第三章 辺境の村と、崩れゆく常識
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フィリアーヌを連れて屋敷に戻ったレオンを待っていたのは、案の定、大混乱だった。
「レオン様が竜を連れ帰った」という報せは、瞬く間に屋敷中を駆け巡り、辺境伯は執務室から飛び出してくるし、使用人たちは遠巻きに悲鳴を上げるしで、しばらくは収拾がつかなかった。
「レオン! これは、一体どういうことだ!」
「父上、落ち着いてください。彼女は敵ではありません。むしろ、これから協力してくれる仲間です」
「仲間、って……古竜だぞ!? 国が総力を挙げても討伐できるかどうかという存在を、仲間、って……」
辺境伯の狼狽ぶりも無理はない。だが、フィリアーヌ本人が「この者に恩がある。当面、この地に留まらせてもらう」と冷静に告げたことで、最終的には渋々ながら受け入れられることになった。
「まったく、我が息子ながら、末恐ろしいことをしてくれる……」
辺境伯はそう呟きながらも、どこか誇らしげな響きをその声に滲ませていた。
*
フィリアーヌが屋敷に留まるようになって数日、離れの改装もほぼ完成に近づいていた。
「ここが、坊ちゃまの……病院、というものですか」
リゼッタが、真新しい木の匂いがする部屋を見回しながら言った。窓から差し込む光が、清潔に磨かれた石床を照らしている。簡易ベッドが二台、作業台には煮沸消毒した器具が並べられ、壁際には薬草を乾燥させるための棚が設えられていた。
「まだ、道具も薬も足りないが……とりあえずの形にはなったな」
「私には、まだ何をするための部屋か、よく分かりませんが」
フィリアーヌが、興味深そうに器具の一つを手に取って言った。人型に慣れてきたのか、最近では屋敷の中を歩き回っては、レオンの活動に興味を示すようになっていた。
「人の身体を治すための道具だ。この小刀は、悪いところを切り取ったり、傷口を開いて中を確認したりするために使う」
「切り取る、切り開く……。それは、我の傷を癒した時と同じことか」
「そうだ」
フィリアーヌは、興味深そうにレオンを見つめた。
「人間にしては、些か奇異な発想をするものだな。この世界の人間は、傷を負えば魔法で癒すものと相場が決まっているというのに」
「魔法に頼れない怪我や病気が、この世界には多すぎる。それを、何もできずに見過ごすのは、性に合わない」
そう言いながら、レオンは窓の外に目をやった。辺境伯領の中心地であるこの街は、決して大きくはないが、活気のある場所だった。だが、その活気の裏で、失われずに済んだはずの命が、これまでどれだけあったのだろうか。
そんなことを考えていた矢先、離れの入り口が慌ただしくノックされた。
「レオン様! 大変です!」
飛び込んできたのは、屋敷の御者を務める中年の男だった。
「どうした」
「北の集落で、大変なことになっていて……子どもたちが、次々に高熱を出して倒れているらしいのです。教会の聖職者様も向かわれたそうですが、手に負えないと……」
レオンの表情が、瞬時に引き締まった。
「症状は」
「高熱と、発疹、それから……喉の腫れが酷く、水も飲み込めない子もいると」
(喉頭の腫脹による気道狭窄の可能性がある。放置すれば窒息死のリスクも……)
「案内してくれ。リゼッタ、器具一式を纏めてくれ。フィリアーヌ、悪いが移動を手伝ってもらえるか」
「お安い御用だ」
フィリアーヌが、事もなげに頷いた。竜の姿に戻れば、空を飛んで移動できる。北の集落まで馬車で半日かかる距離を、フィリアーヌの背に乗れば、恐らく一時間もかからないだろう。
*
北の集落に到着したレオンを迎えたのは、悲痛な空気に包まれた村だった。教会の若い聖職者が、疲れ果てた顔で、何人もの子どもたちに囲まれている。
「これは……」
「レオン様、こちらは……?」
聖職者の青年が、突然現れたレオンとフィリアーヌ、それに空から舞い降りてきた竜の姿に驚きながらも、藁にもすがる思いなのか、警戒よりも困惑が先に立っている様子だった。
「ヴァンディア家のレオンだ。医術の心得がある。診せてもらえるか」
「医術、ですか……。しかし、聖なる治癒の光でも、この病は……」
「まずは診させてくれ」
レオンは、横たわる子どもたちに近づき、《解剖眼》を発動した。次々と視える体内の情報を、前世の医学知識と照らし合わせていく。
(喉の粘膜が炎症を起こしている。扁桃の腫脹、高熱、発疹……これは、猩紅熱か、あるいは類似の細菌感染症だ。適切な抗菌薬があれば、治療できるはずだが……)
この世界に、抗生物質が存在するはずもない。だが、前世の記憶には、抗生物質が発見される以前の医学――解熱、水分補給、対症療法によって、患者の体力を保ちながら自然治癒力に賭ける、という古典的なアプローチの知識もある。
「聖職者殿、治癒魔法はどの程度効いている?」
「熱を一時的に下げることはできますが、すぐにぶり返してしまいます。それに、魔力にも限りがあり、村中の子どもたちに使い続けるのは……」
「分かった。ならば、こちらでやれることをやろう」
レオンは、リゼッタに指示を出しながら、まず村の井戸水を煮沸させることから始めた。
「なぜ、水を沸かすのですか」
「不衛生な水が、病を広げている可能性がある。それに、この子たちには、水分を十分に取らせる必要がある。脱水を防ぐためだ」
