第90話「半分じゃなかった」
昼のピークが終わる少し前。
昨日の女の子が来た。
一人ではなかった。
隣に、動画に半分だけ映っていた子がいる。
好代は、注文端末へ手を伸ばした。
「いらっしゃいませ」
二人とも返事をしなかった。
昨日の女の子が鞄を持ち直す。
缶バッジは外れていた。
「昨日の」
「はい」
「上げ直したやつ」
「はい」
隣の子が言った。
「消してほしいです」
好代の手が止まった。
昨日。
《いいよ。でも次は先に聞いて》
確かに、そう書いてあった。
「分かりました」
昨日の女の子が顔を上げる。
「でも、いいって言ったじゃん」
「言った」
「だから上げたんだけど」
「うん」
「じゃあ何で」
隣の子は答えなかった。
代わりに、スマートフォンを出した。
画面を好代へ向ける。
動画ではない。
コメントだった。
《左の子いらなくね》
《顔やば》
《こいつ誰》
《三秒で消して》
好代は四つ目で見るのをやめた。
「昨日は、こんなふうになると思ってなかった」
「私だって思ってなかったよ」
「でも消して」
「せっかく戻したのに」
二人の声が少しずつ大きくなる。
客席で紙コップの氷が鳴った。
好代はカウンターから出た。
「こちらへどうぞ」
窓際ではなく、入口から一番遠い二人席を示す。
「お水、お持ちします」
二人とも注文していなかった。
それでも好代は水を二つ置いた。
片方だけ、すぐに減った。
*
「好代ちゃんが消した方がいいって言ったんだよ」
昨日の女の子が言った。
隣の子が好代を見る。
「そうなんですか」
「はい」
好代は答えた。
「私が言いました」
昨日の女の子が少し安心した顔をした。
好代は続ける。
「そのあと、許可を取ってからなら、という話もしました」
「ほら」
「でも」
好代は昨日の女の子を見る。
「上げ直して大丈夫だとは、私は確認していません」
安心した顔が消えた。
「え」
「昨日、私は一度消した方がいいと思う、と言いました」
「うん」
「あなたは消しました」
「うん」
「そのあと、許可をもらいました」
「うん」
「それで、終わったと思いました」
好代は水滴のついたコップを見る。
「私もです」
二人が黙る。
「でも、終わっていませんでした」
隣の子が聞く。
「じゃあ、誰が悪いんですか」
好代はすぐには答えなかった。
昨日なら。
半分。
そんな言葉があった。
押した人。
勧めた人。
映った人。
見た人。
書いた人。
数字にすれば、きれいに分けられる気がする。
「分かりません」
好代は言った。
昨日の女の子がため息をつく。
「またそれ?」
「はい」
好代は一度うなずいた。
「でも、私の分がないとは思いません」
二人が好代を見る。
「私が昨日、意見を言ったことは消えません」
「でも好代ちゃん、上げろとは言ってないじゃん」
「はい」
「じゃあ関係なくない?」
「関係ないことには、したくないです」
好代はそこで止めた。
正しい言い方かは分からない。
だから、足さなかった。
*
動画は、その場で削除された。
昨日より時間がかかった。
削除ボタンを押す直前。
女の子は隣の子に聞いた。
「消すよ?」
「うん」
「ほんとに?」
「今は」
「今は?」
「あとで変わるかもしれない」
昨日の女の子が好代を見た。
「それありなの?」
好代は答える。
「あると思います」
「じゃあ、何回聞けばいいの」
「必要になったら、またではないでしょうか」
「めんどくさ」
「はい」
隣の子が笑った。
昨日の女の子も、少し遅れて笑った。
「好代ちゃん、そういうの好きそう」
「面倒なのは、あまり好きではないです」
「じゃあ何が好きなの」
好代は厨房を見る。
ちょうど新しいバンズの袋が開いた。
甘い匂いが流れてくる。
「バーガーです」
「知ってる」
今度は二人とも笑った。
*
夕方。
二人が帰ったあと。
好代はテーブルを拭いた。
水の輪が二つ残っている。
片方は大きい。
片方は小さい。
同じ布巾で拭く。
どちらも消えた。
スマートフォンが鳴った。
昨日の女の子からだった。
《コメントした人に消してって言うのは無理だった》
その下。
《スクショも残ってた》
少し間を置いて。
《半分じゃなかった》
好代は画面を見た。
返信欄を開く。
《そうですね》
打つ。
消す。
《すみません》
打つ。
それも消す。
考えて。
《私も、昨日は半分だと思いました》
送った。
すぐ既読がつく。
返事は来ない。
好代はスマートフォンを伏せた。
レジへ戻る。
次の客が待っていた。
「すみません、お待たせしました」
「おすすめある?」
好代はメニューを見る。
昨日までなら、少し迷ったかもしれない。
今日は一つを指した。
「私は、こちらが好きです」
客がその写真を見る。
「じゃ、それにする」
「はい」
好代は注文を入れる。
それから、客の顔を見た。
「ただ、お口に合うかは分かりません」
客が笑う。
「そりゃそうだ」
「はい」
厨房へ注文が飛ぶ。
好代は次のトレーを取った。
意見を言わないことと。
意見を言って、正解にすること。
その間は。
思っていたより、ずっと広かった。




