表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮球部ですが、今日は海に入りません  作者: カミツキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/8

第6話 尾道に行こう②

三原駅みはらえきを出た列車が、糸崎いとさきの方へ向かっていく。

 窓の外を、低い建物と線路沿いの壁が流れていた。


 村上結むらかみ ゆいは、座席の真ん中でスマホを開いている。


「確認するよ」


 向かいに座った宮本澪みやもと みおが、窓の外から顔を戻した。


「何を」


「今日の予定」


 結は画面を指で送った。


尾道おのみち着いたら、まず海鮮丼。それからモナカ。商店街通って、千光寺せんこうじで桜」


 隣に座った木梨陽きなし ひなたもスマホを見ていた。

 地図の上に、駅から山の方へ細い線が伸びている。


「帰りの電車は?」


「まだ見てない」


「見とけ」


「行きの電車には乗れたじゃん」


「帰れんかったら意味ないじゃろ」


「尾道なら歩いて帰れる?」


「無理じゃ」


 陽が地図を拡大した。


「四時間」


「歩けるん?」


「歩きたくない」


「じゃろ」


 結は検索画面を開いた。


「帰りは夕方。桜見終わってから考える」


「考えてないのと同じじゃ」


「予定を詰めすぎると楽しくないんよ」


「海鮮丼とモナカと千光寺は詰めとるじゃろ」


「食べ物は予定に入れんと忘れるじゃん」


 陽の指が止まった。


「忘れん」


「陽はね」


 列車が速度を上げた。


 窓の向こうに、海が出た。

 島と島の間に、春の光が細く落ちている。


 結が、遠くの島を指した。


「魔王が住むとしたら、やっぱりあの島がよくないですか?」


 澪も窓の外へ顔を向ける。


「なんで魔王の住む場所を決めよるん」


「山あるし、海に囲まれとるし。攻めにくそうじゃん」


「港が小さい」


「そこ見るん?」


「物資が入らんじゃろ」


 陽がスマホから顔を上げた。


「通販」


「魔王も通販使うん?」


「使う」


「島まで届くんか」


 陽の視線が、窓の向こうの島とスマホの画面を往復した。


「配下が受け取る」


「結局、人がおるじゃん」


 車内放送が、次の駅名を告げた。


「尾道」


 陽がスマホを閉じた。


 尾道駅の改札を出ると、すぐ海だった。


 駅前の道路。

 その向こうに尾道水道。

 対岸の家が、海を挟んですぐ近くに並んでいる。


 フェリーが、水面に白い跡を残していた。


「相変わらず近いね」


 結の足が止まる。


「何が」


「海」


「三原も近いじゃろ」


「尾道は改札出たら海じゃん」


「三原も歩けばすぐじゃ」


「歩かんといけんじゃん」


 澪は駅前を左へ曲がった。


「まず飯じゃろ」


「待って。店、まだ決めてない」


「さっき予定に入れとったじゃろ」


「海鮮丼までは決めた。店は今から」


 結が検索画面を開く。


「近い順? 評価順? 写真で決める?」


 澪はもう歩いていた。


「澪さん」


 返事がない。


「澪さん、どこ行くん」


 一軒の店の前で、澪の足が止まった。


 入口に、海鮮丼の写真が出ている。

 その下に、本日の魚、と書かれた小さな板があった。


 澪は暖簾をくぐった。


「入った!」


 結が追う。


「まだ調べてないんじゃけど」


「海鮮丼あるぞ」


「もっと評判いい店あるかもしれんじゃん」


「腹が減っとる」


「決めるの早いよ」


 陽も店へ入った。


「陽まで」


「海鮮丼」


「予定に従っとるだけなん?」


 店内には、四人掛けのテーブルが三つあった。

 壁に魚の名前が並んでいる。


 三人は窓際へ座った。


 注文してからも、結の指は画面を送っていた。


「ここ、評価高い」


「ならええじゃろ」


「でも、もう一軒気になる店がある」


「次行けばええ」


「海鮮丼二杯食べるん?」


「お前なら食べるじゃろ」


「食べんよ」


