第15話:もふもふ裁判
ヴィオラによる襲撃から一夜明けた、黄金のログハウス。
本来であれば、傷ついた体と心を癒やすための静かな朝が訪れるはずだった。だが、リビングに集まった面々の空気は、戦場よりも重く、刺々しいものとなっていた。
部屋の中央、ふかふかのクッションの上に座らされているのは、主役であるはずのアレン。
そして彼を囲むように、ルナ、ミーシャ、ピー、クゥ、アリア、スイ、さらには洗脳から解けたコボルトの代表までが、険しい顔で円陣を組んでいる。
『……あの、みんな? 僕は大丈夫だよ。怪我もルナの魔法ですぐに治ったし……』
「――いいえ、アレン。これは個人の怪我の問題ではないわ。組織としての『防衛体制』と、そして何より……貴方を危険に晒した『戦犯』を明確にするための聖戦よ」
ルナが眼鏡を指で押し上げ、冷徹な声で宣言した。彼女の手元には、昨夜の事件を分単位で記録した魔導書が開かれている。
「名付けて、第一回『もふもふ守護責任・追及裁判』。被告人は、洗脳を許した新住民たち、そして……警備担当でありながら不覚を取ったミーシャ、貴女よ」
「……異議あり。……洗脳された子たちはエリザベートの狡猾な罠に落ちただけ。……そして私は、アレン様を最後まで庇い、鱗を散らして戦ったわ。……責められるべきは、魔導士でありながら刺客の接近を予知できなかった、貴女じゃないかしら? 泥棒人間さん」
ミーシャが低い声で応戦し、リビングに火花が散る。
『わわ、喧嘩はやめて! 誰のせいでもないんだってば!』
「アレン様は黙っていてください!」
全員の声が重なり、アレンは「きゅう……」と鳴いて丸くなるしかなかった。
「……そもそも、アレン様の周囲が甘すぎるのが問題なのです。……もっと物理的に、私の糸で二十四時間、繭の中に閉じ込めておけば、あんな毒を盛られることもなかったのに」
アリアが指先から粘着性の高い糸を出し、アレンの足元をそっと絡めとる。
「ずるいぞアリア! それなら私の羽毛の中に埋めておくのが一番安全だもん! 空の上なら毒マカロンなんて届かないし!」
「食事の管理を任されている私の責任です……。これからは、私が毒見をしたもの以外、アレン様の口には一切入れさせません。たとえ水一杯でも、私の口移しで……」
クゥが頬を染めながら包丁を握りしめ、スイが「……いっしょに、とければ、あんぜん……」とアレンの尻尾を飲み込もうとする。
「ストップ!! 議論が逸れているわよ!」
ルナが机を叩いて制止した。
「いい? 結局、全員が『アレンへの愛が足りなかった』から、あんな隙を突かれたのよ。……だから、今日一日はお仕置きとして、アレンへの接近を制限……するわけにはいかないわね。逆よ。全員で、アレンを徹底的に『浄化』し、二度とあのような穢れを寄せ付けないように精神を叩き直すのよ!」
『えっ、浄化……?』
アレンの嫌な予感は、すぐに的中した。
裁判という名の責任転嫁合戦は、いつの間にか「誰が一番アレンを癒やし、自分たちの所有権を誇示するか」という競技会に変質していた。
第一の刑:ルナによる「魔力洗浄の儀」。
ルナはアレンを無理やり膝の上に乗せると、最高純度の魔力を込めたブラシを取り出した。
「アレン、じっとして。……あの紫色の魔力の残滓が、毛の奥底に一粒でも残っていたら大変だわ。……私の藍色の魔力で、細胞の一つ一つまで洗い流してあげる」
ゴシゴシと、皮が剥けるのではないかと思うほどの勢いでブラッシングされるアレン。ルナの魔力が注ぎ込まれるたび、アレンの体は心地よい刺激と共に、ルナへの依存心を強制的に高められていく。
「……ふふ、どう? 私の魔力が、貴方の体の中で踊っているでしょう? 気持ちいいって言いなさい、アレン」
『……あ、あぐ。……気持ちいいけど、力が強すぎるよ、ルナ……』
第二の刑:ミーシャによる「体温同調の儀」。
ルナからアレンを奪い取ったミーシャは、リビングの床に横たわり、アレンを自分の胸元に抱き込んで、巨大な尾で幾重にも巻き付けた。
