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第94話「いらないそうです」


午前十時。


配達口のベルが鳴った。


好代が振り返るより早く、至誠が走った。


「戻りました!」


「何がですか」


「バーガーです!」


銀色の受け取り台に、紙袋が一つ。


口はきれいに折られている。


油染みもない。


至誠が伝票を持ち上げた。


「配送先、合っています! 時刻も合っています! 経路異常なし! ですが戻りました!」


好代は紙袋を見る。


「開けてもいいですか」


「はい!」


中にはバーガーが一つ。


冷めていない。


その上に、小さな紙が載っていた。


《いりません》


好代は二度読んだ。


「……いらないそうです」


「はい!」


至誠は元気よく答えた。


それから困った顔をした。



伝票には、まだ《未完了》と出ていた。


届け先は、ある世界線の集合住宅。


受取人、一名。


商品、一個。


配送条件。


《対象者による受領》


至誠が指でなぞる。


「玄関まで届けました! ご本人も確認しました!」


「受け取らなかったんですか」


「一度は持ちました!」


「では、受け取っていますね」


「でも返されました!」


好代は伝票を見る。


《未完了》


「変ですね」


「もう一度行きます!」


至誠が紙袋を持つ。


好代は止めた。


「待ってください」


「はい!」


「何をしに行くんですか」


至誠が止まる。


「届けにです!」


「一度、届けたんですよね」


「はい!」


「では、次は?」


至誠の口が開いたままになった。



十一時。


紙袋はカウンターの端に置かれていた。


バーガーはまだ温かい。


妙だった。


一時間経っている。


好代は袋の外側へ触れた。


温度が落ちていない。


「食べられるまで、待つんでしょうか」


「配送品なので、勝手には食べられません!」


「そうではなくて」


好代は手を離した。


伝票を見る。


《対象者による受領》


その下に小さく、推奨処理が増えていた。


《再配送》


至誠の顔が明るくなる。


「行ってきます!」


「待ってください」


また止める。


「好代ちゃん!」


「すみません」


「いえ! でも時間が!」


「本人は、いらないと言ったんですよね」


「はい!」


「では、もう一度持っていったら」


好代は少し考える。


「困りませんか」


至誠は紙袋を見る。


初めて、すぐには答えなかった。



昼。


配達口の端末から、受取人へ一度だけ連絡できた。


音声は使えない。


文字だけ。


好代が入力する。


《商品に問題がありましたか?》


返事。


《ありません》


《注文と違いましたか?》


《合っています》


《食べられませんか?》


少し間が空いた。


《食べられます》


至誠が画面へ近づく。


「では、なぜでしょう!」


好代も気になった。


入力しかける。


《なぜいらないのですか?》


そこで止めた。


消す。


代わりに。


《再配送を希望しますか?》


返事は早かった。


《しません》


そのあと。


もう一行来た。


《ハンバーガーは好きです》


好代の指が止まった。


さらに。


《でも今日は食べません》


至誠が画面を見る。


好代も見る。


紙袋から、焼いたパンのにおいがした。


好代は好きだった。


たぶん。


向こうの人も好きなのだと思う。


それでも。


いらない。


今日は。


「……そうですか」


好代は返信した。


《分かりました》


送信。


端末が鳴る。


《配送条件未達》



午後。


至誠は三回、紙袋の前を通った。


一回目は見るだけ。


二回目は伝票を確認した。


三回目。


「私、これを届ける約束なんです」


好代はソースを補充していた。


黄色。

白。

赤。


昨日より少ない。


「はい」


「届けられないのは、嫌です!」


「はい」


「でも、もう一回持っていくのも」


至誠は眉を寄せた。


「違う気がします!」


好代は赤いボトルを置く。


「私も、そう思います」


「ではどうしますか!」


「分かりません」


至誠が肩を落とす。


「分からないんですか!」


「はい」


好代は伝票を取った。


配送条件。


《対象者による受領》


その文字を見て。


少し下へスクロールする。


備考欄があった。


空白。


好代は入力する。


《受取人は商品を確認した》


次。


《受取人は再配送を希望しなかった》


最後。


指が止まる。


《受取拒否》


書こうとして。


やめた。


《「今日は食べない」を受領》


至誠が読む。


「これ、配送ですか?」


「分かりません」


好代は言った。


「でも、返事は届きました」


送信する。


端末が長く鳴った。


《配送条件未達》


その下。


《応答受領:完了》


二つが同時に残った。


至誠はしばらく見ていた。


「任務失敗です!」


「そうですね」


「でも」


紙袋を見る。


「もう行きません!」


「はい」


「……これでいいんでしょうか!」


「分かりません」


好代は少し考えた。


「少なくとも、今日は」


そこで止める。


言い切らなかった。


至誠も続きを聞かなかった。



閉店後。


紙袋はまだ温かかった。


配送品なので捨てられない。


食べることもできない。


再配送もしない。


好代は保管庫の一角を空けた。


昨日まで黄色いソースが一箱あった場所だった。


そこへ紙袋を置く。


至誠が伝票に書いた。


《未完了》


少し考えて。


その横にもう一つ。


《再配送しない》


「矛盾してます!」


「はい」


「気持ち悪いです!」


「少し」


二人で保管庫を閉めた。


翌朝。


紙袋は消えていた。


伝票だけが残っていた。


《未完了》は、そのまま。


《再配送しない》も、そのまま。


その下に。


見覚えのない一行が増えていた。


《受取人の選択:保持》


至誠が読んだ。


「……届けてないのに、残りました!」


好代は伝票を見た。


「はい」


「どうしますか!」


好代は伝票をファイルへ戻した。


「残しておきます」


「未完了ですよ!」


「はい」


好代は保管庫を閉めた。


「終わっていないなら、それも残します」

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