5.忠誠の誓い
「ねえ、颯真。提案があるの。その前に、座りましょう」
この部屋には大きな寝台がある。そこから少し離れた円卓と椅子を指差す。
「……はい」
颯真は立ち上がってわたくしをエスコートした。
卓上には冷たいお茶の支度が置かれている。座るとすぐに、颯真が陶器の茶碗にお茶を注いでくれた。
颯真も座るように促す。
「あのね、颯真」
「はい」
戸惑いは隠せないようだけれど、颯真は真っ直ぐわたくしを見ている。なら、単刀直入に言いましょう。
「わたくし、まだ妊娠したくないの」
「え……それは……」
なぜかと問う目。
「理由は今は話さない。ただ、子ができると自由に動けなくなる、それが困るの」
「つまり……自由に動きたい、と?」
微笑んで頷く。
さっき颯真が「子を成したい」と言った。それで見えたのだ。体調も読めなくなるし、何より懐妊がわかれば周りがわたくしを自由にはしないだろう。それは、ダメ。
「やらなければならないことがある。しかもそれを誰にも知られたくないの」
颯真は何と言っていいかわからない顔で、それでもわたくしの真意を知ろうと一生懸命聞いている。
そして意を決したように言う。
「誰にも、とは……陛下にもでしょうか」
「ええ、そう。この話をしたのは、颯真、あなたが初めてよ」
驚いた顔。
「自分にだけ……」
「颯真は信頼できると思ったから」
隠し事のできない男だと、たったいま本人が証明したもの。
それを聞いた颯真は、驚いた顔を引き締めて頷いた。
「自分にできることであれば、何なりと。姫様のために、お役に立ちたい」
そう言ってから「でも」と続ける。
「その……子を成すためのことをするなら、あの……自分にもできることがありそうです。だけど、姫様はそれを望んでいない。では何を?」
わたくしはお茶を一口飲んで喉を湿らせた。
「夜伽をした『ふり』をしましょう」
「……ふり、ですか?」
「そう。子を成さないようにしたいけれど、もしも後宮で夫と過ごさなければ、問題は多い」
後宮は世継ぎを作るための場所だ。わたくしが夫たちと閨を持たなければ、女帝は容易く夫を替えるだろう。夫をすぐに解任されれば、本人だけでなく家や係累がどんな目に遭うかわからない。わたくしの事情で彼らを面倒に巻き込みたくない。そんなのは、美しくない。
「その間、何をするかというとね」
颯真は真剣な顔で聞いている。
「腕立て伏せと、腹筋よ」
わたくしは軽く腕を振った。
「夜伽をするふりをして、この部屋と寝台で運動をしましょう。週に二晩くらいでいいわ」
ぽかん、と口を開ける颯真。
「この身体、筋肉がなさすぎるのよ」
言ってから、自分でも少し笑ってしまった。
「鍛え直す必要があるわ。あなたも付き合いなさい。運動なら得意でしょう?」
「……え、あ、はい?」
戸惑う彼に説明する。
「ここで二人で運動をする。夜伽のふりよ。そうすれば、あなたは夫失格とはならないし、わたくしも子を成す心配がない。身体も鍛えられる」
そしてまっすぐに見つめて告げる。
「しばらくは後宮で我慢なさい。いつか必ず、好きな女のところへ返してあげるわ。――約束するわ」
その言葉に、颯真はしばらく動かなかった。わたくしの言葉をかみしめて、意味を理解しようとしている顔だ。
どれくらいの時が経っただろう。
彼がゆっくりと立ち上がり、一歩前に出る。深く背筋を伸ばし、わたくしの足元に膝をついた。
それは、命じられて取る姿勢ではなかった。逃げ場を失った男のそれでもない。
「姫様」
颯真は顔を上げ、まっすぐにこちらを見る。凛々しい顔。
「自分は、何も失わない」
はっきりとした声だった。
「好きな女も、家も、名誉も、男としての立場も。奪われずに済む。いや。姫様が、守ろうとしてくださっている」
一度、拳を握りしめる。言葉を選ぶように、少しだけ間を置いてから、続けた。
「姫様に選ばれたことを、心から誇りに思います」
だから、と。颯真はもう一度深く頭を下げた。
「この身は……姫様にお預けすることはできません。ですが。この忠誠は自分の意思です」
息を、ひとつ吸う音がした。
「この命、忠誠としてお捧げします」
――ほんとうに、まっすぐね。
わたくしは閉じた扇を持ち、彼の頭に乗せた。まるで騎士に対して剣でするように。
「その誓い、華音が、受け取ります」
颯真は、大きく息を吐いた。そして顔を上げ、心底嬉しそうに笑った。最高の笑顔だった。
それから、二人で真剣に筋トレをした。
「夜伽のふり、しっかり励まないと」
筋トレは週に二回くらいがちょうどいい。前世もジムにはそれくらいで通ったわ。
ようやく颯真の顔にも、柔らかさが見えるようになった。
床に敷かれた敷物の上で、腕立て伏せ。腹筋。スクワット。息が上がり、汗が滲む。颯真は、よく指導してくれた。声も動きも、無駄がない。
ときどき颯真がわたくしの姿にドキッとしてしまうのは、仕方ない。
「姫様、次はどうか、もう少し刺激の少ないお召し物ですと助かります……」
赤い顔で言う。
悪くない夜ね。
たいしたこともしてないのに一時間もすればくたくたになった。やっぱりこの身体、軟弱だわ。全然追い込めない。
「姫様は明日は、筋肉痛になりますね」
「ちょうどいいわね」
その答えに、颯真が思わず笑う。いい笑顔だわ。
一人目の夫は、恋人を想い、それでも忠誠を誓ってくれた男。
後宮も、悪くないかもしれない。
颯真は味方にできた。だけど、毎回彼だけというわけにはいかない。
次は、誰にしようかしらね。




