第14話:王城からの刺客と「愛の毒」
黄金のログハウスに差し込む朝陽は、昨夜の『感覚共有』の熱を冷ますにはあまりに穏やかすぎた。
アレンは、ルナの膝の上でぐったりと横たわっていた。マスコットの黄金の毛並みは、昨夜の過剰なデレ攻勢によって少しだけ乱れ、どことなく艶っぽい香りを漂わせている。
『……ルナ、もうブラッシングはいいよ。皮膚がヒリヒリする……』
「だめよ。昨夜、あの大蛇女たちが貴方に付けた不潔な魔力の残滓を、一本残らず掻き出さなきゃいけないんだから。……いい? 貴方の毛並みを管理するのは、正妻である私の神聖な義務なのよ」
ルナの瞳は、寝不足も相まって少しだけ血走っていた。彼女の指先は、愛撫と執着の境界線を行き来するように、アレンの背中を執拗になぞり続けている。
その時、階下からコボルトの少女たちの浮き足立った声が響いてきた。
「アレン様! ルナ様! 領地の境界に、とっても素敵な贈り物が届いていました!」
広場に駆け降りると、そこには豪華な装飾が施された大きな木箱が置かれていた。中には、王都の最高級菓子店『エトワール』の紋章が入った色とりどりのマカロンや、蜜漬けの果実が山のように詰め込まれている。
「これ、王都でしか食べられないお菓子ですよね? 誰が送ってくれたんでしょう!」
新住民のコボルト娘たちは、目を輝かせて一つ、また一つと菓子を口に運んでいく。アレンは嫌な予感がして、念話で制止しようとした。
『待って、みんな! 出所不明のものを食べるのは――』
だが、遅かった。
菓子を飲み込んだコボルト娘たちの動きが、ピタリと止まった。
彼女たちの愛らしい茶色の瞳から光が消え、代わりに淀んだ「紫色」の光が宿り始める。
「……ああ。……冷たい。……甘い。……お妃様……」
彼女たちの口から漏れたのは、アレンが最も恐れる女性の名だった。
「なっ、何よこれ!? 呪い!? 解析、急がなきゃ――」
ルナが杖を構えた瞬間、洗脳されたコボルト娘たちが、獣のような咆哮を上げてアレンに飛びかかってきた。その動きは、普段の彼女たちからは想像もつかないほど鋭く、破壊的だ。
「アレン様を守れ!!」
ミーシャが尾を振り回してコボルトたちを叩き出すが、彼女たちの痛みを感じない猛攻に、ミーシャの鱗が削られていく。
「ふふふ……。無駄よ。それはエリザベート様が心血を注いで調合された『愛の隷属薬』。主君への忠誠心を、強制的にエリザベート様への執着へと書き換える『毒』なのだから」
紫の煙の中から、一人の女性が姿を現した。
紫の法衣に身を包み、仮面の下から不気味な笑みを浮かべる暗黒魔導士――ヴィオラ。
エリザベート直属の刺客であり、彼女の歪んだ魔力を最も濃く引き継いだ人形の一人だ。
「貴女、ヴィオラね……! 王城の地下に幽閉されていたはずの禁忌魔導士が、どうしてここに!」
「エリザベート様が、アレン様のために私を解放してくださったのよ。……さあ、アレン様。あのお方は、貴方が辺境で不潔な雌たちと戯れていることに、ひどく心を痛めておいでです。……今すぐ、その鎖の主の元へ帰りましょう?」
ヴィオラが指先を鳴らすと、洗脳されたモンスター娘たちが、苦しげに喉を鳴らしながらアレンを取り囲む。
「アレン……さま……。いたい……たすけて……。でも……連れて行かなきゃ……」
泣きながら爪を立てるコボルト娘たち。アレンは、彼女たちを傷つけることができなかった。自分を信じてこの領地に来てくれた仲間たちだ。
『やめるんだ! みんな、目を覚まして!』
「無駄よ、アレン様。彼女たちの魂は、今、エリザベート様の指先に繋がれている。……そして、貴方のその鎖もね!」
ヴィオラがアレンの首の鎖に向けて、どす黒い紫の雷を放った。
ガチリ、と鎖が激しく鳴動する。
鎖を通じて、エリザベートの「支配の意志」が直接アレンの脳を焼く。
『――アレン坊や。……私の言うことが聞けないのね? ……なら、その娘たちを貴方の手で殺させてあげる。……絶望して、泣き叫んで、私の元へ這ってきなさい……』
鎖が暴走を始める。アレンの意志とは無関係に、赤と紫の鎖が触手のように伸び、目の前の仲間たちを貫こうとする。
『……やめろ……。やめろぉぉぉッ!!』
アレンは叫んだ。
仲間を救うには、このヴィオラの魔導を上書きするしかない。
アレンは自ら、呪いの鎖の深層へと意識を沈めた。
(毒を消すには、もっと強い毒を。……エリザベート義姉様、貴女の魔力を……僕が全部、飲み込んでやる!)
