3.家族という卓
立太子の儀の翌日、内々の午餐に招かれた。
席に着くのは、母とその二人の夫、それにわたくし。壁際には宦官が二人控えているだけで、どうやら家族の顔合わせらしい。
母の三人目の夫は呼ばれていない。家族に数えられていないのね。かわいそうに。……いえ、まだ顔も知らない人だった。同情の在庫が余っているみたい。
家族。前世でいちばん縁の薄かった言葉だわ。
血の繋がりより締め切りのほうが近かった女には、この卓の勝手が分からない。
なので頭のなかで表を作ることにした。得意分野に持ち込むのが基本。
この卓に着く三人が、味方になる人か、ならない人か。まずは値踏みから始める。処刑を書き換えるために、自分へ課した作法だった。
……作法。ずいぶん上等な言い方をしたわね。要するに人事評価よ。
母は上座にいた。
近くで見る女帝は遠目より疲れていた。白粉の下の顔色が灯りのせいだけとは思えない。この人が生きていることが、わたくしの生き延びる道と重なっている。最優先。ここは動かない。
母の右手には、実の父である二位正夫・律音が座っていた。思っていたより若い。母よりいくつか年下に見える。顔は整っているのに印象に残らない。座り方が遠慮がちだからだ。
「……華音。大きくなったな」
柔らかく笑った。優しい目。悪い人ではない。ひと目で分かる善良さがあった。
それから三秒で分かった。この人、使えない。
次期女帝の父。本来なら第一の夫として母を支え宮廷に睨みを利かせる席のはず。それだけの席を持ちながら卓の端で身を縮めている。立場に力が追いついていない。その自覚があるから余計に小さくなる。見事な悪循環ね。
善良なだけでは勝てない。父を情の欄に残して戦力の欄から外した。
……実の父を初対面で戦力外通告する娘。我ながら、いい性格をしているわ。
「お父様も、お変わりなく」
当たり障りのない言葉に父は嬉しそうに頷いた。それだけの人だった。
そして母の左手。
「殿下。ご立太子、心よりお慶び申し上げます」
皇配・暁遠が頭を下げた。
昨日、広間で目を合わせて頷いてくれた人。近くで見るほうが良かった。背が高い。姿勢がまっすぐ。所作に急いだところがない。涼やかな人だった。
まず目を見る。
継娘を見る男の目にときどき混じる、あの粘り。ない。
前世で男の目なら飽きるほど見てきた。会議室でも、それ以外でも。だから分かる。男の目にはたいてい少しだけ濁りがある。相手が誰であれ女を前にすると滲むあれ。皇配の目には一滴もない。
母の夫でありながら継娘に男の匂いを一片も向けてこない。清潔で、安全な人だ。まずそう判断した。
午餐が運ばれてくると、皇配の気配りが働き始めた。
母が咳をひとつする。皇配は母の膳の汁物を熱くないものに替えさせた。声高に気遣わない。大事ないかと問うて母に気を遣わせもしない。母が気づかないうちに負担だけが消えている。給仕への指図も短い。
長年こうして女帝の疲れを先回りして畳んできた手つきだった。
そこにあるのは献身だけれど、甘さも、恩を着せる色もない。もっと静かな、敬意に近いものだった。女帝としてでも妻としてでもなく、いたわるべき一人の人として母を大切にしている。見返りを勘定していない。
……いえ、落ち着いて。値踏みしに来たのに、感心してどうするの。
母は皇配の気遣いを嫌がらない。この卓で母がいちばん息をゆるめているのは左手のほうだった。目の端で数えておく。母はこの人といると安らぐ。
途中で、父が汁椀を持つ手を滑らせた。こぼれもしなかったのに、すぐに肩をすぼめる。
次期女帝の父が、椀ひとつでここまで小さくなってしまうらしい。
皇配が穏やかに声をかけた。
