第71話「道がなくても」
朝。
ぱんでむの入口に。
一本の線があった。
黒い。
細い。
床を這うように伸びている。
昨日まで。
そんなものはなかった。
好代は。
しゃがみ込んだ。
棚を開く。
「……」
においがない。
正確には。
「無臭」ではない。
何かを嗅ごうとすると。
その手前で。
においそのものが途切れる。
「変ですね」
「何が?」
摩天ちゃんが。
隣に立った。
「これ」
好代は。
黒い線を指す。
「昨日、外へ伸びていたものと同じです」
「うん」
摩天ちゃんは。
線の先を見る。
「どこまで?」
「わかりません」
「じゃあ」
摩天ちゃんは。
一歩前へ出た。
「行ってみよう」
好代は。
少しだけ。
笑った。
「やっぱり行くんですね」
「道があるから」
「道なんでしょうか」
摩天ちゃんは。
足元を見る。
「線がある」
「はい」
「なら、道にできる」
好代は。
その言葉を聞いた。
そして。
昨日のことを思い出した。
誰かに届けるための道。
帰るための道。
まだ存在しない場所へ進むための道。
「……」
好代も。
一歩進んだ。
黒い線は。
二人の足元から。
ゆっくり。
前へ伸びていった。
第一章「道の先」
ぱんでむの外。
さらに外。
いつもの世界線の境界を越えて。
黒い線は。
何もない空間へ続いていた。
世頼ちゃんも来ていた。
「昨日より長いですね」
「はい」
好代が答える。
「でも」
「はい?」
「終点がありません」
世頼ちゃんは。
線を見る。
「届け先がない?」
「それとも」
好代は。
少し考える。
「まだ、見つかっていない」
摩天ちゃんが。
前を見る。
「どっちでもいい」
「え?」
「進めばわかる」
好代は。
少しだけ。
困った顔をした。
「摩天さんは、いつもそれですね」
「そう?」
「はい」
世頼ちゃんが。
小さく笑った。
「でも、今回は正しいかもしれません」
「どうして?」
「届け先を探すには」
世頼ちゃんは。
黒い線を見る。
「届ける側が動くしかないので」
摩天ちゃんが。
頷いた。
「じゃあ行こう」
三人は。
歩き始めた。
第二章「ない道」
しばらく進むと。
黒い線が。
突然。
途切れた。
「……」
好代が。
立ち止まる。
「ここです」
摩天ちゃんが。
前を見る。
何もない。
線もない。
世界線もない。
ただ。
暗い空間。
「戻る?」
世頼ちゃんが聞く。
摩天ちゃんは。
首を横に振った。
「まだ」
摩天ちゃんは。
足元を見る。
一歩。
前へ出る。
何もない。
それでも。
落ちなかった。
「……」
好代が。
息を止める。
摩天ちゃんの足元に。
線が生まれた。
黒ではない。
今度は。
薄い灰色。
一歩。
また一歩。
摩天ちゃんが進むたびに。
足元へ。
新しい道が現れていく。
好代は。
そのにおいを読もうとした。
「……」
やはり。
何もない。
でも。
少しだけ。
わかる。
「摩天さん」
「なに?」
「この道」
「うん」
「誰かが作ったんじゃありません」
摩天ちゃんが。
振り返る。
「じゃあ?」
「摩天さんが」
少し間。
「歩いたから、できています」
摩天ちゃんは。
自分の足元を見る。
「……そう」
それだけ。
でも。
その顔には。
ほんの少し。
嬉しそうなものがあった。
第三章「前へ進む理由」
道の途中。
三人は。
立ち止まった。
目の前に。
大きな裂け目がある。
その向こう側。
何かが見える。
建物。
街。
空。
でも。
遠い。
「どうする?」
世頼ちゃんが聞く。
摩天ちゃんは。
すぐには答えなかった。
「……」
好代は。
摩天ちゃんを見る。
「行けますか?」
「わからない」
「珍しいですね」
「何が?」
「摩天さんが『わからない』って言うの」
摩天ちゃんは。
少し考える。
「わからないものは、わからない」
「はい」
「でも」
摩天ちゃんは。
裂け目を見る。
「行きたい」
好代が。
少し驚く。
「どうしてですか?」
摩天ちゃんは。
しばらく黙った。
そして。
「前があるから」
「……」
「私は」
摩天ちゃんは。
自分の手を見る。
「前があると、行きたくなる」
「理由は?」
「知らない」
「怖くないんですか?」
「怖いよ」
即答だった。
好代は。
少し驚いた。
「怖い?」
「うん」
摩天ちゃんは。
裂け目を見る。
「何があるかわからない」
「それでも?」
「それでも」
一歩。
前へ。
「行く」
好代は。
その背中を見た。
強いから進むのではない。
怖くないからでもない。
「前があるから」
それだけで。
進む。
そのことが。
妙に。
摩天ちゃんらしいと思った。
第四章「好き」
裂け目の前。
摩天ちゃんが。
手を伸ばす。
空間が。
少しだけ開いた。
その瞬間。
ぱんでむのにおいが。
向こう側へ流れ込む。
草。
電子。
バーガー。
お茶。
花。
人。
そして。
「……」
好代が。
気づいた。
何かが。
返ってくる。
「何か来ます」
世頼ちゃんが。
身構える。
摩天ちゃんも。
構える。
けれど。
敵ではなかった。
一枚の紙。
向こう側から。
風に乗って。
飛んでくる。
好代が。
受け取った。
黄色い紙。
昨日のものと。
よく似ている。
でも。
書かれている言葉は違った。
「前へ」
好代は。
紙を見つめた。
棚を開く。
におい。
怖さ。
期待。
好奇心。
そして。
強い。
「好き」
好代は。
紙を見る。
「……」
摩天ちゃんが。
