第四話 嫉妬の業火
勿論、その間も嫌がらせは続いた。
発端は、セシリアの涙である。
放課後の教室。
令嬢達だけが残り、セシリアを慰めていた。
「フェリクス様が心変わりをしてしまいました」
セシリアは俯いた。
「エリーゼ様に心を移されてしまったようなのです」
はらはらと涙が落ちる。
「そんな……」
「セシリア様がお可哀想ですわ」
「エリーゼ様、セシリア様が婚約者だって知っているはずなのに」
セシリアは小さく首を振った。
「エリーゼ様を責めないでください」
「ですが!」
「きっと悪気はないのでしょう。フェリクス様にあれほど想われれば……自分が特別だと勘違いしてしまうのも、仕方ありませんもの」
沈黙。
フェリクスが、それほどエリーゼを大切にしている。
その事実を、令嬢達は突き付けられた。
嫉妬に火が灯った。
「……こんな時までフェリクス様のことを考えていらっしゃるのですね」
「私が身を引けば済むことですから」
「そんなのおかしいですわ!」
「セシリア様こそ、フェリクス様のお隣にいるべきです!」
「大丈夫です。私達がなんとかしますから」
「いけませんわ。そんなこと……」
セシリアは慌てて首を振った。
けれど。
どうしようもない事実に、奇妙な連帯感が生まれた。
婚約者のいる男性から想いを寄せられる。
それが、その婚約者をどれだけ傷つけることなのか。
思い知ればいいのよ。
❖❖❖
それから少しして。
セシリアは薬師棟を訪れた。
「エリーゼ様」
「セシリア様……」
エリーゼの顔が強張った。
フェリクスの婚約者。
そして、誰にでも優しいと評判の令嬢。
「私、あなたとお友達になりたかったの」
「私と……ですか?」
「ええ」
セシリアはエリーゼの手を取った。
「だって、フェリクス様が大切になさっている方ですもの。私も大切にしたいわ」
「セシリア様……」
エリーゼの表情がほころぶ。
「何か困ったことがあったら、いつでも仰ってね?」
「ありがとうございます。セシリア様って、本当にお優しいんですね」
「まあ」
セシリアは嬉しそうに微笑んだ。
(だから、友達、裏切るんじゃないわよ)
(本当に何も分かっていないのね)
エリーゼの手をそっと離す。
(私がどんな気持ちで、あなたの前に立っているのかも)
胸の奥に、黒いものが滲む。
(何も知らない顔をして、フェリクス様の心だけ奪って)
笑っていられるのも、今だけよ。
もう、ここへ来る理由はない。
❖❖❖
数日後。
セシリアは、また薬師棟にいた。
自分でも、何をしに来たのか分からなかった。
ただ、少し様子を見たかっただけ。
それだけ。
薬師棟の庭を覗く。
エリーゼがいた。
薬草の手入れをしている。
そして。
少し離れた柱の陰に、見慣れた姿があった。
フェリクスだった。
声をかけるわけでもない。
ただ、エリーゼを見ている。
セシリアは、その姿を知っていた。
何度も見てきた。
廊下の向こうから。
庭園の木陰から。
フェリクスを見つめる令嬢達。
あの視線が、セシリアは大嫌いだった。
婚約者がいると知っているくせに。
みっともない。
そう思っていた。
なのに。
今、フェリクスがエリーゼを見つめる目は。
あの令嬢達と、同じだった。
胸が痛んだ。
(そんな目で見ないで)
エリーゼが顔を上げる。
フェリクスが慌てて柱の陰へ隠れた。
(何をしているのよ)
声をかければいい。
いつものように。
誰にでも優しくするように。
そう思った。
でも。
(行かないで)
セシリアは唇を噛んだ。
自分でも、何を願っているのか分からない。
声をかければいい。
でも、かけないでほしい。
見ているだけならいい。
でも、見ないでほしい。
帰ればいい。
でも、帰れなかった。
エリーゼが薬草を抱えて笑った。
その瞬間。
フェリクスも笑った。
ただ見ているだけなのに。
嬉しそうに。
(私にも、そんな顔をしていた?)
していた。
きっと。
昔は。
婚約した頃には。
いつ?
思い出そうとした。
けれど、出てこなかった。
セシリアは、その場を離れた。
もう来ない。
二度と見ない。
こんなものを見たところで、傷つくだけだ。
そう決めた。
❖❖❖
翌日。
また、薬師棟の前にいた。
今日はフェリクスはいなかった。
ほっとした。
胸が軽くなった。
そのことに気づいて、腹が立った。
(どうして私が安心しているの?)
フェリクスは自分の婚約者なのだ。
エリーゼのところへ来ていない。
喜んで当然。
なのに。
しばらくすると。
(今日は来ないのかしら)
そんなことを考えていた。
来てほしいのか。
来てほしくないのか。
自分でも分からない。
その日は帰った。
そして次の日。
また来た。
フェリクスがいた。
胸が痛んだ。
(やっぱり来てる)
腹が立った。
なのに。
どこかで、ほっとしている自分もいた。
やっぱり。
私が苦しかったのは間違いではなかった。
私が嫉妬深いからではない。
フェリクスが、こんなにもエリーゼを想っているから。
だから仕方がない。
私は悪くない。
セシリアは、そう自分に言い聞かせた。
その向こうで。
フェリクスは今日も、エリーゼを見つめていた。
そしてセシリアは。
そんなフェリクスを、物陰から見つめていた。
ふと。
かつて自分が嫌っていた令嬢達を思い出す。
フェリクスを遠くから見つめていた女達。
みっともないと思っていた。
婚約者がいる男に縋って。
諦めることもできず。
ただ遠くから見ている。
――今の私は?
考えたくなかった。
だから翌日は行かなかった。
その次の日も。
行かなかった。
これでいい。
もう見なければいい。
そう思った。
三日目。
セシリアは、また薬師棟の前に立っていた。
いつからだろう。
エリーゼを確かめに来ているのか。
フェリクスを確かめに来ているのか。
それとも。
自分がまだ彼の婚約者なのだと、確かめに来ているのか。
セシリア自身にも、分からなくなっていた。