アレンの黄金の毛が、一瞬で禍々しい紫色の雷光に包まれた。
『――呪鎖全開!!』
アレンを中心に、巨大な紫の魔方陣が展開される。
鎖から放たれたのは、ヴィオラの比ではない、本物のエリザベートの「重圧」だった。
ドォォォォォン!!
衝撃波が広場を駆け抜け、ヴィオラが操っていた洗脳の糸を、物理的に粉砕して回る。
「……なっ!? バカな、エリザベート様の魔力を、自分で制御して放ったというの!? マスコットの分際で……!」
ヴィオラがたじろぐ。
洗脳が解けた娘たちが、その場に倒れ伏す。
だが、代償はアレン自身に跳ね返った。
過剰な魔力を放出したことで、アレンの意識はエリザベートの「精神の深淵」に引きずり込まれそうになる。
『……ふふ。……いいわよ、アレン。……もっと私の力を使いなさい。……使えば使うほど、貴方は私に染まっていくのよ……』
アレンの碧眼が、一瞬だけ濁った紫色に染まる。
「アレン! しっかりして!!」
ルナが叫びながらアレンを抱きしめた。彼女の藍色の魔力が、アレンの暴走する精神を辛うじてこの世界に繋ぎ止める。
「……ちっ。……今回はここまでね。……でもアレン様、貴方の首にあるのは、もうただの鎖じゃない。……それは、お妃様の『指先』そのもの。……逃げられると思わないことね」
ヴィオラは不気味な言葉を残し、紫の霧と共に姿を消した。
静まり返った広場。
洗脳が解けたコボルト娘たちが、震えながら自分たちの手を見つめていた。
「アレン様……。ごめんなさい、私たち……貴方を、傷つけようと……」
彼女たちは泣き崩れた。
アレンは、ボロボロになった小さな体で、一人一人の元へ歩み寄り、その肉球で優しく頬に触れた。
『……いいんだ。……みんなが無事で、よかった。……僕のせいで、怖い思いをさせてごめんね』
その優しさが、逆に娘たちの胸を締め付ける。
「……許さない。……アレン様をこんなに苦しめる、王城の女たちなんて……絶対に許さない!!」
ミーシャが、血が出るほど拳を握りしめて叫んだ。
ピーもクゥも、そしてアリアも。彼女たちの瞳には、アレンへの深い愛と共に、王城に対する激しい「敵意」が明確に宿った。
アレンを守るための共同体は、今、王城という強大な敵に立ち向かうための「軍隊」へと変貌しつつあった。
ルナは、ぐったりと眠りについたアレンを抱き上げ、ログハウスへと戻る。
彼の首の鎖は、ヴィオラの干渉を受けて、以前よりもどす黒く、血管のように脈打っていた。
「……エリザベート様。……貴女は、アレンを救う気なんてない。……ただ、自分の所有物にしたいだけなのね。……なら、私も容赦しない。……アレンを救うために、私は魔導の禁忌を越えてみせるわ」
ルナの瞳に、悲壮な決意が宿る。
黄金の領土に、初めて流れた「争い」の血。
それは、愛という名の猛毒が、世界を侵食し始める合図だった。