「律音どのは、昔からお手が繊細でいらっしゃる。細やかな方ほど、いろいろとお気づきになる。私などはがさつで、気づくのが遅うございますよ」
皇配は一言で場を取りなした。父の気弱さを繊細さと言い換え、恥を美点へ差し替えている。
上に立つ者が、小さくなった人をそっと立たせる言い方だった。
父はほっとした顔をした。
「……皇配どのには、いつも、こうして助けられてばかりで」
「助けるなど。私は、律音どのがおられると、この卓が和らぐと思うております。それだけです」
父は恐縮しながら、嫌味なくその厚意を受け取った。甘えている自覚はあるのだろう。ありがたいとそのまま思っている。卑屈でもひねくれてもいない。育ちのいい受け取り方だった。
わたくしはそのやりとりを見ていた。
本来なら皇配こそが、律音から第一夫の座を実質的に取り上げている。次期女帝の父を差し置いて後宮の頂点にいる。取った顔をしてもおかしくない。なのに取られた側が気に病まぬよう、繊細さという言葉で包んでやっている。
立場でも損得でも人を計らない。
使える。
……いえ、違うわね。この人に使えるは失礼だわ。味方につけるべき人。母を支える実力があって、公正で、清潔で、安全。母を生かす戦いに、これほど頼りになる大人はそういない。
わたくしは皇配を、表のいちばん上に置いた。実の父を外した、同じ卓で。
膳が半ばまで進んだころ、母がふいにこちらを見た。
「華音。そなたの立太子の祝いに、諸州が瑞祥の献上を申し出ておるそうな。受けるか」
試すというより、思いついたから聞いた、という口ぶりだった。華音の記憶が作法を探しに行く前に、前世の頭が先に動いた。献上。聞こえはいいけれど、つまりは各州の持ち出し。取り立ての記録に載らない、体のいい追加の税。
「ありがたく、半分だけお受けします」
「半分?」
「はい。すべてお断りすれば、諸州はかえって競い合って積み増します。半分お受けして、残りは各州の蔵に納めさせ、立太子の祝いとして冬の備えに回させた、と触れを出します。祝いはいただき、恩は売れて、冬に飢える郡が減ります」
言い終えてから、しまった、と思った。素の仕事の口調が出た。卓が静かになっていた。
母が、わたくしを見ていた。焦点の薄いあの目ではなかった。久しぶりに戻ってきた者を確かめるような目だった。
「……よう視える目じゃ」
それだけ言って、母は膳に戻った。戻る間際、口の端がわずかに動いた気がした。
やりすぎたかしら。いえ、いいのよ。無能で処刑されるより、有能で警戒されるほうが、まだ打てる手がある。転生者の店開きとしては上々だわ。
「殿下」
その皇配が静かに声をかけてきた。
「差し出がましいことを申します。立太子は重うございましょう。急に負うには、重すぎる荷やもしれませぬ。お困りのことがあれば、いつでも私に。母君の夫として、というより……母君の大切な娘御を案じる者として」
口調に押しつけがましさがない。
母の娘だから気にかける、という距離の取り方。踏み込みもしないし突き放しもしない。母を通してわたくしを気にかけている。身構える隙がどこにもなかった。
「……痛み入ります、皇配さま」
皇配さま、と自然に呼んでいた。
父上とは呼べない。血が繋がっていないし、そもそも実の父がこの卓にいる。ただの皇配と呼ぶには少し近い。皇配さま。親しみをひとさじだけ混ぜた呼び方が口から零れた。
皇配さまは目元だけで静かに笑った。
午餐を終えて部屋を辞すとき、頭の表を見直した。
母――最優先。絶対に守る。
律音――善良な実父。情の欄へ残し、戦力からは外す。
暁遠――母を支える、最大の味方候補。
きれいに並んだ。
初対面の午餐で、最大の味方を一人確保。上出来だわ。前世なら、自分にご褒美を買っている案件ね。