 陽が水の入ったコップを持った。


「モナカある」


「それも食べるけん、今日は一杯でいい」


 澪は窓の外へ顔を向けた。


「予定、詰めとるじゃろ」


「全部お腹に入る予定なんよ」


「坂も上るぞ」


「食べた分は消える」


「便利な計算じゃな」


 海鮮丼が運ばれてきた。


 白い器に、魚の切り身が重なっている。

 中央に卵黄。

 端に細く切った海苔。


 陽は箸を持つと、すぐに食べ始めた。


 結はスマホを置いた。


「三原でも食べられそうじゃない?」


 澪の箸が止まる。


「食べたことあるんか」


「ない」


「じゃあ黙って食べんさい」


「港あるのに、なんで聞かんのじゃろ」


「店を探してないけんじゃろ」


「尾道の方が海鮮丼の顔しとるじゃん」


「どんな顔じゃ」


「観光地の顔」


 澪は刺身を一切れ食べた。


「三原も観光地じゃ」


「花が聞いたら喜びそう」


 陽が顔を上げた。


「海鮮丼、おいしい」


「陽、今まで一言も喋らんかったね」


「食べとった」


 陽はまた箸を動かした。

 澪も黙って食べる。


 結は二人を見てから、器へ顔を戻した。


「うまい」


「黙って食べんさい」


「今、感想じゃん」


「冷めるぞ」


「海鮮丼って冷たいじゃろ」


 澪の目が結へ向いた。


「ご飯が」


「ああ」


 結も食べ始めた。


 店を出ると、三人の足取りが重くなった。


「食べすぎた」


 結が鞄の紐を握った。


「一杯じゃろ」


「刺身、思ったより多かった」


「ええ店じゃったな」


「澪さん、調べてないのに当てたね」


「海鮮丼の写真が出とった」


「それだけ?」


「それだけ」


「行動が雑なのに成功しとる」


「腹が減っとるときに迷う方が悪い」


 商店街のアーケードが見えてきた。


 通りの両側に、古い店と新しい店が並んでいる。

 軒先に商品を出した店。

 細い階段のある店。

 シャッターに絵が描かれた店。


 陽の足が止まった。


 結は三歩進んでから振り返る。


「陽?」


 陽は、店先の木箱を見ていた。


 箱の上に、猫が一匹座っている。

 白い前足を揃え、目を細めていた。


「猫おった」


 陽が猫の前へしゃがんだ。


 猫は動かない。

 陽も動かない。


 結は二人の横に立った。


「触るん?」


 陽が手を出す。


 猫の鼻が、指先へ近づいた。

 一度匂いを嗅ぎ、顔を引く。


 陽の手はそのままだった。


 猫が、もう一度近づく。

 今度は指先へ額を押しつけた。


「好かれとる」


 澪が後ろから覗いた。


 陽は猫の頭を一度撫でた。


「たぶん」


「自分のことなのに、たぶんなんじゃ」


 猫は箱から下りた。

 陽の膝の横へ座る。


「陽、行くよ」


 陽は猫を見ている。


「モナカ」


 結の一言で、陽の顔が上がった。


 立ち上がる。


「モナカ」


「猫より強いんじゃ」


 三人が歩き出す。


 猫はついてこなかった。


 陽が一度だけ振り返る。

 猫は箱へ戻っていた。


「聞き分けええね」


「何も伝えとらんじゃろ」


「陽の顔で分かったんよ」


「何が」


「モナカ行くって」


 澪は前を向いたままだった。


「猫に予定は分からん」


「陽なら通じそうじゃん」


「たぶん」


「陽まで乗らんでや」


 商店街の途中で、陽がまた止まった。


「今度は何」


 結が辺りを見る。


 猫はいない。


 陽の指が、一軒の店へ向いた。


「あった」


 ガラス越しに、丸いモナカの皮が並んでいる。

 店先の小さな札に、注文を受けてから餡を挟みます、と書かれていた。


 陽はもう入口へ向かっている。


「ずっと探しとったん?」


 頷く。


「猫見ながら?」


 また頷く。


「両方見えるんじゃね」


 店へ入る。


 棚には箱入りの菓子が並び、奥にモナカの皮が積まれていた。

 陽がスマホの画面を店員へ見せる。


「これ」


「粒餡とこし餡がありますよ」


 陽の指が止まった。


