第五章 開院の日と、賑わう周囲
よろしくお願いします
離れの改装が完全に終わり、必要な道具と薬草がある程度揃ったところで、レオンは正式に「診療所」の看板を掲げることにした。
「ヴァンディア診療所、か。良い名だ」
辺境伯が、完成した木製の看板を眺めながら、感慨深そうに言った。当初は息子の突飛な行動に困惑していた彼も、村の疫病騒動や、冒険者ギルドとの提携の話を聞くにつれ、次第にレオンの活動を誇らしく思うようになっていた。
「父上、開院の日には、ぜひ来てください」
「無論だ。……レオン、お前は本当に、立派になった」
開院初日は、朝から長蛇の列ができた。冒険者ギルド経由で噂を聞いた冒険者たちだけでなく、慢性的な体の不調を抱えていた街の住人、教会の治癒魔法では対処しきれなかった持病持ちの老人まで、次々とヴァンディア診療所を訪れた。
「レオン様、この足の痛みが、もう何年も治らないんですが……」
「ちょっと診せてください」
《解剖眼》を発動しながら、レオンは一人一人、丁寧に診察していった。膝の軟骨がすり減っている老人には、関節に負担をかけない歩き方の指導と、痛みを和らげる湿布代わりの薬草を。慢性的な咳に悩む女性には、肺の状態を確認し、単なる風邪ではなく、慢性的な炎症であることを見抜いて、適切な吸入療法――蒸気を吸わせる方法を提案した。
「こんなに丁寧に診てもらったのは、初めてです」
「治癒魔法だと、その場しのぎにしかならなかったのに……」
感謝の声が、次々とレオンにかけられる。だが、その裏で、レオンの周囲は次第に、賑やかを通り越して、少々騒がしい状況に陥りつつあった。
「坊ちゃま、次の患者さんです」リゼッタが、てきぱきと受付業務をこなしながら言う。
「レオン、水を持ってきたぞ」フィリアーヌが、いつの間にか診療所の手伝いを買って出て、患者への水分補給を担当していた。
「レオン様、私も何かお手伝いできることは……」ダレンを助けてもらった女性弓使い――名をシエラというらしい――が、頻繁に診療所に顔を出しては、何くれとなくレオンに話しかけてくる。
「シエラ様、坊ちゃまは今、診察でお忙しいので」
「あら、リゼッタさん。あなたこそ、レオン様にべったりじゃない」
「私は、正式な使用人として、当然の職務を果たしているだけです」
「ふぅん?」
女性陣の間に漂う、なんとも言えない緊張感に、レオンは診察をしながらも、時折冷や汗をかいていた。
(気のせいだよな……? いや、絶対気のせいだ。うん)
三十年生きた記憶があっても、こういう機微には疎いのか、それとも、あえて気づかないふりをしているのか、レオン自身にもよく分からなかった。ただ一つ言えるのは、この十五歳の身体が、こうした状況に対して、いちいち過剰に反応してしまうということだった。
そんな中、診療所に運び込まれてきた急患が、その日一番の緊張をレオンにもたらすことになった。
「レオン様! 大変です、子どもが腹を押さえて苦しんでいて……!」
運ばれてきたのは、十歳ほどの男の子だった。顔面蒼白で、脂汗を浮かべ、腹部を押さえてうずくまっている。
「診せてくれ」
《解剖眼》を発動した瞬間、レオンの表情が険しくなった。
(これは……虫垂炎だ。しかも、既にかなり進行している。破裂寸前か、あるいは既に一部破裂している可能性がある)
前世で、数え切れないほど診てきた症例だった。放置すれば、腹膜炎を併発し、死に至る危険性がある緊急疾患だ。
「今すぐ手術室へ。フィリアーヌ、ロベルトを呼んできてくれ、いれば手伝ってほしい。リゼッタ、器具の準備を」
「はい!」
にわかに騒然とする診療所の空気の中、レオンは少年を手術室――と呼ぶにはまだ簡素な部屋――に運び込ませた。集まった野次馬たちが、固唾を呑んでその様子を見守っている。
「坊ちゃま、これは……お腹を、開けるのですか」
「そうだ。虫垂という部分が炎症を起こして、破裂しかけている。今すぐ取り除かないと、命に関わる」
集まった人々からどよめきが起こった。腹を開くという行為自体、この世界の常識では「死を意味する処置」と捉えられているのだろう。
「レオン様、本当に、大丈夫なのですか……」
シエラが、心配そうに声をかけてくる。だが、レオンの意識は既に、完全に医師のそれへと切り替わっていた。
「大丈夫だ。俺を信じてくれ」
その言葉に、集まった人々は、不安げながらも、静かに見守る姿勢に転じた。
酒での消毒、少年への声かけ、そして慎重な切開。前世の記憶が、迷いなく手を動かしていく。炎症を起こし、今にも破裂しそうになっていた虫垂を、慎重に切除し、周囲を丁寧に洗浄する。腹膜炎への進行を防ぐため、可能な限り清潔な操作を心掛けながら、傷口を丁寧に縫合していった。
「……終わった」
処置を終えたレオンが顔を上げると、少年は既に穏やかな寝息を立てていた。《解剖眼》で確認する限り、炎症の広がりは最小限に抑えられている。
診療所の外で待っていた人々から、大きなどよめきと、それに続く歓声が上がった。
「本当に、お腹を開いて、治してしまった……」
「これが、噂の……」
「神業だ……」
その様子を、少し離れたところから見つめていたロベルトが、感慨深げに呟いた。
「レオン様。あなたの技術は、もはや神の御業に匹敵します。いえ……人の手で成し得る、新しい奇跡と言うべきでしょうか」
「大袈裟だよ、ロベルト。ただの医術だ」
そう言いながらも、集まった人々の畏敬と感謝の眼差しに、レオンは面映ゆさを感じずにはいられなかった。
こうして、ヴァンディア診療所の名は、辺境伯領全体に、確固たるものとして知れ渡ることになったのだった。
よろしくお願いします




