第70話「帰る場所」
朝。
ぱんでむの一番奥。
二つの椅子。
花瓶。
写真。
黄色い紙。
白い封筒。
そして。
昨日の夜から置かれている。
小さな花びら。
好代は。
そこに立っていた。
棚を開く。
「……」
いつもの。
ぱんでむのにおい。
草。
電子。
バーガー。
お茶。
木。
花。
人。
そして。
ほんの少しだけ。
古い記憶。
でも。
以前とは違う。
あの席にあった。
「待っている」というにおいが。
もう。
ほとんどない。
「……」
好代は。
椅子に触れた。
冷たい。
普通の椅子だった。
「おはようございます」
秩序ちゃんが来る。
「おはようございます」
「どうですか?」
「……もう、ほとんど何もありません」
「そうですか」
秩序ちゃんは。
端末を見る。
「記録上も同じです」
「何か変化が?」
「昨夜、最後の異常記録が入りました」
「最後?」
「はい」
秩序ちゃんが。
画面を見せる。
そこには。
一行だけ。
『受取記録、復元』
好代は。
目を止めた。
「……」
「昨日まで」
秩序ちゃんが説明する。
「この人物について、来店記録と注文記録は復元されていました」
「はい」
「ですが」
「受取だけが」
「空欄でした」
好代は。
頷く。
「それが」
「今朝」
秩序ちゃんが。
画面を切り替える。
空欄だったところに。
文字が入っている。
受取済み
好代は。
しばらく。
何も言わなかった。
「誰が受け取ったんでしょう」
「わかりません」
「操作履歴は?」
「ありません」
「じゃあ」
好代は。
一番奥の席を見る。
「受け取った人が、記録されなかった?」
「可能性はあります」
「でも」
好代は。
首を傾げる。
「この人本人じゃないですよね」
秩序ちゃんは。
静かに頷いた。
「本人であるという証拠はありません」
「ですよね」
「むしろ」
秩序ちゃんは。
写真を見る。
「本人ではない可能性が高いです」
好代は。
写真の人物を見る。
顔は。
見えない。
名前も。
今は記録に戻っている。
でも。
本人がここへ戻ってきたわけではない。
では。
何が戻ったのか。
好代には。
少しずつ。
わかってきていた。
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第一章「帰ってきたもの」
昼。
郷愁ちゃんが。
一番奥の席に座っていた。
花を替えている。
好代は。
向かい側に座った。
「郷愁ちゃん」
「なに?」
「この席」
「うん」
「誰かが帰ってきたと思いますか?」
郷愁ちゃんは。
少し考えた。
「……ううん」
「違う?」
「たぶん」
花瓶へ。
花を一本入れる。
「帰ってきたんじゃなくて」
「はい」
「帰れる場所が、戻ったんじゃないかな」
好代は。
黙った。
「場所が?」
「うん」
郷愁ちゃんは。
空席を見る。
「ここに座っていた人がいた」
「はい」
「その人が好きだった」
「はい」
「その人を覚えている人がいた」
「はい」
「その人が残したものがあった」
郷愁ちゃんは。
花を見る。
「それが全部なくならなかったから」
「……」
「帰る場所だけは、残った」
好代は。
ゆっくり。
写真を見る。
「じゃあ」
「うん?」
「帰ってきたのは」
少し考える。
「人じゃなくて」
「うん」
「その人がここにいたという関係?」
郷愁ちゃんは。
笑った。
「たぶん、それ」
好代は。
胸の中で。
その言葉を。
一度だけ。
繰り返した。
関係。
人そのものではない。
記憶そのものでもない。
誰かが誰かを覚えている。
誰かが誰かを待っていた。
誰かが誰かへ。
ありがとうと言った。
その全部が。
ここに残っていた。
だから。
一瞬だけ。
「その人がいる」という形になった。
それだけ。
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第二章「最後の注文」
午後。
厨房。
好代は。
記録を確認していた。
「……」
昨日のバーガー。
普通のバーガー。
注文者。
あの人。
受取済み。
好代は。
少し不思議に思った。
「秩序ちゃん」
「はい」
「このバーガー」
「はい」
「誰が食べたんでしょう」