「両方」


「一つずつ?」


「はい」


 結が隣へ入る。


「うちも両方」


「二個食べるん?」


「半分ずつにする」


「誰と」


「澪さん」


 澪が店の中へ入った。


「勝手に決めるな」


「粒とこし、両方食べたいじゃろ」


「一個でええ」


「じゃあ陽と半分」


 陽はもう自分の二つを受け取っていた。


「食べる」


「一人で二個?」


 頷く。


「じゃあ、うちも二個」


「お前も食べるんか」


「ここまで来たんじゃけ」


 澪は粒餡を一つ頼んだ。


 モナカの皮に餡が挟まれる。

 薄い皮が重なる音がした。


 店の端にある長椅子へ、三人で座った。


 陽が一つ目を割る。

 皮の破れる音が、思ったより大きかった。


 結が顔を向ける。


「音からうまい」


 自分のモナカを一口食べる。


 皮が崩れた。

 欠片が膝へ落ちる。


「うまい」


 陽も食べている。


 何も返さない。


 結が横から覗き込む。


「どう?」


 陽がもう一口食べる。


「うまい」


「陽が二回喋った」


「二個あるけん」


「一個につき一言なん?」


 澪もモナカを食べた。


 皮の欠片を、手のひらで受ける。


「花が来とったら、もっと騒いどったな」


「たぶん、うちらより先に二個食べるよ」


「三個じゃない?」


 陽が二つ目の包みを開けた。


 結の顔がそちらへ向く。


「もう二個目?」


「うん」


「まだ坂あるよ」


「食べる」


「陽、今日は迷いがないね」


「モナカじゃけ」


「基準そこなん」


 陽は二つ目も食べ終えた。


 紙を小さく畳む。

 そのまま店員へ顔を向けた。


「持ち帰り、五つ」


 結の手が止まる。


「五個?」


「はい」


「誰が食べるん」


 陽は答えなかった。


 店員が、皮と餡を別々の包みにしていく。

 小さな紙袋が五つ、箱へ入った。


 結はその箱を見る。


「全部、一人で食べるん?」


「違う」


「じゃあ誰の」


 陽は箱を鞄へ入れた。


「後で」


「今教えてや」


「坂」


「話を変えた」


 澪が立ち上がる。


「行くぞ」


「澪さんまで流さんでや」


「予定、詰まっとるんじゃろ」


 結も立った。


 膝からモナカの皮が落ちる。


 陽の指が、床へ向いた。


「落ちた」


「分かっとる」


 結は欠片を拾い、紙へ包んだ。


 ロープウェイ乗り場の前で、三人は立ち止まった。


 山の斜面を、小さな車両が上っている。

 乗り場の前には人が並んでいた。


「これ乗ろう」


 結が列の最後を指した。


 陽は山の方を見上げる。

 スマホの地図には、細い道がいくつも表示されている。


「歩く」


「乗る」


「歩く」


「海鮮丼とモナカ食べたんよ」


「じゃけ歩くんじゃろ」


 澪も山の方へ顔を向けた。


「澪さんまで?」


「歩いた方が桜見える」


「ロープウェイからも見えるよ」


「止まれんじゃろ」


「止まらんでええんよ。上に着けば」


 陽はもう坂道の方へ向いていた。


 澪も歩き出す。


「二対一じゃ」


「多数決、いつしたん」


「今」


「うちの意見、数に入れただけじゃん」


 結も後を追った。


「帰りは乗るけんね」


「空いとったらな」


「空いとるよ。帰りじゃけ」


「みんな帰るじゃろ」


「桜見たら、すぐ帰る人ばっかりじゃないよ」


「お前も帰らん側じゃろ」


「モナカ買ったけん、目的は終わった」


「千光寺は」


「今から」


 最初の坂では、結はまだ喋っていた。


「ここ、家の間に道あるんじゃね」


「坂の町じゃけ」


「澪さん、尾道の人みたいに言うじゃん」


「来たことあるけん」


「試合でじゃろ」


「中学のときも来た」


「何したん」


「歩いた」


「今日と同じじゃん」


「モナカは食べてない」


 陽が前を歩いている。

 鞄の中の箱が傾かないよう、片手で押さえていた。


 二つ目の坂に入るころ、結の返事が短くなった。


「まだ?」


