10 美しい姉妹愛と失われたもの
さて、鏡に飛び込んだリンとガイは、次の瞬間、元の世界へと勢いよく放り出された。
無事に帰還はできた。
――ただし、問題がひとつ起きていた。
投げ出された勢いをそのままに、リンはカイルを怒鳴りつけた。
「こるぁぁ、オッサン! てめぇ、今日という今日は、許さねぇからな!」
「地元の負け知らず」もビックリな巻き舌で、カイルを締め上げる。
だが、そのカイルは研究者とは思えない力でリンを押し退けた。
「…システムエラーだと!?」
鏡の表面に走った不規則なノイズを見た瞬間、カイルの目の色が変わった。リンの怒号など完全に無視して鏡に飛びついた背中へ、容赦なく蹴りが入る。
「話を聞け!!」
グゲッ、という蛙の潰れるような声を発し、カイルが腰をさすりながら、リンを振り返った。
「今は、それどころではないと、分からないかね!!」
「俺の『苦情の受付』以上に大事なことなんか無いわ!」
自己都合最優先の二人の言い合いは、収まる気配もない。いつまでも終わらないと思われた諍いは、しかし、ガイの絶叫によって中断された。
「あー!!!」
「何だよ、うるせぇな!」
「大変だよ、リン! 宝箱が無い!!」
「……は?」
リンが固まり、その場に一瞬、異様な静寂が落ちた。
その沈黙の方が、怒鳴り声よりよほど怖かった。…そして事実を認識したリンが絶叫する。
「…そんな馬鹿なことがあるか!ガッチリ抱えて来たろうが!」
だが、受け取ったはずの宝箱は、どこにも見当たらない。
「…そうか。エラーは『それ』か!」
鏡を点検していたカイルが、ポンと手を打つ。
「はぁぁぁ!?」
スッキリとした顔のカイルが恨めしい。全く納得のいかないリンとガイが、詰め寄った。
「どういうことだ、オッサン!」
「そうだよ、ちゃんと説明してよ!!」
カイルは顎に手を当て、割れ物でも扱うように慎重な顔で鏡を覗き込んだ。
「宝箱の中身を構成できる物質構造が、我々の世界に存在しない、ということだな」
「分かるように言って!!」
「つまりだね。君たちは帰れたが、報酬だけは帰れなかったということだ」
「最悪すぎる!!」
ガイが悲鳴を上げる。リンは、もはや怒りを通り越して無言で拳を握り締めていた。
「安心したまえ。理論上は回収可能だ」
「理論上って言ったよね?今、理論上って言ったよね!?」
「勿論だとも!この世界に存在しない構造さえも構築できるシステムを開発すればいいだけなのだから!」
新しいおもちゃを見つけた子どものように、目を輝かせカイルはエレオノーラに縋りつく。
「これは、リリアーヌ様へのプレゼント開発に必要な経費です! 是非とも予算の追加を!!!」
「…そうねぇ」
「この世界に存在しない構造を再現できれば、異世界由来の希少品だって自在に生成できる! リリアーヌ様への贈答品開発にも直結する、革命的研究です!」
エレオノーラは扇子を開き、目を閉じて思案する。その扇子が閉じられる時、新たな予算が追加されると確信し、カイルは拳を握った。
――その時。
「でも、お姉さま?」
エレオノーラの隣で、お気に入りのマカロンを摘まんでいたリリアーヌがおっとりと口を挟んだ。
「今日はこうして、はじめてお姉さまのギルドにお邪魔できたし、面白い物語も見ることができたわ」
エレオノーラが用意した、香り高い紅茶を手に取り、微笑む。
「お姉さまに、あまり無理をしてほしくないわ。リリはもう十分満足してるもの」
手にした扇子を思わず取り落とし、エレオノーラがひしっとリリアーヌを抱き締めた。
「なんて健気で、なんて謙虚なの、私の天使は!」
「大袈裟ね、お姉さまったら」
美しい姉妹愛の前で、カイルが膝をつき、ガイは自分達の報酬の死を悟って泣き崩れた。
「…リリアーヌ様、何という余計なことを」
「それ、俺たちの報酬なんだけど…」
そして、ついに我慢の限界を迎えたリンの怒りが爆発した。
「はぁぁ!?ふざけんな、もっと欲を出せぇぇ!」
リリアーヌは、きょとんと目を丸くして、エレオノーラを見つめる。
視線を受けた女帝は、ゆっくりと凄みのある微笑みでリンに告げた。
「誰に向かって、そんな口を利いているのかしら?」
そして、最終決定を厳かに告げたのである。
「カイルの研究費は据え置きます。リンとガイの報酬は出しません」
「なんで?!あんまりだよ!!」
「物語の中に入って、任務をこなしたと証明できて?『宝箱』も無いのに?」
リリアーヌから離れたエレオノーラは、椅子に深く腰を下ろした。
爪先を一瞥しながら、興味なさげに結論を下す。
「夢でも見たのでしょう。夢の中のお話に、報酬なんて出せませんわ」
リリアーヌが関わらない案件になったとたんに、小指の先ほども熱意を失っている。
そこで一度言葉を切り、エレオノーラは思い出したように視線を上げた。
「ああ。それとリンには――」
スッと細めた目でリンを射貫くと、氷のように冷たい声で静かに告げた。
「リリアーヌへの暴言に対する慰謝料を請求します。いいわね?」
「良いわけあるか!!」
「あなたの返事は『はい』か『イエス』だけよ。全く、いつまで経っても物覚えの悪い野良犬だこと」
当然のように、抗議は却下された。
こうして、無報酬が確定した二人は、がっくりと肩を落としたのだった。リンに至っては慰謝料の請求書のおまけ付きだ。
これだけの理不尽に見舞われても、『天球の灯』の日常は、本日も穏やかなのである。
せめて今夜くらいは、いい夢を見たい。
そんな、ささやかすぎる願いすら叶う気がしないまま、二人の一日は幕を閉じた。