秩序ちゃんは。
記録を見る。
「食べた記録はありません」
「え?」
「受取記録だけです」
「じゃあ」
「誰かが持っていった」
「でも」
好代は。
棚を開く。
包み紙。
そこには。
食べた人のにおいがない。
代わりに。
「……」
花。
木。
椅子。
そして。
帰っていく人のにおい。
好代は。
少し驚いた。
「食べてない」
「はい」
「持って帰ったんでしょうか」
「その記録もありません」
「じゃあ」
好代は。
包み紙を見る。
「受け取っただけ?」
秩序ちゃんが。
頷く。
「そうなります」
好代は。
考えた。
「……それなら」
「はい?」
「最後に欲しかったのは」
少し。
間を置く。
「バーガーじゃなかったのかもしれません」
秩序ちゃんが。
好代を見る。
「何だったんですか?」
好代は。
一番奥の席を見る。
「自分が」
ゆっくり。
言う。
「ここにいてよかったっていうことを」
「……」
「確認したかったんじゃないでしょうか」
秩序ちゃんは。
答えなかった。
ただ。
その記録を。
一行追加した。
『受取後、異常なし』
好代は。
それを見て。
少し笑った。
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第三章「名前」
夕方。
一番奥の席。
好代は。
写真の裏側を見ていた。
そこには。
名前。
今は。
ちゃんと読める。
昨日まで。
その名前を見ても。
どこか。
薄い感じがしていた。
でも。
今日は違う。
ちゃんと。
一人の人の名前に見える。
「……」
好代は。
名前を声に出した。
一度。
それから。
もう一度。
「……」
誰も返事をしない。
それでも。
名前を言った。
その瞬間。
棚が。
静かに開いた。
古い服。
コーヒー。
バーガー。
雨。
駅。
そして。
ぱんでむ。
その人が。
ここへ来た日の記憶。
初めて。
バーガーを食べた時。
窓の外を見た時。
花を見た時。
一人だった。
でも。
一人でいることを。
嫌っていたわけではない。
ただ。
誰かと一緒に食べられたら。
少し嬉しかった。
そんな。
小さな感情。
好代は。
それを受け取った。
でも。
今度は。
自分の中へ。
しまわなかった。
「これは」
静かに。
言う。
「あなたの記憶です」
もう一つ。
「これは」
花を見た時の感情。
「あなたの好きだったもの」
そして。
最後に。
自分の胸へ手を置く。
「これは」
「私が、あなたのことを知ったということ」
好代は。
それを分けた。
記憶。
感情。
自分の感想。
全部。
別々。
でも。
一緒に。
ここに置いておく。
その時。
写真の人物の顔が。
ほんの一瞬だけ。
見えた気がした。
笑っている。
それだけ。
好代は。
目を細めた。
「……」
もう一度見る。
普通の写真。
顔は。
見えない。
でも。
それでいい。
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第四章「さようなら」
夜。
閉店時間。
全員の仕事が終わり。
フロアが静かになる。
一番奥の席。
好代は。
一人で立っていた。
郷愁ちゃんが。
花を置く。
秩序ちゃんが。
記録を確認する。
世頼ちゃんが。
白い封筒を持ってくる。
「これも」
「はい」
一番奥の席へ。
置く。
渾沌ちゃんも。
少し離れたところから。
見ている。
「……これで全部?」
好代が聞く。
秩序ちゃんが。
端末を見る。
「記録上は」
「はい」
「異常反応なし」
「はい」
「臭気反応」
秩序ちゃんが。
好代を見る。
「どうですか?」
好代は。
棚を開く。
「……」
何もない。
普通の席。
普通の花。
普通の写真。
普通の紙。
そして。
普通の空気。
好代は。
少し笑った。
「ありません」
秩序ちゃんが。
端末に入力する。
異常なし。
好代は。
一番奥の席を見る。
「……」
何か。
言わなければならない気がした。
でも。
言葉が出てこない。
郷愁ちゃんが。
隣に立つ。
「言わなくてもいいんじゃない?」
「……」
「もう」
郷愁ちゃんは。
空席を見る。
「待たなくていいんだから」
好代は。
少しだけ。