「まだじゃ」


「どれくらい」


「分からん」


「陽、地図」


 陽がスマホを見る。


「上」


「それは分かる」


 細い階段が続いている。

 石の端が丸くなり、ところどころに苔がついていた。


 澪の歩く速さは変わらない。


 陽も止まらない。


 結だけが、三段ごとに息を吐くようになった。


「坂、嫌い」


「練習より楽じゃろ」


「今日くらいは楽したい」


「遊びじゃけ楽じゃろ」


「遊びで坂上る方が意味分からん」


 陽の足が止まった。


 結も止まる。


「何。休憩?」


 陽は石段の横を見ていた。

 塀の上に、茶色い猫が座っている。


「また猫じゃん」


 陽が一段下りる。


「戻らんで!」


 猫は尻尾だけを動かした。


 陽が手を伸ばす。

 届かない。


 猫は塀の上を二歩歩いた。

 陽も横へ動く。


「道から外れよるよ」


「陽」


 澪が足を止めた。


 陽は猫を見たまま答える。


「はい」


「置いてくぞ」


 陽が猫を見る。


 猫も陽を見る。


 陽は階段へ戻った。


「聞き分けええね」


「陽が?」


「猫」


「陽もじゃろ」


 澪はまた上り始めた。


 結がその後ろへ続く。


「澪さん、全然疲れんね」


「疲れとる」


「速さ変わらんじゃん」


「変えたら余計疲れる」


「うち、もう変わっとるよ」


「見れば分かる」


 陽が結の横へ来た。


「鞄、持ってや」


「モナカある」


「自分の荷物守りたいだけじゃん」


 陽はそのまま先へ出た。


 石段の途中で、結の足が止まった。


 今度は猫ではなかった。


 家と家の間から、海が見えた。


 尾道水道。

 向島。

 その間を、小さな船が横切っている。


 屋根の向こうに、春の光が広がっていた。


「あ、きれい」


 澪も止まった。


 陽は一段上から海を見る。


 結がスマホを出した。


 一枚撮る。


 画面の中には、海と屋根と、澪と陽の後ろ姿が入っていた。


 澪が振り返る。


「今、撮ったじゃろ」


「景色」


「うちも入っとった」


「たまたま」


「消せ」


「景色が消えるじゃん」


「切ればええ」


「澪さんだけ?」


「陽もじゃ」


 陽が画面を覗く。


「猫、おらん」


「猫の写真じゃないよ」


 結はスマホを鞄へ入れた。


「行こう。まだ上なんじゃろ」


「急に元気になったな」


「止まったら余計きついけん」


 澪が先に進む。


 今度は結がすぐ後ろへ続いた。


 千光寺の近くまで来ると、人が増えた。


 桜は、全部が開いているわけではなかった。

 枝の先に薄い色が集まり、その間にまだ丸い蕾が残っている。


 風が通るたび、開いた花が揺れた。


「着いた」


 結が石段の端へ寄る。


「もう上らん?」


「展望台まである」


「まだあるん」


 澪は先を見た。


「もうちょいじゃ」


「その言葉、今日三回聞いた」


 陽は桜を見ていた。


 枝ではなく、落ちてくる花びらの方へ顔が動いている。


 一枚が石段へ落ちる。


 風で浮く。

 端へ寄る。

 次の一枚が、その横へ落ちた。


 陽が二歩動いた。


「何見とるん」


「流れ」


「花びら?」


「うん」


 花びらが、石段の隅へ集まる。


 風が変わる。

 二枚だけが、別の方向へ滑った。


 陽もそちらへ顔を向ける。


「陽、海じゃないよ」


「動いとる」


「それは分かるけど」


 陽は手を出した。


 落ちてきた一枚が、指先を外れた。

 もう一枚は手のひらへ落ちた。


 陽が手を閉じる。


 結が覗く。


「取れた?」


 陽は手を開いた。


 花びらはなかった。


「落ちた」


「流れ読めてないじゃん」


 陽が足元を見る。


「難しい」


 澪が先へ歩く。


「置いてくぞ」


「また?」


「今度は桜か」


「たぶん」


 三人はまた石段を上った。


 展望台から、海が見えた。


 さっきより高い。


