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赤い晩餐を口にした  作者: 宮山悠


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Ep.6 祝福の印

そのときだった。


「……あれ?」


隣で、有馬が小さく眉をひそめた。


口元に手を当て、ゆっくりと咀嚼を止める。


「どうしました?」


私が聞くと、彼は少しだけ笑った。


「いや……なんか、固いものが。」


冗談のような口調だった。


けれど、その指先は慎重だった。


舌で探るようにして、口の中からそれを取り出す。


テーブルの上に、そっと置かれた。


——小さな円形。


金属のような光沢。表面には、細かい彫刻が施されている。トマトだった。精巧に刻まれた、赤い果実の意匠。


一瞬、誰も言葉を発さなかった。


そして——


「……おや。」


緋雨が、ゆっくりと微笑んだ。


そのまま手元のベルを鳴らす。澄んだ音が、空間に響いた。


すぐに、数人の従業員が現れる。


「おめでとうございます。」


穏やかな声だった。


「今年の当たりでございます。」


有馬が目を瞬かせる。


「当たり……?」


「はい。」


緋雨は頷く。


「この三日間の間に、一名だけ。


幸運な方に、小さな印が贈られます。」


視線が、コインへと落ちる。


「その方には、特別なご褒美をご用意しております。」


わずかな間。


「トマトティーでございます。」


誰かが小さく笑った。軽い祝福の空気。


「後ほど、お部屋にお届けいたします。」


神代がグラスを傾ける。


「いいじゃないか。」


鷲宮が口元を緩める。


「運も実力のうちってやつだな。」


久我は静かに頷いた。


「貴重な体験だろう。」


ノアが軽くウインクする。


「ラッキーだね。」


怜と梓——双子はほぼ同時に言った。


「おめでとう。」


有馬は笑った。けれど、その笑顔は一瞬で引っ込んだ——ように、私には見えた。


「……ラッキーですね。」


軽い。あまりにも軽い。


その空気に、私は少しだけ置いていかれる。


——異物。


その言葉が、頭のどこかに残っていた。あのコインは、この場所にとって「異物」ではなかったのか。むしろ——

何かの一部だったのではないか。


その考えに、理由はなかった。ただ、消えなかった。


やがて、食事は終わった。


自然な流れで、席が立たれる。


「では、また明日。」


「またね。」


「おやすみなさい。」


「おやすみ。」


それが合図のように、全員が散っていく。


まるで、何事もなかったかのように。


廊下に出ると、有馬が隣に並んだ。


「いやー。」


軽く息を吐く。


「普通に食事会だったな。」


笑いながら言う。


「もっとこう、裏の話とか聞けるかと思ったけど。」


肩をすくめる。


「さすがに無理か、俺らみたいなのがいるとさ。」


「そう、なんですか……」


私は曖昧に答える。


「盗み聞きもできないしな。」


彼は続ける。


「電子機器、全部使えないだろ。」


「え……?」


思わず声が出た。


「Wi-Fiもないし。」


当然のように言う。


そのとき初めて、私は気づいた。


ここに来てから、一度もスマートフォンを見ていないことに。


ポケットの中では、ただの——繋がっていないものの重さになっていた。


「まあ、いいけど。」


有馬は笑う。


「ネタにはならなそうだけど、飯はうまいし。」


その言葉に、うまく返せなかった。


「じゃあ、また明日な。」


「……はい。」


私たちはそこで別れた。


南が、静かに近づいてくる。


「お部屋までご案内いたします。」


その声は変わらず穏やかだった。


私は頷き、後をついていく。


廊下は長く、静かで、どこまでも続いているように感じた。


やがて部屋の前で足を止める。


「何か御用がございましたら、こちらのベルをお使いください。」


小さな銀のベルを指し示す。


「すぐにお伺いいたします。」


「……ありがとうございます。」


私は一度だけ、迷った。


そして——思い出す。


「あの……」


南が静かに振り返る。


「あのトマト畑って、どこにあるんですか?」


一瞬の間。


「屋敷の裏手にございます。」


淡々とした声。


「車で十分ほどの距離です。」


「……明日、案内していただけますか?」


南は、ほんのわずかに微笑んだ。


「ええ、もちろん。」


その笑顔は、整いすぎていた。


「では、おやすみなさい。」


「……おやすみなさい。」


扉が閉まる。


音はほとんどしなかった。


静寂が戻る。


ベッドに腰を下ろす。


今日一日のことを思い返す。


食事。会話。あのコイン。そして——味。


どれも、現実のようで、現実ではなかった。


……なんだったんだろう。


答えはない。


ただ、ひとつだけ。


——とても静かな一日だった。そして、何かが、静かに始まった一日だったような気がした。

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