頷いた。
「……はい」
そして。
小さく。
言った。
「さようなら」
誰もいない。
返事もない。
それでも。
その言葉を。
置いた。
その瞬間。
花瓶の花が。
一度だけ。
揺れた。
それだけ。
そして。
写真が。
静かに。
普通の写真へ戻った。
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第五章「空席」
翌朝。
一番奥の席。
何も起きない。
椅子は動かない。
花は増えない。
注文票も出ない。
声も聞こえない。
誰もいない。
本当に。
ただの空席だった。
好代は。
その前に立った。
少し。
寂しかった。
でも。
悪い寂しさではない。
「……」
渾沌ちゃんが。
隣に来る。
「寂しい?」
好代は。
頷いた。
「はい」
「そっか」
「でも」
好代は。
席を見る。
「これでいいと思います」
「うん」
「誰かがいなくなったから」
「うん」
「席までなくす必要はないですから」
渾沌ちゃんが。
笑った。
「そうだね」
二人は。
しばらく。
その席を見ていた。
そこには。
誰もいない。
でも。
だからこそ。
誰かがいたことを。
覚えていられる。
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第六章「残った黒」
夜。
外縁。
真意ちゃんが。
一人で立っていた。
地面に。
小さな黒い痕跡。
「……」
真意ちゃんは。
それを見る。
指では触れない。
ただ。
痕跡を確認する。
「空席との接続」
端末へ。
入力。
「終了」
一度。
止まる。
そして。
別の欄を開く。
闇ドナルド。
過去の痕跡。
空席事件。
黒い粒。
黄色い紙。
写真。
すべてを。
照合する。
「……」
結果が出る。
真意ちゃんは。
画面を見る。
しばらく。
何も言わなかった。
やがて。
一つだけ。
呟く。
「やっぱり」
空席に。
闇ドナルドが来たのは。
空席そのものが原因ではない。
この場所に残っていた。
人と人との関係。
「好きだった」
「帰りたい」
「ありがとう」
「届けたい」
「受け取ってほしい」
そういう。
人間の小さな感情。
それが。
濃く残っていたから。
闇ドナルドは。
そこへ引き寄せられた。
そして。
取り込んだ。
真意ちゃんは。
黒い痕跡を見る。
「……」
でも。
一つ。
おかしい。
空席の事件は。
終わった。
なのに。
黒い痕跡は。
消えていない。
むしろ。
今。
空席から離れて。
別の方向へ。
伸びている。
真意ちゃんが。
その先を見る。
ぱんでむの外。
さらに遠く。
世界線の境界。
そこへ。
一本の黒い線が。
続いている。
「……」
真意ちゃんは。
端末を閉じた。
「次は」
誰に言うでもなく。
「向こうから来る」
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第七章「誰もいない席」
その夜。
好代は。
最後にもう一度。
一番奥の席を見た。
二つの椅子。
花。
写真。
黄色い紙。
白い封筒。
もう。
異常はない。
好代は。
安心した。
そして。
ふと。
思った。
「……」
この席には。
誰もいない。
だから。
座ってみよう。
椅子を引く。
座る。
向かい側。
空席。
好代は。
そこを見ながら。
バーガーを一つ。
自分の前へ置いた。
「いただきます」
一人で。
食べる。
普通のバーガーではない。
好代が食べられるもの。
一口。
噛む。
味。
香り。
温度。
全部。
自分のもの。
「……おいしい」
その言葉を。
静かな店内に置く。
誰もいない。
でも。
それでいい。
一番奥の席は。
もう。
誰かを待つためだけの席ではない。
誰かがいたことを残す席。
誰かを送り出す席。
そして。
これから。
誰かが座る席。
好代は。
バーガーを食べ続けた。
その頃。
ぱんでむの外。
黒い線が。
一本。
静かに伸びていた。
一番奥の席から。
遠い。
遠い世界線へ。
誰かを呼ぶように。
ではなく。
何かを。
こちらへ運ぶように。
そして。
その線の先で。
まだ誰も知らない場所に。
一つの影が。
立っていた。




