第94話「いらないそうです」
午前十時。
配達口のベルが鳴った。
好代が振り返るより早く、至誠が走った。
「戻りました!」
「何がですか」
「バーガーです!」
銀色の受け取り台に、紙袋が一つ。
口はきれいに折られている。
油染みもない。
至誠が伝票を持ち上げた。
「配送先、合っています! 時刻も合っています! 経路異常なし! ですが戻りました!」
好代は紙袋を見る。
「開けてもいいですか」
「はい!」
中にはバーガーが一つ。
冷めていない。
その上に、小さな紙が載っていた。
《いりません》
好代は二度読んだ。
「……いらないそうです」
「はい!」
至誠は元気よく答えた。
それから困った顔をした。
*
伝票には、まだ《未完了》と出ていた。
届け先は、ある世界線の集合住宅。
受取人、一名。
商品、一個。
配送条件。
《対象者による受領》
至誠が指でなぞる。
「玄関まで届けました! ご本人も確認しました!」
「受け取らなかったんですか」
「一度は持ちました!」
「では、受け取っていますね」
「でも返されました!」
好代は伝票を見る。
《未完了》
「変ですね」
「もう一度行きます!」
至誠が紙袋を持つ。
好代は止めた。
「待ってください」
「はい!」
「何をしに行くんですか」
至誠が止まる。
「届けにです!」
「一度、届けたんですよね」
「はい!」
「では、次は?」
至誠の口が開いたままになった。
*
十一時。
紙袋はカウンターの端に置かれていた。
バーガーはまだ温かい。
妙だった。
一時間経っている。
好代は袋の外側へ触れた。
温度が落ちていない。
「食べられるまで、待つんでしょうか」
「配送品なので、勝手には食べられません!」
「そうではなくて」
好代は手を離した。
伝票を見る。
《対象者による受領》
その下に小さく、推奨処理が増えていた。
《再配送》
至誠の顔が明るくなる。
「行ってきます!」
「待ってください」
また止める。
「好代ちゃん!」
「すみません」
「いえ! でも時間が!」
「本人は、いらないと言ったんですよね」
「はい!」
「では、もう一度持っていったら」
好代は少し考える。
「困りませんか」
至誠は紙袋を見る。
初めて、すぐには答えなかった。
*
昼。
配達口の端末から、受取人へ一度だけ連絡できた。
音声は使えない。
文字だけ。
好代が入力する。
《商品に問題がありましたか?》
返事。
《ありません》
《注文と違いましたか?》
《合っています》
《食べられませんか?》
少し間が空いた。
《食べられます》
至誠が画面へ近づく。
「では、なぜでしょう!」
好代も気になった。
入力しかける。
《なぜいらないのですか?》
そこで止めた。
消す。
代わりに。
《再配送を希望しますか?》
返事は早かった。
《しません》
そのあと。
もう一行来た。
《ハンバーガーは好きです》
好代の指が止まった。
さらに。
《でも今日は食べません》
至誠が画面を見る。
好代も見る。
紙袋から、焼いたパンのにおいがした。
好代は好きだった。
たぶん。
向こうの人も好きなのだと思う。
それでも。
いらない。
今日は。
「……そうですか」
好代は返信した。
《分かりました》
送信。
端末が鳴る。
《配送条件未達》
*
午後。
至誠は三回、紙袋の前を通った。
一回目は見るだけ。
二回目は伝票を確認した。
三回目。
「私、これを届ける約束なんです」
好代はソースを補充していた。
黄色。
白。
赤。
昨日より少ない。
「はい」
「届けられないのは、嫌です!」
「はい」
「でも、もう一回持っていくのも」
至誠は眉を寄せた。
「違う気がします!」
好代は赤いボトルを置く。
「私も、そう思います」
「ではどうしますか!」
「分かりません」
至誠が肩を落とす。
「分からないんですか!」
「はい」
好代は伝票を取った。
配送条件。
《対象者による受領》
その文字を見て。
少し下へスクロールする。
備考欄があった。
空白。
好代は入力する。
《受取人は商品を確認した》
次。
《受取人は再配送を希望しなかった》
最後。
指が止まる。
《受取拒否》
書こうとして。
やめた。
《「今日は食べない」を受領》
至誠が読む。
「これ、配送ですか?」
「分かりません」
好代は言った。
「でも、返事は届きました」
送信する。
端末が長く鳴った。
《配送条件未達》
その下。
《応答受領:完了》
二つが同時に残った。
至誠はしばらく見ていた。
「任務失敗です!」
「そうですね」
「でも」
紙袋を見る。
「もう行きません!」
「はい」
「……これでいいんでしょうか!」
「分かりません」
好代は少し考えた。
「少なくとも、今日は」
そこで止める。
言い切らなかった。
至誠も続きを聞かなかった。
*
閉店後。
紙袋はまだ温かかった。
配送品なので捨てられない。
食べることもできない。
再配送もしない。
好代は保管庫の一角を空けた。
昨日まで黄色いソースが一箱あった場所だった。
そこへ紙袋を置く。
至誠が伝票に書いた。
《未完了》
少し考えて。
その横にもう一つ。
《再配送しない》
「矛盾してます!」
「はい」
「気持ち悪いです!」
「少し」
二人で保管庫を閉めた。
翌朝。
紙袋は消えていた。
伝票だけが残っていた。
《未完了》は、そのまま。
《再配送しない》も、そのまま。
その下に。
見覚えのない一行が増えていた。
《受取人の選択:保持》
至誠が読んだ。
「……届けてないのに、残りました!」
好代は伝票を見た。
「はい」
「どうしますか!」
好代は伝票をファイルへ戻した。
「残しておきます」
「未完了ですよ!」
「はい」
好代は保管庫を閉めた。
「終わっていないなら、それも残します」




