第三話 エリーゼとクラリス
そんなある日。
フェリクスは急いでいた。
令嬢達に囲まれ、予定が押していたのである。
廊下を急ぐ。
ドン。
「きゃっ」
一人の令嬢とぶつかった。
ガチャン。
眼鏡が飛ぶ。
「ごめん……急いでいて。怪我はなかったかい?」
眼鏡を拾い、令嬢へ渡そうと顔を上げる。
トクン――。
(可愛い……素敵だ)
フェリクス・ウェルズは恋に落ちた。
鮮やかに。
あっという間に。
恋に落ちた相手は、子爵令嬢エリーゼ・フェアリーである。
(どうしましょう。お母様に、未来の婚約者様以外には素顔を見せるなって言われているのに)
エリーゼはフェリクスから眼鏡をむしり取るようにして、走って逃げた。
❖❖❖
エリーゼは薬師を目指す唯一の女子学生であった。
長い髪を二つの三つ編みにし、眼鏡をかけている。
なかなかのもっさり具合である。
薬師棟は学校のはずれにあった。
薬草畑の前に建つ、少々古びた建物。
薬草の独特な匂いもあり、薬師科の学生以外はほとんど訪れない。
「最近、フェリクス様をよく見かけないか?」
「確かに……。もしかして、令嬢達から逃げるためにこちらへ来ているのかもな」
恋愛偏差値が極端に低い薬師科男子は気付かない。
「ねぇ、聞いて。クラリス。 最近、フェリクス様がよく薬師棟に現れるんですって。なんでも追っかけから逃げているらしいの」
昼食時、仕入れた最新話題をドヤ顔で披露するエリーゼ。
その相手は、伯爵令嬢クラリス・モーガン。
エリーゼの幼なじみであり、親友である。
そして、世話好きである。
「なるほど……」
クラリスは、ゴクリと喉を鳴らした。
また別の日。
「ねぇ、聞いてよ。クラリス。 先日、フェリクス様に謝っていただいたのに逃げちゃったことあったでしょう? 悪いと思って、謝ったの」
「それで?」
「『ああ……』って、そっけなくされたのよ。随分噂と違う方ね」
クラリスの手からスプーンが滑り落ちた。
ガチャン。
「それは、フェリクス様の好き避けよ」
少々ボリュームのある声で、そう答えた。
❖❖❖
あれ……。
インクって、こんなになかったかしら?
最近、気付けば色々な物がなくなっている。
一番困ったのは、提出分のレポートが消えたこと。
「あれ? 昼食前に机へ入れていた気がするけど……おかしいわね」
エリーゼはしきりに首を傾げた。
お馴染みの昼食報告会。
「ねぇ、聞いて。クラリス。 最近、よく物がなくなるの。私の気のせいかしら?」
周りのどこからともなく、クスクスと笑い声が聞こえる。
「ちょっと、それ、いじめじゃない。フェリクス様の追っかけの嫌がらせよ」
「いじめ?」
「悔しいわね。エリーゼをいじめるなんて許さないわ。対策会議よ」
クラリスは空気を切るように答えた。
実はエリーゼ。
令嬢らしからぬ体型をしていた。
クッキーが大好きで、本を読みながらパクパク食べる。
見つからないように。
ほとんど動かないから、背中にも脂肪を蓄えていた。
「エリーゼ。まずは、そのだらしない身体をなんとかしなさい」
クラリスは家に上がり込み、隠してあったクッキー缶を奪い取った。
「ああ……私のクッキー……」
無視。
フェアリー子爵夫人の前にクッキー缶を差し出す。
あわあわしているエリーゼは勿論叱られ、クッキーは没収された。
それから毎日。
クラリスは家に上がり込み、エリーゼを外へ連れ出して散歩させた。
嫌がらせを受けて落ち込む日は、エリーゼを慰めた。
若さは素晴らしい。
半年ほど経つ頃には、綺麗に脂肪が落ちていた。
❖❖❖
そして、エリーゼは頑張った。
初めは足を掛けられれば、すぐにこけた。
ぶつかられれば、またこけた。
しかし身体を絞るほど俊敏になり、半年も経つ頃には――。
ひらり。
躱すまでになった。
一方。
フェリクスはというと、ヘタレが進行していた。
時間さえあれば薬師棟に足を向け、令嬢達を煙に巻く。
食堂でエリーゼを見れば、ぼーっと眺め続け、ポロリとパンを落とす始末。
誰が見ても惚れている。
なのに、その一歩が出ない。
周囲の方がやきもきする。
令嬢達は嫉妬の炎を燃やす。
そして、当のエリーゼ本人だけが気付いていない。
「ねぇ、クラリス。本当にフェリクス様って私のことが好きなの?」
「好きよ」
「でも全然そんな風には見えないんだけど。お会いして挨拶しても、顔を逸らされるのよ。なんか逆に嫌われてない?」
「それは思春期特有の好き避け。フェリクス様は、エリーゼが好き過ぎて自分をコントロールできないだけよ」
(まあ、正確にはヘタレと言うけど)
「それより、エリーゼはフェリクス様のことが好きでしょう?」
「う〜ん。そんなに好かれるならありがたいし、人柄も姿も、皆さんが憧れるだけあって素敵だと思う」
「それが、好きよ」
「そうなの?」
「そうよ」
クラリスは言い切った。
「それから、いいこと、エリーゼ。セシリア様がいじめを仕向けてるのよ」
「あんなに優しい方が?」
「そうよ。あの方は、内面と態度が随分違うタイプよ。笑顔の裏に、仄暗い本性を隠しているの」
エリーゼはゾッとした。
『お友達になりたいの』
確かにそう言われた。
「エリーゼ。あなたは下に見られてるの。悔しくないの?」
「え……」
「悔しいでしょう?」
「う……うん」
「絶対、フェリクス様と結ばれてギャフンと言わせましょう? 私がついてるから」
エリーゼはコクンと頷いた。