覗き込む。
「何て書いてある?」
「『前へ』です」
「そう」
摩天ちゃんは。
紙を見た。
そして。
少しだけ。
笑った。
「好きだな」
「何がですか?」
「こういうの」
好代は。
その言葉を聞いた。
「……」
「進めって言われるのが?」
「違う」
摩天ちゃんは。
裂け目を見る。
「進める場所があること」
好代は。
少し考えた。
「それが好き?」
「うん」
摩天ちゃんは。
頷いた。
「道があること」
「はい」
「道がないなら作れること」
「はい」
「進んだら、知らない場所へ行けること」
摩天ちゃんは。
少しだけ。
目を細めた。
「私は、それが好き」
好代は。
紙を見た。
昨日の「好き」。
今日の「前へ」。
二つの言葉が。
頭の中で。
静かにつながった。
第五章「自分のもの」
ぱんでむへ戻る。
夕方。
好代は。
一番奥の席に。
二枚の紙を並べた。
好き
前へ
その横に。
写真。
花。
封筒。
「……」
秩序ちゃんが。
やってくる。
「新しい記録ですか?」
「はい」
好代は。
二枚の紙を見せた。
秩序ちゃんが。
記録する。
「発見場所」
「外縁部です」
「発見者」
「私です」
「由来」
「不明です」
「内容」
秩序ちゃんが。
画面を見る。
「『前へ』」
「はい」
「意味」
「……」
好代は。
少し考えた。
「たぶん」
「はい」
「摩天さんのものです」
秩序ちゃんの手が。
止まる。
「根拠は?」
「本人が」
好代は。
笑った。
「好きだと言ったので」
秩序ちゃんは。
少し考える。
そして。
入力した。
『本人の発言により、摩天ちゃん自身の選好と確認』
「これなら」
秩序ちゃんが言う。
「記録できます」
好代は。
少し笑った。
「はい」
その時。
摩天ちゃんが。
後ろから顔を出した。
「何してるの?」
「摩天さんの『好き』を記録しています」
「……」
摩天ちゃんは。
少し照れたように。
目を逸らした。
「別に」
「好きなんですよね?」
「うん」
「じゃあ」
好代は。
紙を見る。
「残しておきます」
摩天ちゃんは。
しばらく。
黙っていた。
そして。
「……うん」
小さく。
答えた。
第六章「断片」
夜。
好代が。
一人で厨房を片付けていると。
摩天ちゃんが来た。
「好代」
「はい?」
「さっきの紙」
「はい」
「少し見せて」
好代は。
渡した。
摩天ちゃんは。
「前へ」と書かれた紙を見る。
その瞬間。
紙が。
光った。
「……!」
好代が。
棚を開く。
大量のにおい。
バーガー。
笑い声。
誰かを楽しませる気持ち。
道。
進む。
前へ。
そして。
その中心に。
一つ。
見覚えのある。
白いにおい。
「……ドナルド様」
摩天ちゃんが。
紙から手を離す。
「今」
好代が言う。
「何か感じましたか?」
「……少し」
「何を?」
「知らない記憶」
摩天ちゃんは。
自分の手を見る。
「でも」
「はい」
「私の記憶じゃない」
「……」
好代は。
頷いた。
「そうですね」
「でも」
摩天ちゃんは。
紙を見る。
「嫌じゃない」
「どうして?」
「わからない」
少し間。
「ただ」
摩天ちゃんは。
笑った。
「前に進みたくなる」
好代は。
その言葉を聞いた。
そして。
ようやく。
気づいた。
これは。
ドナルド様の力をもらったから。
摩天ちゃんが。
「前へ進みたい」のではない。
逆だった。
摩天ちゃんが。
もともと。
前へ進みたかった。
その性質が。
ドナルド様の中にも。
同じように存在していた。
だから。
触れた。
繋がった。
好代は。
そのことを。
棚にしまった。
「摩天さん」
「なに?」
「それ」
「うん」
「たぶん」
好代は。
少し笑った。
「最初から、摩天さんのものだったんだと思います」
摩天ちゃんは。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
紙を返した。
「……そうかもね」
それだけ。
でも。
その声は。
少しだけ。
嬉しそうだった。
第七章「新しい道」
深夜。
外縁。
昨日までの黒い線は。
消えていた。
その代わり。
薄い灰色の道が。
一本。
遠くへ続いている。
好代は。
その前に立つ。
棚を開く。
「……」
もう。
闇ドナルドのにおいだけではない。
もっと複雑だった。
好奇心。
期待。
恐怖。
そして。
「好き」。
好代は。
少し笑った。
後ろから。
摩天ちゃんが来る。
「明日も行く?」
「はい」
「じゃあ」
摩天ちゃんは。
道を見る。
「続きを歩こう」
好代は。
頷いた。
「はい」
その時。
道の先から。
小さな音がした。
カラン。
バーガーの包み紙が。
一枚。
こちらへ飛んできた。
好代が。
受け取る。
包み紙には。
何も書かれていない。
でも。
棚を開いた瞬間。
好代は。
一つのにおいを感じた。
まだ見たことのない世界。
まだ会ったことのない誰か。
そして。
その世界にある。
「好きなもの」。
好代は。
包み紙を見つめた。
「……」
摩天ちゃんが。
横から覗く。
「行く?」
好代は。
頷いた。
「はい」
二人は。
灰色の道を見る。
その道は。
まだ。
どこにも繋がっていない。
だからこそ。
歩く意味があった。
そして。
ぱんでむの奥。
一番奥の席では。
黄色い紙の隣に。
新しい包み紙が。
一枚。
静かに置かれていた。
そこには。
まだ。
誰の名前もなかった。