「……ルナの魔法は、表面的すぎるわ。……アレン様、私の冷たい鱗で、昨日の恐怖を冷やしてあげます。……さあ、私の心臓の音を聞いて。……貴方様の脈拍と、一つになるまで……」
締め付けられるような抱擁。蛇体特有の、逃げ場のない拘束。アレンはミーシャの柔らかな肌と冷たい鱗の隙間で、もふもふの体を押し潰されながら、彼女の濃密な執着に当てられて意識が朦朧としてくる。
第三の刑:ピーとアリアによる「聖域装飾の儀」。
ピーがアレンの頭に自分の一番綺麗な羽根を刺し、アリアが魔力を通さない「防壁の絹糸」で、アレンの体をミイラのようにグルグル巻きにしていく。
「これで、外からの呪いは届かないもん!」
「……ええ。……私の糸の中にいれば、世界で一番安全なお人形の完成よ」
『……ぷはっ! 息が、息が苦しいよ!』
アレンが糸の隙間から鼻先を突き出すと、そこへクゥが特製の「精神安定スープ」を持ってきた。
「アレン様、これを。……私の愛情を極限まで煮詰めた、特濃スープです。これを飲めば、嫌な記憶も、他の女の感触も、全部消えてなくなりますよ」
スープというよりは、もはや黄金色をした「液体魔力の塊」だった。それを無理やり口に運ばれ、アレンの胃袋は物理的に彼女の愛で満たされていく。
裁判は、終わらない。
誰かがアレンを撫でれば、別の誰かが「私も!」と割り込み、アレンの黄金の毛は絶え間なく引っ張られ、撫でられ、湿り、乾かされる。
夕暮れ時。
ログハウスのテラスで、アレンは精根尽き果てた姿で転がっていた。
黄金の毛並みは、過剰なお手入れによって、もはや発光しているかのような不自然なまでの輝きを放っている。
(……救いがない。……敵が現れても、現れなくても、結局僕は『愛という名の暴力』に晒されているんだな……)
アレンがマスコットの短い手で、自分の顔を覆った時。
首の鎖が、一瞬だけ優しく、カチリと鳴った。
『……?』
それは、昨日の激戦でエリザベートの魔力を飲み込んだことによる変化だった。
鎖の色は、以前よりも深みのある紫を帯び、アレンの「意思」にある程度反応するようになっている。
アレンが念じると、鎖がふわりと浮き上がり、彼の体を包み込んでいたアリアの糸やピーの羽根を、パチパチと弾き飛ばした。
(……少しだけ、自分の意思で制御できるようになってる。……皮肉だね。エリザベート義姉様に支配されるほど、僕は僕を守る力を手に入れるなんて)
アレンは、テラスから見える沈みゆく夕日を見つめた。
広場では、洗脳から解けた娘たちが、アレンのために新しい家を建てようと必死に働いている。
リビングでは、ルナとミーシャたちが、明日の「お手入れスケジュール」を巡って、再び口論を始めている。
「……アレン、そこにいたのね」
ルナが、少しだけ落ち着いた顔で隣に座った。
彼女はアレンを抱き上げるのではなく、ただ、そっと隣に寄り添った。
「……ごめんなさい。……昨日は、怖かったわよね。……私がもっとしっかりしていれば、貴方をあんな目に遭わせずに済んだのに」
『……ルナ。君のせいじゃないよ。……僕がもっと強くならなきゃいけないんだ』
「……貴方は、十分に強いわよ。……マスコットの姿で、あんな無茶をして。……でもね、アレン。……あまり、あのお二人の魔力に頼らないで。……貴方が、本当に貴方じゃなくなってしまいそうで……怖いの」
ルナの瞳に、本物の涙が浮かぶ。
アレンは、黄金の肉球をそっとルナの手に重ねた。
『大丈夫。……僕は、僕だよ。……君や、ミーシャたちがいてくれる限り、僕は道を見失わない』
「……アレン。……貴方って、たまにずるいわよね。……そんなこと言われたら、私、もっと貴方を離したくなくなるじゃない」
ルナは、アレンを優しく引き寄せ、自分の胸に顔を埋めさせた。
ミーシャの時のような激しい拘束ではないが、逃げようとすれば絶対に許さないような、静かな、しかし確固たる独占の温もり。
日常という名の、緩やかな沈殿。
アレンの心は、王城の猛毒に抗いながらも、辺境の甘い執着の中に、ゆっくりと溶けていくのだった。




