9 「一件落着」と守られた「約束」
拘束された女王と、鏡の向こうのエレオノーラが向かい合う。
その場の空気は、息が詰まるほど張りつめていた。
カイルが急拵えした簡易通信機だ。
もっとも、ただの姿見の左右に、カニを装着したリンとガイが立っているだけなのだが。
女王の顔は屈辱に満ちており、握りしめた手が震えている。
重い空気が、さらに張り詰めるようだった。
鏡の向こうから、静かで、しかし有無を言わせぬ声が響いた。
「概ねの事情は理解いたしました。うちの野良犬の失礼は、後ほどお詫びするとして…」
鏡の向こうのエレオノーラがゆっくりと扇子を開く。
声を聞いただけで、リンはビクッと肩を震わせ、ガイはそっと目をそらす。
「まずは、鏡の件を片付けましょう…」
「なんとかなるの!?」
白雪のすがるような声に、エレオノーラは優雅に微笑んだ。
「まずは、その鏡の言う『リリアーヌ』が、この子のことか確認させていただくわ」
女王の鏡に映し出されたのは、筆舌に尽くしがたい美少女であった。
透き通るような肌に、月の光が流れるような金髪。長い睫に縁取られた瞳は、乱反射する鏡の光よりなお眩い。
その場の誰もが、息を呑んだ。
ビシリ――
次の瞬間、女王の鏡に亀裂が走った。
「うそでしょ!?あまりの美しさに鏡が割れたと言うの!?」
白雪が絶叫する。女王と白雪が手を取り合ってその場に崩れ落ちた。
「あんなに美しいなんて…」
「…無理よ。あんなの、もう暴力じゃない…」
その様子を扇子を広げたまま見守っていたエレオノーラが、静かに鏡に問いかけた。
「あなたの言う『リリアーヌ』は、この、私の至高の天使で間違いないかしら?」
「あまねく全ての世界で、もっとも美しいのはそのリリアーヌ様で間違いございません!!」
ひび割れた鏡は、ビシビシと自身に亀裂が広がるのも厭わず、高らかに宣言した。
「そう。…まぁ、そうでしょうね」
エレオノーラは、ごく自然に頷いた。それは、晴れた日に「空が青いですね」というくらいの軽さだった。
一呼吸おいて、さらに問いかける。
「あなた、物語の進行に合わせることは出来ないのかしら?」
要するに台本通りに進めろということだ。
しかし鏡は、きっぱりと告げた。
「鏡の矜持にかけて、嘘は付けない」
「…なんで、あいつ、あんなに頑ななんだよ」
思わずリンが呟く。
「…そう。まぁ、リリアーヌを知ってしまったのなら、それも仕方ないわね」
「え、そこ、仕方ないかな?」
ガイが思わず口を挟む。
しかし、今の二人は所詮、鏡の付属品である。エレオノーラが気にするはずもない。息を吸うように黙殺される。
「…代わりを立てなさい」
パチリと扇子を閉じた。そして、そこから物語が始まるかのような力強さで高らかに命令を下した。
「…は?」
「脚本家の言うことを聞かない役者を使うことはないでしょう。代役で十分なのでは?」
女王の顔から、全ての感情が抜け落ちた。白雪はポカンと聞き返す。
「それは、…どういう意味なの?」
「鏡の台詞は二つだけなのでしょう?」
白雪は一瞬黙りこくった。そして、世紀の発見のように呟いた。
「…た、確かに、そうだわ」
何度思い直しても、鏡の台詞は「それは、女王様です」と「それは、白雪姫です」の二つしかないのだ。
「でしたら、自動で繰り返す機能を付けた鏡で十分ですわ」
物語としての情緒は完全に置き去りだったが、そこには誰も触れないまま、エレオノーラは淡々と「代役案」を推し進める。
美女としてのプライドを粉々に砕かれ、白雪も女王も疲れ果てていた。
この際、それで良いのでは。――そんな誘惑に打ち勝つ精神力など欠片も残っていなかったのだ。
白雪と女王は、顔を見合わせてゆっくりと頷いた。
「この世界のためにも、その方がいいのかもしれないわ」
「そうね。仕事をしない鏡など、もはやガラクタと言っても過言じゃないものね」
二人は、世界の安寧のために、今ある鏡を粗大ゴミとすることを決定した。その目に、少しばかりの私怨が混じっているのを察して、ガイが震えた。
「…こわっ!」
「これでそちらの不具合は解消ということで、よろしいですわね?」
エレオノーラが、いつものように、全てをガラクタのように雑にまとめる。
「さて、リン君、ガイ君。君たちには、まだ仕事が残っている」
「まだ、あるのかよ」
雑でもなんでも解決は解決だ。この話は終了とばかりに、カイルがひょいと出てきた。
「あるとも! さあ、鏡に飛び込みたまえ。無事に帰れるかの実証実験だ!」
「…安全性について、理解するまでボコボコにしてやりてぇ」
「あぁ、いいね。それは、俺も付き合わせて」
底抜けに明るいカイルの声に、殺意さえ抱いて、リンとガイは虚ろな顔で頷きあった。
「待って!お礼の『宝物セット』よ。持って帰って」
自棄糞になりながら、鏡に飛び込もうとした二人に、白雪が宝箱を手渡す。
「リン…。俺、絶対、今回は無報酬だと思ってたよ」
「俺もだ、ガイ」
差し出された宝箱を手にして、リンとガイが感動で涙ぐむ。その姿は切ないほどの憐れさを醸し出していた。
「ちゃんと、約束は守るわよ。ありがとうね」
「…バグ女。お前は最後の最後でいい仕事したよ」
「凄い意味不明な仕事だったけど、白雪も主人公業、頑張ってね」
本当に、最後の最後で、何となくいい雰囲気で二人は鏡に飛び込んだのだった。