 尾道水道の向こうに、島と橋と家並みが重なっている。

 船の跡は細く、途中で光に紛れていた。


 結は手すりへ両手を置いた。


「ここまで上ったんじゃね」


「見れば分かる」


「澪さん、今日それ多いよ」


「お前が分かることばっかり口にするけんじゃ」


 陽は海ではなく、手すりの下を見ていた。

 風で花びらが舞い上がり、壁へ当たって落ちていく。


 結が海の向こうを指した。


「三原、見える?」


 澪は指の先を追った。


「見えん」


「どっち?」


 澪の腕が右へ動く。


「たぶん、あの辺」


「ほんま?」


「方角はな」


「建物は?」


「見えん」


「三原城は?」


「見えん」


「祭りは?」


「やってない」


「花なら見えるって言いそう」


 陽が二人の間から海を見る。


「モナカは?」


「ない」


「じゃあ尾道の勝ち?」


 澪が結を見る。


「何の勝負なん」


「花が来たら始まるやつ」


「本人おらんのに始めるな」


 結は手すりから離れた。

 少し離れた場所に立つ澪と陽へスマホを向ける。


 もう一枚撮る。


 澪がすぐ振り返った。


「また撮ったな」


「今度は桜」


「うちも入っとる」


「たまたま」


「二回目じゃろ」


 陽が結の隣へ来る。


「見せて」


「陽は消せって言わんの?」


 画面を見せる。


 桜の枝。

 海。

 その下に立つ二人。


 陽は画面を指した。


「花びら、映ってない」


「そこ?」


 陽はスマホを返した。


「次」


「撮り直すん?」


 陽は桜の下へ戻った。


 結がもう一度スマホを構える。


 風が来る。


 花びらは落ちなかった。


 三人で待った。


「来んね」


「待つと来ん」


 陽の視線は、枝に残っていた。


 澪が歩き出す。


「帰るぞ」


「もう?」


「ロープウェイ並ぶんじゃろ」


 結が顔を上げた。


「そうじゃん」


 陽は桜を見ていた。


「次、来る」


「花びら?」


「うん」


「次来たとき撮ればええよ」


 陽は枝を見上げたまま、二人分の距離が開くまで動かなかった。


 それから後を追った。


 ロープウェイ乗り場の前には、列ができていた。

 建物の中から外へ伸び、階段の下まで続いている。


 結は列の最後を見た。


 先頭を見る。

 もう一度、最後を見る。


「これ、どれくらい?」


「分からん」


「三十分?」


「もっとかもしれん」


「でも歩いて下りるのも三十分くらいじゃろ」


「歩くぞ」


「また歩くん!?」


「上った道を下りるだけじゃ」


「上ったけん下りたくないんよ」


「泊まるんか」


「ロープウェイ乗る」


「待つぞ」


「待つ」


 列が動かない。


 陽は鞄の中を確認した。


「陽、何見とるん」


「モナカ」


「潰れてない?」


 陽が箱を持ち上げる。


「大丈夫」


「五個も持って坂下りるん?」


「うん」


「ロープウェイなら揺れんよ」


「歩く」


「モナカ基準でも歩くん?」


 陽は箱を鞄へ戻した。


「早く帰れる」


「さっき桜待っとったじゃん」


「今はモナカある」


「陽の優先順位、分かりやすいね」


 澪は列から離れた。


「行くぞ」


 結は列を見たまま動かなかった。


「ほんまに?」


「帰りの電車、まだ見てないんじゃろ」


 結の顔が変わった。


 スマホを出す。

 時刻表を開く。


「一時間後」


「歩けば間に合う」


「ロープウェイは?」


「待っとったら分からん」


 結は列から離れた。


「歩く」


「決めるの早いな」


「帰れん方が困るじゃろ」


「行きと同じこと口にしよる」


 三人は来た道へ戻った。


 下りでは、結が一番先を歩いた。


「速すぎるぞ」


「電車あるけん」


「転ぶなよ」


「坂嫌いじゃけ、早く終わらせたい」


 澪の速さは、上りと変わらなかった。


「澪さん、下りも同じなん?」


「変えたら危ないじゃろ」


「急いどるんよ」


「駅まで着けば間に合う」


「ほんま?」


「たぶん」


「たぶんなんじゃ!」


 結が足を速める。


「走る?」


「坂で走るな」


「じゃあ早歩き」


「それくらいにしとけ」


 陽は鞄を押さえたままついてくる。


 モナカの箱だけは揺らさなかった。


 商店街まで戻ると、さっきの猫がまだいた。


 木箱の上で、丸くなっている。


 陽の足が止まる。


 結も止まった。


「時間」


 陽は猫を見る。


 猫は目を開けた。


 陽が一歩近づく。


「帰る」


 猫の耳が動いた。


 陽はそれだけ残して、歩き出した。


 猫はついてこなかった。


 結が追いつく。


「聞こえたん?」


「たぶん」


「何が?」


「帰るって」


「猫、最初から帰る気ないよ」


 陽が一度だけ振り返る。


 猫は木箱の上に座っていた。


 陽は前へ向き直った。


 三人が尾道駅へ着くと、列車の発車まで十分あった。


 結は改札の中で時計を見た。


「余裕じゃん」


「十分じゃろ」


「走らんでも間に合ったね」


「走っとらん」


「気持ちは走っとった」


 陽がホームのベンチへ座った。

 鞄を膝へ乗せ、箱を確かめる。


「無事?」


 結が横から覗く。


「うん」


「モナカの話ね」


「うん」


「陽も無事?」


 陽は自分の膝を見る。


「うん」


「確認する順番、逆じゃろ」


 澪がベンチの端へ座った。


「本人がモナカから確認しとるけん」


 列車がホームへ入ってきた。


 三人は乗り込んだ。


 帰りの車内では、陽が窓側に座った。


 結がその隣。

 澪は向かいに座っている。


 列車が尾道駅を離れる。

 海が窓の横へついてきた。


 陽は鞄から、モナカの箱を出した。


「まだ食べるん?」


 陽が一つ渡す。


「うちに?」


 頷く。


 もう一つを澪へ渡す。

 陽は自分の分を一つ取る。


 持ち帰り用の包みは、皮と餡に分かれていた。

 結が開く。


「自分で挟むんじゃ」


 餡を全部、皮へ乗せる。


「これ、閉まらん」


「入れすぎじゃ」


「全部入れたいじゃん」


「はみ出るぞ」


 結が皮を重ねる。


 横から餡が出た。


「出た」


「言うたじゃろ」


 陽は自分の分をきれいに挟んでいる。


「なんで上手いん」


「見た」


「店の人を?」


 頷く。


「ずっとモナカ見とったんじゃね」


「うん」


 澪も包みを開いた。


 餡を半分だけ皮へ乗せる。


「少なくない?」


「閉まる量じゃ」


「残りどうするん」


「あとで足す」


「慎重じゃね」


「お前が雑なんじゃ」


 三人でモナカを食べた。


 皮が、車内で小さく鳴る。


 結が窓の外を見る。


「さっきも食べたのに、またうまい」


「作ってすぐの方がうまかった」


「今それ出す?」


「今も、まあうまい」


「褒め方が澪さん」


 陽は黙って食べている。


 箱の中には、二つ残っていた。


 結が指差す。


「それ、誰の?」


 陽が一つに触れる。


「花」


 もう一つ。


「凪」


「最初から決めとったん?」


「うん」


「じゃけ五個じゃったんじゃ」


 陽は箱を閉じた。


 澪が包み紙を畳む。


「次は本人も連れてこいよ」


「澪さんも来るじゃろ?」


「予定が合えばな」


「合わせてや」


「花に頼め」


「花、来るかな」


「来る」


 陽は箱を鞄へ入れた。


「なんで分かるん」


「モナカの写真、見とったけん」


「凪は?」


「たぶん」


「今度はたぶんなんじゃ」


 陽は窓の外へ顔を向けた。


 海の向こうで、重なっていた島影が離れていく。


 列車が糸崎を過ぎた。


 線路の向こうに、見慣れた港が出てくる。

 倉庫。

 岸壁。

 遠くの島影。


 車内放送が流れた。


「次は、三原」


 陽がモナカの箱を、鞄の奥へ入れ直した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