3 研究者の実験検証と物語の始まり
「…と、言うわけですので、貴方達は物語の世界に行ってらっしゃい」
執務室に呼び出されたと思ったら、いつも以上に雑な命令が下された。
リンとガイは、部屋の真ん中に不自然に置かれたカニの付いた鏡とカイルを見て、盛大にため息をついた。
「…説明を端折りすぎだ、お姉様」
「…いつも以上に酷いよ、お姉様」
執務室にはふわりと上等な紅茶の香りが漂っている。エレオノーラはカップに優雅に口を付けてから、静かに下ろした。
「あら、私の命令に『はい』と『イエス』以外の返事ができるなんて、驚きだわ」
驚くほど尊大な態度で、しつけの悪い野良犬をみるような視線を投げ付けられた。その安定の理不尽さにリンとガイはガックリと頭を垂れる。
そのまま、チラリと視線を鏡へと移した。
映し出された美少女が不安げにこちらを見ている。
「…で。あちらの、お嬢さんはどちらさんで?」
諦めたようにリンが問いかける。隣でガイは力無く笑う。
「鏡に閉じ込められたお姫様って言われても、驚かないよ」
「半分くらい当たりですわ。『異世界の物語』の主人公、白雪さんよ」
さらりと告げられたエレオノーラの言葉にリンとガイは顔を見合わせた。
「「…ごめん!やっぱり意味わからない!!」」
まるで双子のように息を合わせてエレオノーラに申し立てた。
エレオノーラは物わかりの悪い子供を諭すように、少し首をかしげて扇子を開く。
「『白雪姫』という物語の住人ですわ。貴方達がこれから向かう先の」
リンは無言で頭を抱え、ガイは天を仰いだ。
優しく言われたところで、意味が分からないものは分からない。
「ごめんなさい。任務を引き受けるから、もっと分かるように命令してください」
「困ったわね。これが全てよ?何か補足があるかしら、カイル」
いよいよ、理解の悪い生徒を持て余した教師のように、エレオノーラはカイルに視線を向けた。
カイルは軽く頷き、続きを引き取る。
「強いて言うなら、こちらの小型カニを装着してもらう必要がある、という点ですかね」
差し出されたのは、鏡に取り付けられていたものの小型版――カニ型のブレスレットであった。
手首を二度と離すまいとするような、長く細い脚。
今はだらりと垂れているハサミも、よく見ればやけに鋭利で危険この上ない。
「これを装着すれば、この鏡を通ることが可能になるのだよ!…、補足はそのくらいでしょう」
思わずリンが乱暴にカニを奪い取りカイルに噛みついた。
真顔でエレオノーラに進言するカイルに殺意さえ覚える。
「アホか!誰がそんなこと聞いてんだよ!?仕事の内容だ!な、い、よ、う!!」
「そんなものは、現地で直接確認してくれたまえ」
リンの勢いなどそよ風のように飄々と受け流してカイルはガイの左手を取った。不穏なカニの足がガイの手首を抱き締める。
「着け心地、最悪なんだけど…」
装着されたカニを恨めしそうに見つめ、不満げにガイが口を尖らせた。
だが、カイルは何も聞こえないかのように笑うだけだった。
この研究者、不健康ではあるが顔審査が必須のギルドに雇い入れられている男である。顔だけは無駄に良い。それだけに、その笑顔もまた忌々しい。
言ってもこれ以上の説明は出てこないだろうと、本日何度目になるか分からないため息が漏れる。
「せめて、これだけは確認させろ。移動手段の『安全性の確保』は出来てんだろうな」
カイルは、にこやかに頷いた。
「そっちの検証は、これからだ!」
研究者とは思えぬ無駄の無い足さばきで、リンとガイを鏡の前に突き飛ばした。そのまま、長い足で綺麗な弧を描き、背中に蹴りを見舞う。
「ぎゃ!!!」
背中からの衝撃をもろに受けたリンとガイがよろける。衝突するかと思われた二人は、鏡にずっぷりと飲み込まれていった。
静けさの中で鏡には水紋がゆらゆらと浮かび、少し間をおいて揺れが収まる。鏡面には、元通り白雪が現れ…。
その足元には、リンとガイの転がる姿が映し出されていた。
「ご覧ください、エレオノーラ様!物理的な移動実験も成功です!!」
「あら、良かったですわね」
ぐるんと首を向けて、嬉々とした声を張り上げるカイルにエレオノーラは悠然と頷いた。
鏡の向こうで、可哀想な、双子座のコードネームをもつ二人の魔導士が怒鳴り散らす。
「カイル、てめぇ、後で覚えてろ!!」
「ねぇ、これ!ちゃんと帰れるんだよね!!!」
始まる仕事の不透明さより、解決後の帰宅手段への不安が勝る幕開けであった。




