しの王子様。……これなら交渉もスムーズだわ」


『……でもルナ、幻影って言っても、僕が動く通りに動くんだよね? 失敗したらバレちゃうよ』


「私がそんな初歩的なミスをすると思う? 貴方の魔力と私の術式をリンクさせるの。……さあ、じっとしていて」


 ルナが杖を振るうと、アレンの小さな体から黄金の光が溢れ出し、それが霧のように凝縮して、一人の青年の姿を形作った。

 

 そこに現れたのは、かつてのアレンよりも数段凛々しく、王者の威厳を纏った「理想の王子」の姿だった。

 黄金の髪は日の光を浴びたように輝き、碧眼は深く澄み渡っている。


「……あ、あぁ……」

 背後で見ていたミーシャ、ピー、クゥ、アリア、スイ、そして新入りのフェリスが、一斉に吐息を漏らした。


「……アレン様。……その姿。……ああ、もう、幻影でも構いません。……私を、今すぐその腕で……」

 ミーシャが恍惚として幻影に手を伸ばすが、指先は虚空を通り抜ける。


「主殿! すっげぇ格好良いぜ! アタイ、あんたがそんなツラしてると、尻尾がちぎれるほど振っちまいそうだ!」

 フェリスが興奮して幻影の周りを駆け回る。


「……ダメよ! 触らないで! これはあくまで『商談用』なんだから!」

 ルナが顔を真っ赤にして叫ぶが、彼女自身も幻影のアレンに見惚れ、杖を持つ手が震えている。


「いい、アレン。……貴方の声も、この幻影から出るように調整したわ。……中立都市『アルカナ』の商人たちが来ているわよ。……王子の威厳を見せてやりなさい」


 ログハウスの応接間に、招かれた三人の商人が入ってきた。

 彼らは「辺境に現れた謎の領主」に懐疑的だったが、上座に座る「幻影のアレン」を見た瞬間、その圧倒的な美しさとプレッシャーに、椅子から転げ落ちんばかりに驚愕した。


「こ、これは失礼いたしました……。まさか、これほど気高き御方が辺境を治めておられるとは……」


『……遠路遥々、よく来てくれた。……我が領地の特産品、魔力野菜の取引について話をしたい』


 アレンがマスコットの姿で発した言葉が、幻影の王子の唇から、低く、気品に満ちた声となって響く。

 商人はもはや蛇に睨まれた蛙。アレンの論理的かつ誠実な交渉に、彼らは一切の異論を挟むことなく、最良の条件で契約を結ぶことを誓った。


 交渉は大成功だった。

 だが、問題は商人が帰った後に起きた。


「……ねえ、アレン。……商談は終わったけれど。……もう少しだけ、その姿でいてくれないかしら?」

 ルナが、上目遣いで幻影の王子を見つめる。


「そうですよぉ! アレン様、そのお姿でピーを抱っこしてください! 幻影でも、心は繋がってるんですから!」

「……主殿。……アタイ、あんたのその姿に……もう一度、騎士の誓いを立てたくなっちまった……」


 五人のモンスター娘たちが、アレン(本体)を無視して、実体のない「幻影のアレン」を囲み、跪き、祈りを捧げ始める。

 彼女たちの「愛」が、幻影に込められたアレンの魔力と共鳴し、奇妙な現象を引き起こした。


 ガチリ。


 アレンの首の鎖が、彼女たちの激しすぎる執着に反応したのだ。

 

『――っ、鎖が……逆流してくる!?』


 幻影に込められていた魔力が、鎖を通じてアレンの肉体へと強引に引き戻される。

 それと同時に、エリザベートとシルフィの「監視の魔力」が、この幻影を媒介にしてアレンの領地へ直接干渉を始めた。


 バチィィィィィィン!!


 ログハウスのリビングに、紫色の稲妻が走る。

 

「……見つけた。……アレン。……貴方、またそんな格好をして、女たちを誑かしているのね」


 幻影のアレンの背後に、エリザベートの「巨大な影」が浮かび上がった。

 

「お兄様、みーつけたぁ!! どこにも行かせないって言ったでしょ!?」


 シルフィの赤い糸が、幻影を突き抜けて、本体であるマスコットのアレンに巻き付く。

 

「きゃあああっ!? な、何よこれ! 私の術式が乗っ取られた!?」

 ルナが絶叫する。


 幻影の王子は、エリザベートの影に抱きしめられ、シルフィの糸に絡め取られ、無残に崩壊していった。

 後に残されたのは、首の鎖と銀の首輪が激しく発光し、過負荷で気絶した黄金の毛玉――アレンの姿だけだった。


「アレン様!!」

「主殿!!」


 ミーシャとフェリスが、慌ててアレンを抱き上げる。

 

 王都の二人は、まだここに来てはいない。

 だが、今の現象は、彼女たちがいつでもこの場所に「手を伸ばせる」ようになったことを示していた。

 

「……交易どころじゃないわ。……急いでアレンを地下の防魔室へ! ……あの二人、もうすぐそこまで来ているわ!」


 ルナの警告が響く中、アレン領の平和は終わりを告げようとしていた。

 

 王都では、エリザベートが静かに立ち上がり、旅の支度を整えていた。

「……さあ、行きましょうか、シルフィ。……泥棒猫たちの家を、綺麗にお掃除してあげなきゃね」


「うん、お姉様! ……お兄様の新しいお部屋、もう作ってあるもんね!」


 黄金の領土に向かって、二つの「最凶の愛」が、ついに王都を後にした。


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