さらに、喉の腫れがひどく呼吸が苦しそうな子どもについては、《解剖眼》で気道の状態を注意深く確認し、応急的に体を横向きにして気道を確保する体位を取らせた。
「熱を下げるために、額だけでなく、首や脇の下も冷やしてくれ。それと、この薬草――」
レオンは、屋敷から持ってきた解熱作用のある薬草を煎じて、子どもたちに少しずつ飲ませるよう指示した。前世の記憶にある、柳の樹皮に似た成分を持つ植物を、事前にリゼッタと共に採取しておいたのだ。
一日、二日と、レオンは寝る間も惜しんで村に留まり、子どもたちの容態を見守り続けた。フィリアーヌも、意外にも甲斐甲斐しく水を運んだり、子どもたちを励ましたりと、力を貸してくれた。
「フィリアーヌ、こういうのは苦手かと思っていた」
「我とて、命が失われるのを黙って見ているのは、性に合わぬのでな」
そう言って、フィリアーヌは眠っている幼い少女の額の汗を、優しく拭ってやっていた。竜の姿からは想像もつかない、慈しみに満ちた仕草だった。
(意外と、面倒見がいいんだな)
そんな彼女の一面を見て、レオンは少しだけ、口元を緩めた。
三日目の夜、峠を越えたのか、子どもたちの熱が少しずつ下がり始めた。最も重症だった、喉の腫れがひどかった少年も、水を飲み込めるようになり、意識もはっきりしてきた。
「よかった……」
疲労困憊のレオンの隣で、リゼッタが安堵の涙を浮かべていた。
「坊ちゃま、本当に、凄いことを成し遂げられました」
「まだ油断はできない。だが、峠は越えたと思う」
聖職者の青年が、深々と頭を下げた。
「レオン様。恥を忍んで申し上げますが……我々聖職者の力だけでは、この村の子どもたちを救うことはできませんでした。あなたの知識と技術に、心より感謝いたします」
「礼はいい。それより、これからも協力できることがあれば、教えてほしい。あんたたちの治癒魔法と、俺の医術を組み合わせれば、もっと多くの命が救えるはずだ」
聖職者の青年は、驚いたように目を見開いた。
「協力、ですか。教会の中には、治癒魔法こそが至上と考える者も多いのですが……」
「争うつもりはない。ただ、救える命を、一人でも多く救いたいだけだ」
その言葉に、青年はしばらく黙り込んだあと、深く頷いた。
「私は、ロベルトと申します。……レオン様、どうか、私にも力を貸させてください」
こうして、レオンは思いがけず、教会側にも一人、理解者を得ることになった。
*
村の危機が去った後、レオンたちが屋敷に戻る道すがら、ロベルトから聞いた話が、レオンの中に一つの引っかかりを残していた。
「実は、最近、この辺境の森や街道で、怪我をした冒険者が増えているのです。魔物が、以前にも増して凶暴化しているとかで……」
「冒険者、か」
「ええ。腕利きの冒険者パーティーでも、手痛い怪我を負って帰ってくることが多くなったと聞きます。中には、腕や脚を失いかけた者もいるとか……」
レオンの脳裏に、新しい仕事の種が芽生えた。病人だけでなく、怪我人――特に、外傷を専門とする自分の技術が最も活きる分野だ。
屋敷に戻ったレオンは、早速、街の冒険者ギルドに足を運ぶことにした。ギルドの扉をくぐると、むさ苦しい男たちの怒声と、酒の匂いが充満する空間が広がっていた。
「なんだ、坊主。ここは子どもの来る場所じゃないぞ」
受付近くにいた、大柄な壮年の男が、レオンを見下ろしながら言った。傷だらけの顔に、片目には眼帯。全身から漂う歴戦の気配に、レオンは思わず少し身構えた。
「怪我をした冒険者のことで、相談があってきた」
「怪我人? 教会に行きな」
「教会の治癒魔法でも治せない怪我人が、いると聞いた」
男の眉が、僅かに動いた。
「……坊主、名前は」
「レオン=ヴァンディア」
「ヴァンディア家の……。ああ、噂に聞いたぞ。竜を手懐けて、村の疫病を治したっていう変わり者の坊ちゃんか」
噂の広まる速さに、レオンは少し苦笑した。
「俺はガイウス。ここのギルドで、受付兼、まあ、雑用係みたいなもんだ。……それで、坊主が何をしたいって?」
「怪我をした冒険者を診させてほしい。俺には、治癒魔法とは違う方法で、傷を治す技術がある」
ガイウスは、しばらく無言でレオンを観察していたが、やがて片目を細めて笑った。
「面白い。ちょうど、奥で唸ってる馬鹿がいる。魔物に脚を食いちぎられかけて、治癒魔法をかけても膿が止まらねぇとかで、切り落とすしかねぇって話になってたところだ。見てみるか?」
「案内してくれ」
奥の部屋に案内されたレオンが見たのは、脚に酷い傷を負い、高熱にうなされている若い冒険者の姿だった。傷口からは、明らかに感染を示す膿と、鼻をつく異臭が漂っている。
(壊疽が進行している。このままでは、切断か、最悪、敗血症で死ぬ)
「これは……緊急を要する」
レオンは即座に《解剖眼》を発動し、感染の範囲を確認した。幸い、まだ完全に壊死しているのは末端の一部だけで、適切な処置――感染部位の除去と、徹底した消毒、そして排膿――を施せば、脚全体を切断せずに済む可能性があった。
「ガイウス、湯を沸かしてくれ。それと、清潔な布を大量に。あと、蒸留酒を」
「お、おう……!」
ガイウスは、レオンの真剣な様子に、有無を言わさず動き出した。
こうして、レオンにとって二人目の「本格的な手術」が始まった。
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