7.性教育
寝台の脇まで歩いて、わたくしは腰を下ろした。
理珂はその場に立ったまま、わたくしを見下ろしている。
「座って」
手のひらで、隣を示す。理珂は素直に従った。寝台の端に、少しだけ距離を取って腰を下ろす。背筋は真っ直ぐ。緊張しているのが伝わってくる。
「ねえ、理珂」
「はい」
「子を成すには、男と女の体を繋げる必要があるの」
理珂の眉が、わずかに寄った。
「繋げる……」
「男の体で作られるものが、女の体に入って、新しい命のもとになるの。同じ部屋で眠るだけじゃ、何も起きない」
理珂はしばらく黙って、わたくしの言葉を反芻しているようだった。天才の頭脳が、新しい情報を整理しようとしている。
無知ではあっても、馬鹿ではない。自分がこれから経験することの輪郭を、少しずつ理解し始めている。
「教えてあげる」
わたくしは理珂の手を取った。細く長い指。薬草を刻み、筆を握ってきた手。熱い。乾かした薬草の、青い匂いが指先からした。
「先に、あなたの体のことから知りましょう」
「……自分の、体」
「ええ。女のことは、その後でいい。順番よ」
理珂は小さく頷いた。
「……論理的、です」
こういうところが本当にこの人らしい。胸の奥がくすぐったくなる。
「じゃあ、実習に移りましょうか」
理珂の背筋が、ぴんと伸びた。
「……実習」
「もちろん、嫌ならやめるわ」
理珂は少し考えてから、わたくしを見た。
「いいえ。お願いします」
真剣そのもの。試験を受ける学生のような顔で、寝台に座り直す。
さて。この生徒、どこまで教えればいいのかしら。
天才は、体の授業でも天才だった。
何が起きても、まず質問する。どうやら未知の分野でも、研究者としての習性は抜けないらしい。
「……これは、何ですか」
「快感というの」
「快感。覚えておきます」
こんな最中まで学習意欲を発揮する男。
ところが、しばらくすると、その質問が途絶えた。
天才にも、言葉を失うことがあるらしい。
やがて気づけば、灯りが短くなっていた。虫の声が、遠くに聞こえてくる。
理珂は、寝台の上でしばらく天井を見つめていた。
「……これほどとは」
ようやく出てきた感想が、それだった。
「書物には、ありませんでした」
「そうでしょうね」
書物にも限界はある。特に、体験が必要な分野では。
目を瞬かせて、理珂はようやくわたくしを見た。頬が赤く、目が潤んでいる。さっきまでの「冗談が通じない天才」の顔とは、まるで違う。
「これが子を成す行為に関係するのですね」
「そう。ただし、今夜教えたのはほんの一部よ」
「……一部」
理珂の目が、また学者のそれに戻った。
「その先を、教えていただけますか」
「もちろん。でも、その前に相談したいことがあるの」
わたくしは寝台から降りて、円卓の椅子に戻った。理珂もついてくる。冷たいお茶を注ぎ直して、一息ついた。
「わたくしは、まだ妊娠したくないの」
颯真に言ったのと、同じ言葉。
「理由は、今はまだ言えない。でも、しばらくは子を成すわけにいかない事情がある」
理珂は黙って聞いている。さっきまでの戸惑いはもう消えて、いつもの真面目な顔に戻っていた。
「だから、薬が欲しいの。子ができないようにする薬」
「……避妊薬」
「そう。そういう薬、作れる?」
理珂の目がわずかに細くなった。考えている顔。
「原理がわかれば、作れます……いえ。作ります」
「原理?」
「子ができる仕組み。男から出たものが、女の中でどうなるのか。どの段階で何が起きるのか。それを理解すれば、どこを阻害すればいいかが見えます」
教えたのは、ほんの一晩の性教育だけ。それなのに、もう自分で応用を始めている。
「教えられる範囲で、教えるわ」
「お願いします」
「でも、詳しいところは、あなたが自分で研究することになる」
「わかっています。得意分野です」
理珂の瞳には、先ほどまでの戸惑いはもうなかった。新しい研究課題を与えられた学者の目だった。
「殿下」
「何?」
「薬、必ず作ります」
理珂はわたくしの目をまっすぐに見た。
「そうしたらそのときは――殿下。実体験させてください」
直球。
ついさっきまで、眠れば子ができると思っていた人が。
今度は澄んだ目で、わたくしを「欲しい」と言っている。
……この人、自分が何を言っているかわかっているのかしら。
顔が熱くなる。
研究成果に対する正当な報酬として、真剣に要求しているらしい。
いや、研究者って、そういうもの?
「……いいわ。約束する」
理珂は深く頷いた。
「全力で研究します」
一晩で、性教育は終わった。その代わり、とんでもない研究者を手に入れてしまった。
理珂。二人目の夫は、天才で、無知で、そして驚くほどまっすぐな男だった。




