Ep.14 消化しきれない
皿の上の肉が、少しずつ減っていく。
自分の手で切り分け、自分の口へ運び、自分で飲み込んでいるはずなのに、どこか他人事のようだった。
「お下げいたします。」
見人が静かに近づく。気配はあるのに、音がない。
皿が下げられる。順番も、間も、正確すぎる。誰の皿から先か、誰の後か。すべて決まっているように。
私の前の皿も、気づけば消えていた。——残っていたはずなのに。
次に置かれる、小さな器。ガラス。透明な中に、淡い赤。
「お口直しでございます。」
緋雨が言う。
「トマトのグラニテ ミントの香り」
スプーンですくう。氷の粒が、光を反射する。
口に入れる。冷たい。一瞬で溶ける。甘さ。酸味。そして、さっきの苦みを、洗い流すような感覚。——消すよう
に。なかったことにするように。そんな意図が、この一皿に込められている気がした。
「いいな。」
鷲宮が息を吐く。
「リセットされる。」
「設計通りだ。」
神代が頷く。
「流れが綺麗だ。」
「ええ。」
怜が静かに言う。
「無駄がありません。」
梓が笑う。
「ちゃんと整えられてる。」
整える。その言葉が、妙に引っかかった。
私はもう一口、口に運ぶ。さっきの味が、確かに薄れていく。けれど——完全には消えない。奥に、残っている。
次の皿。白いプレート。丸く、柔らかい色。
「デザートでございます。」
「トマトとマスカルポーネのムース 赤いソースと砂糖細工」
軽い。空気のように。スプーンが沈む。
口に入れる。甘い。なめらか。美味しい。はず。
「今年は軽いな。」
久我が言う。
「全体的に。」
「重くすると飽きるからね。」
神代が応じる。
「持続性を考えると、このくらいがいい。」
「満足度は高い。」
ノアが呟く。
「トータルで見れば、悪くない。」
「ええ。」
緋雨が微笑む。
「本日はバランスを重視いたしましたので。」
その言葉に、何人かが頷く。
私は、味を感じているのに、どこか遠かった。舌は反応している。けれど、心が追いつかない。
「最後に。」
見人がカップを置く。白い磁器。湯気が立つ。
「コーヒーでございます。」
深い色。苦い香り。それが、やけに安心感を持っていた。
一口、飲む。苦い。はっきりとした苦み。——安心する。なぜか。
「締まるな。」
鷲宮が言う。
「やっぱりこれだ。」
「終わりが明確になる。」
神代が言う。
「区切りは必要だ。」
区切り。終わり。その言葉が落ちる。
やがて、全ての皿が下げられる。布で拭かれる。整えられる。何事もなかったかのように、テーブルは元の姿へ戻
る。赤は、残っているはずなのに。
「本日はありがとうございました。」
緋雨が、ゆっくりと頭を下げる。
「これにて、一日目の晩餐は終了でございます。」
一日目。その言葉が、どこか遠く感じられた。
「また明日を、お楽しみください。」
誰かが立つ。それに続くように、全員が席を立つ。自然な流れ。会話も、笑いも、普通だった。まるで、何もなか
ったかのように。
「じゃあ、またな。」
鷲宮が軽く手を上げる。
「明日も楽しもう。」
梓が微笑む。
「ええ。」
怜が頷く。
神代は何も言わず、ただこちらを一度だけ見た。その目は、やはり、穏やかだった。——数時間前、私をトマトで
追いかけていた人物とは思えないほどに、穏やかすぎた。
私は、席を立つ。足元が、少しだけ不安定だった。
南が近づく。
「お部屋までご案内いたします。」
その声に、従う。
廊下を歩く。音が、やけに響く。
部屋に入る。扉が閉まる。静かになる。——一人。
ベッドに座る。
手を見る。何もついていない。赤は、ない。なのに、どこかに残っている気がした。——皮膚の下。血の中。洗っ
ても消えないところに、まだ。
今日のことを思い返す。
朝。トマト畑。名前の札。有馬。震えていた手。煙。そして——いなくなった。
「帰った」と言われた。でも、納得できない。どこかで、分かっている。分かっているのに、考えないようにして
いる。
母のことも、同じだった。何も知らない。何も聞いていない。だから——分からない。はずなのに。
どうしてか、全部が繋がっている気がする。母の写真。有馬の靴。あの肉の苦み。空いた席。——それらが点と点
のまま、まだ線にならない。けれど、確かに、そこにある。
胸の奥が、重い。息が、少し浅い。
ベッドに横になる。目を閉じる。眠ろうとする。
けれど——浮かんでくる。皿。赤。断面。味。あの苦み。そして、あの一席。空いたままの席。
「……っ」
目を開ける。暗い。静かすぎる。
眠れない。体は疲れているのに、意識だけが沈まない。時間が、進まない。
——明日が来る。
そのことだけが、はっきりと分かっていた。
そして、それを止めることができないことも。自分の中の何かが、もう——止めようとしていないのかもしれな
い。そう思うと、怖かった。




