4.一人目の夫候補
四人を夫候補として選んで数日後の夜。
後宮の一室に、わたくしが最初に呼んだのは颯真だった。
理由は単純。今日は頭を使いすぎた。今夜くらい、考えなくていい相手と話したい。
戸が静かに開き、夜気がわずかに流れ込む。
そのあとから颯真が姿を現した。
近くで見ると、やはり良い身体だ。
二十歳。広い肩に厚い胸板。鍛えた体は衣の上からでも分かる。立ち姿に迷いがなく、視線はまっすぐ。軍人か、騎士か。いずれにせよ、鍛え抜かれた男のそれ。
顔立ちは爽やかで、笑えば人懐っこい。なるほど。人気が出るタイプね。
「姫様。お呼びと伺い参上いたしました。光栄にございます。颯真です」
張りのある声で告げる。ひざまずく動作もきれい。体幹が強い。
そして、忠誠心が高そう、という第一印象も間違っていないように見える。
「顔を上げて」
そう言うと颯真は素直に従った。けれど、視線がどこか定まらない。
緊張している。それは当然だ。
皇太姫の夫として選ばれ、さらに「初めての夜」の相手に選ばれたのだ。呼ばれた意味も、立場も、理解している。
それでも。
跪いたまま、何かをためらうように彼の身体は前に出てこない。
おかしいわね。この国では、男性リードだったはず。身分に関係なく女性から積極的に動くことはない。
わたくしは一歩、距離を詰めてみた。
――もしかすると。
薄布で作られた寝衣は体のラインを拾い、やわやわと揺れる。
黒い長髪を片側に流す。わたくしの瞳は切れ長で黒目がち。鏡を見たとき我ながら神秘的な美女だと思ったわ。
見つめる颯真の喉がごくりと鳴った。反応が、わかりやすい。
颯真は立ち上がり、わたくしの手をとった。
エスコートして奥の寝台へと誘う。少し息が荒い。
寝台の横で颯真はわたくしを抱きしめた。最初はおずおずと。そして覚悟を決めたかのように、強く。
洗い立ての布と、木剣の匂いがした。鍛錬を終えてから湯を使い、まっすぐここへ来た匂い。
「姫様……お綺麗です」
彼の呟くような囁きに問いを返す。
「颯真は、初めてなの?」
颯真は我に返ったように抱いた腕を緩めてわたくしの顔を見る。そして、首を振った。
「いえ。あの……初めてでなければ、資格がないとは聞いておらず……」
少し焦りの混ざる声。
「構わなくてよ。初めてでも、そうじゃなくても。問題ないわ」
「……よかったです」
ほっとしたように颯真が言う。
「だけど」
強く颯真の目を射抜く。
「他の女のものは、欲しくないの」
颯真の目が大きく見開かれた。
「それは……どういう……」
残念。わたくしの勘は、当たってしまったわね。
颯真の逞しい腕を、ゆっくりとさすりながら言う。
「好きな女がいるのでしょう?」
「……っ!」
言葉が続かない。でも、視線を逸らさないのが、颯真の真面目さと強さだろう。
黙って、颯真の言葉を待つ。
懸命に整えようとしているけれど、颯真の呼吸はまだ荒い。体を密着させたこの体勢で、興奮していないわけじゃない。でも、彼の気持ちと意志は、体とは別にある。
こういう男もかつていた。
身体はここにあっても、心は別の女のもとにある男。
知らずに一夜を過ごし、後味の悪い思いをした。
そんな男は要らない。わたくしのせいで、知らない女を泣かせたくはない。
颯真。素敵なのに。ほんとうに残念。
「あなたの口から、聞かせて」
そう言った瞬間、颯真の肩がわずかに落ちた。
逃げ道を、閉じた。
「……姫様」
彼の瞳が熱いまま逡巡に揺れている。
長い沈黙のあと、颯真はわたくしを抱く腕を離し膝をついた。額が床に触れるほど深く。
「……申し訳ありません」
声が、絞り出される。
「……恋人がいます」
そこまで言って、颯真は唇を噛みしめた。まるでこれ以上言わされたくないと抵抗するように。
でも彼は言葉を止めなかった。
「隠すつもりでした。忘れるつもりでした」
わたくしは、黙って聞いている。
「ですが……無理でした。とても、隠せる気がしない」
泣き出しそうな声だった。
わたくしは、ゆっくりと息を吐いた。
「……そう」
そして、告げる。
「わたくしは、人のものは、欲しくないの」
颯真が、はっと顔を上げた。驚きと、困惑と、安堵。いろいろ混ざった顔をしている。
でも、すぐに青ざめた。
「そうよね。いまさら夫を辞退すれば、家にも、彼女にも迷惑がかかる」
颯真がうつむいた。
「姫様に、選んでいただいて、心から嬉しかったのです。男として認められたと。姫様の、よき夫になろうと。子を成したいと」
颯真は訥々《とつとつ》と、言葉を探しながら気持ちを伝えようとしている。言っていることに、嘘や誤魔化しは感じられない。
「分かっているわ。責めているわけじゃない」
わたくしは頷いた。
同時に、一つ、見えてきたことがある。
……でも、それはあとでいい。
今は颯真だ。
「颯真は、まさか忘れられないほど、その人を好きだと気づいてなかっただけ」
颯真が、大きな手で顔を拭う。深くため息をつく。
愛なんて、気づいたときには遅いってこと、よくあるから。
この生真面目で純情な男は、自分で自分の心を裏切ることはできない。いい男ね。手放すのは惜しいわ。身体というより、その心根を。
そして、先ほど頭によぎった「見えてきたこと」について、あらためて考えてみる。
この男を味方にしましょう。
大きな体を小さくするようにうずくまっている颯真に告げた。
「ねえ、颯真。提案があるの」
颯真が顔を上げた。




