Ep.13 白い肉
「それでは——」
緋雨が、わずかに手を上げる。
「最初の一皿を。」
見人が動く。
同時に、七つの蓋が持ち上げられた。揃いすぎている。音が、ほとんど重ならない。
現れたのは、小さな一皿。
円形の白いプレートの中央に、ひと口大の赤。
「アミューズ トマトのコンソメジュレと白肉のタルタル 若芽の芽吹き」
透明なジュレの中に、細かく刻まれた淡い色の肉。
その上に、小さな緑が添えられている。色の対比は完璧だった。整いすぎている。
「どうぞ。」
誰も、ためらわない。
フォークが同時に伸びる。口に運ぶ。咀嚼。飲み込む。
一連の動作が、滑らかすぎた。
私は、フォークを持ったまま動けなかった。
——白い。
思っていたより、白い。
肉。そう呼ぶには、色が足りない。まるで——熱を通したことがないような、そんな白さだった。
震える指で、すくう。口に入れる。
柔らかい。崩れる。温度が、ほとんどない。
味は——薄い。
けれど、奥に何かがある。わずかな、苦み。記憶に触れかけるような、曖昧な引っかかり。
「……いい。」
神代が、わずかに目を細める。支配者らしい、満足げな声。
「雑味がない。」
「繊維の崩し方がいいですね。」
久我が続ける。医者らしい分析的な口調。
「舌に残らない。」
「ええ。」
ノアが頷く。研究者らしい好奇心を覗かせて。
「初期処理が丁寧だ。」
「今年は軽いわね。」
梓が笑う。
「導入としてはちょうどいい。」
怜は何も言わず、ただ静かに口に運ぶ。双子のシンクロした動きが、不気味に揃う。
私は、飲み込んだ。
何かを、飲み込んだ。
それが何なのかは、考えなかった。
「次でございます。」
考える前に、次の皿が運ばれてくる。
スープ。白い器。中央に、赤が浮かんでいる。
「完熟トマトの冷製ポタージュ 白泡のエスプーマ仕立て」
パンが添えられる。軽く焼かれた表面。
香りは、普通だ。
「パンは、石窯焼きカンパーニュ トマト酵母仕込みでございます。」
トマト酵母。
その言葉だけが、少しだけ引っかかった。酵母——発酵させるもの。何かを変えるもの。
私はスプーンを取る。表面をすくう。口へ。
なめらか。甘い。トマトの味。——のはずなのに、どこか鈍い。
「今年は丸みがあるな。」
鷲宮が言う。冷たい軽さで。
「ええ。」
神代が頷く。
「角が取れている。」
「発酵の影響でしょうか。」
ノアが呟く。
「面白い。」
私はパンをちぎる。口に入れる。普通。普通のはずなのに、スープと合わせると、味がぼやける。境界が消える。
どこまでがパンで、どこまでがスープか分からなくなる。
次の皿。魚。
細長い白い皿。中央に、焼かれた切り身。その上に、赤いソース。
「白身魚のポワレ トマトと焦がしバターのソース 季節野菜添え」
ナイフを入れる。すっと入る。繊維が崩れる。
口に運ぶ。香ばしい。脂が軽い。美味しい。——はず。
「火入れがいい。」
久我が言う。
「均一だ。」
「去年より安定している。」
怜が静かに評価する。
「素材の質も悪くない。」
神代が言う。
「悪くない、か。」
鷲宮が笑う。
「随分控えめだな。」
「期待値の問題だ。」
神代は肩をすくめる。
笑いが起こる。軽い。楽しそうだ。
その空気の中で、私はひとり、味の輪郭を掴めなかった。
そして——
「メインでございます。」
空気が、わずかに変わる。
見人が、ゆっくりと皿を置く。重さがある。
白い皿。中央に、肉。厚みがある。赤。焼き色は控えめ。切り分けられていない。
「特選ポークのロティ トマトの還元ソース 根菜のピュレ添え」
ナイフを持つ。少し、手が震える。
——切りたくない。
そう思った。理由は分からない。ただ、このナイフを入れたら、何かが終わる気がした。
それでも、入れる。
——柔らかい。
抵抗がない。まるで、最初から切り分けられることを前提に作られていたかのように。
断面が見える。きめ細かい。均一。美しい。
「どうだい。」
神代が、私を見る。穏やかで、逃げ場のない声。
「今年の出来は。」
視線が集まる。逃げ場がない。
「……食べないのか?」
鷲宮が言う。軽い口調。だが、逃げ道はない。
私は、小さく切る。フォークに刺す。口に運ぶ。噛む。
——柔らかい。ほとんど、力がいらない。崩れる。
舌に広がる。脂。甘み。そして——苦い。はっきりとした苦み。遅れてくる。舌の奥に残る。
飲み込みたくない。喉が、拒否する。
「……っ」
思わず、口を押さえる。吐きそうになる。
けれど——見られている。全員が。逃げられない。
私は、無理やり飲み込んだ。
喉が焼ける。目の奥が熱くなる。
「どうだ?」
神代。穏やかな声。
私は、頷く。
「……美味しい、です。」
声が、少し震えた。
「そうか。」
緋雨が微笑む。
「それはよかった。」
その言葉が、やけに遠く聞こえた。
目が潤む。理由が分からない。
「今年は少し落ちるな。」
鷲宮が言う。
「仕方ない。」
神代が答える。
「出来があまり良くなかった。」
「ええ。」
久我が頷く。
「前提条件としては妥当です。」
「でも——」
梓が笑う。
「予想よりは、ずっといい。」
「確かに。」
ノアが言う。
「調整が効いている。」
「技術の問題だな。」
神代がグラスを傾ける。
会話は、続く。
普通に。食事の評価として。
私は、何も言えなかった。
皿の上の肉を見つめる。まだ、残っている。食べなければならない。そう思う。理由はない。でも——そう思って
しまう。
フォークを持つ手が、わずかに震えていた。
こんな肉、食べたことがない。
——そうだ。
私は知らないだけだ。高級な肉なんて、食べたことがないから。だから、苦いんだ。そうに違いない。
そう思うしかなかった。
でも、それでも——
どうしても、身体が、拒んでいた。
胃が、喉が、舌が——この肉だけは、認めるなと、叫んでいた。
味覚ではない。
もっと深い、生き物としての本能が。




