第91話「誰の癖ですか」
開店前。
好代は、試食用のバーガーを半分に切った。
新しいものだった。
包み紙には、商品名より先に世界線番号が印刷されている。
「食べます」
誰に言うでもなく言って
一口。
酸っぱいソース。
焼いた玉ねぎ。
その次に来たのは、味ではなかった。
白い皿。
細い指。
皿の縁についたソースを、パンの端でぬぐう。
食べる。
またぬぐう。
最後に、皿を時計回りに少し回す。
知らない食卓だった。
知らない手だった。
そこで切れた。
好代は目を開ける。
自分の前には紙皿がある。
ソースが少し残っていた。
パンの端を持つ。
ぬぐった。
食べる。
皿を時計回りに少し回す。
止まった。
「……今の」
自分の手を見る。
もう一度、皿を見る。
「私の癖ではなかったと思います」
「どれ?」
背後から声がした。
輪廻が、冷蔵庫の横に立っていた。
片手に紙袋を持っている。
「いつからいましたか」
「皿を回す前」
「結構前ですね」
「うん」
輪廻は紙皿を見る。
「誰の癖?」
「分かりません」
「そっか」
それだけ言って、紙袋を冷蔵庫へ入れた。
好代は聞く。
「気にならないんですか」
「気になるよ」
輪廻は冷蔵庫を閉める。
「でも、誰のか分かったら何か変わる?」
好代は答えられなかった。
*
昼。
好代は三回、皿を回した。
一回目。
まかないのスープを飲み終えたあと。
二回目。
試作品のソースを味見したあと。
三回目。
客へ出すトレーを確認したあと。
三回目は、皿ですらなかった。
トレーを時計回りに少し回した。
「……増えています」
「何が?」
また輪廻だった。
今日はよく近くにいる。
「これです」
好代はトレーを元へ戻した。
「回すの」
「はい」
「やめたい?」
好代は手を離す。
「分かりません」
「じゃ、まだいいんじゃない」
「いいんですか」
「知らない」
輪廻は言った。
「わたし、昨日のわたしが何してたか全部覚えてても、今日やりたくないことあるし」
好代を見る。
「逆もあるよ」
「昨日はしていなかったのに、今日することですか」
「うん」
「それは普通では」
「じゃあ、それも普通なんじゃない?」
輪廻はトレーを指した。
好代は少し考えた。
「でも、これは誰かのものです」
「そうなの?」
「見ました」
「誰かがやってたのを?」
「はい」
「じゃあ、すきよちゃんがやったのは?」
好代は黙った。
輪廻は返事を待たず、紙袋を持って行った。
中身は最後まで分からなかった。
*
午後三時。
注文が途切れた。
好代は紙コップを補充した。
十個。
十個。
十個。
最後の一列だけ九個。
一個足す。
その横で、使い終わったソース皿を片づける。
指が縁へ伸びた。
止めた。
今度は意識していた。
パンの切れ端はない。
好代は皿を持ち上げる。
そのまま洗い場へ運んだ。
何もしなかった。
少しだけ、落ち着かなかった。
五分後。
まかない用に、小さなパンを一つ取った。
ソースを皿へ出す。
食べる。
最後に残ったソースを、パンの端でぬぐった。
皿を回す。
今度は、途中で止めなかった。
「好きなんですか、それ」
輪廻が言った。
好代は振り返らない。
「今日は、そうみたいです」
「誰の癖?」
「知りません」
「調べないの?」
好代は皿を見た。
調べようと思えば、できるかもしれない。
世界線番号はある。
記録もある。
食卓の形。
指。
皿。
絞れば、どこかまで辿れる。
「調べません」
「なんで?」
好代は少し考えた。
「今、私がこれをしたかったので」
輪廻は「ふうん」と言った。
それから自分の紙袋を開けた。
中にはプリンが二つ入っていた。
「一個いる?」
「いただきます」
「これ、わたしのじゃないけど」
好代の手が止まる。
「誰のですか」
「冷蔵庫に入ってた」
「それは駄目です」
「名前なかったよ」
「駄目です」
「でも今、わたしが食べたい」
「そういう話ではありません」
輪廻が笑った。
「違うんだ」
「違います」
「どこが?」
「プリンには、持ち主がいるかもしれません」
「癖には?」
好代は止まった。
輪廻はプリンの蓋に指をかけたまま待っている。
好代は冷蔵庫を見る。
「……確認します」
「うん」
「プリンは確認します」
「癖は?」
「しません」
「なんで?」
「違うと思うので」
「何が?」
好代は答えなかった。
まだ、うまく言えない。
輪廻も聞き直さなかった。
*
プリンは流焔のだった。
名前を書き忘れていたらしい。
輪廻は返した。
かなり嫌そうだった。
好代は自分でプリンを買った。
閉店後。
二人で食べた。
輪廻は蓋についたクリームを先に舐めた。
好代は見た。
「それ、輪廻さんの癖ですか」
「知らない」
「誰かから受け取ったものかもしれません」
「そうかも」
輪廻はもう一度、蓋を舐めた。
「でも今は、わたしが食べたいからやってる」
好代は自分のプリンを見る。
蓋には何もついていない。
少し残念だった。
食べ終わる。
スプーンを置く。
容器を時計回りに少し回した。
輪廻が見る。
好代も見る。
元へ戻さなかった。
次の日。
朝の試食で。
好代は最初から、皿を少し斜めに置いた。
食べ終わったあと。
時計回りに回すと。
ちょうど正面になった。
「……こっちの方がいいですね」
昨日見た食卓では。
最初から皿は正面だった。
そこだけは。
もう違っていた。




