第68話「道のないところへ」
朝。
ぱんでむの外は。
よく晴れていた。
昨日までの雨が嘘みたいに。
窓から差し込む光が。
床に細長く伸びている。
好代は。
カウンターの上を見た。
昨日のバーガー。
まだそこにある。
白い包み紙。
誰の注文でもない。
誰のものかも。
まだわからない。
でも。
捨てる気にはなれなかった。
「おはようございます」
世頼ちゃんが来た。
「おはようございます」
世頼ちゃんは。
包みを見る。
「まだありますね」
「はい」
「届け先は?」
「まだ見つかっていません」
「そうですか」
世頼ちゃんは。
少し考えた。
「では」
「はい」
「今日も探しましょう」
好代は頷いた。
「はい」
その時。
厨房から。
声がした。
「どこまで?」
摩天ちゃんだった。
「届け先です」
世頼ちゃんが答える。
「それなら、私も行く」
「摩天さんも?」
「道がないなら」
摩天ちゃんは。
外を見る。
「作ればいい」
好代は。
少し笑った。
「それで見つかるんでしょうか」
「知らない」
摩天ちゃんは。
即答した。
「でも」
一歩。
前へ出る。
「行かなきゃ見つからない」
世頼ちゃんが。
静かに頷いた。
「その通りです」
渾沌ちゃんが。
厨房から顔を出す。
「二人とも似てるね」
「何が?」
摩天ちゃんが聞く。
「前に進むところ」
世頼ちゃんが。
少し笑う。
「私は届けたいだけです」
「私は進みたいだけ」
「じゃあ」
好代が。
二人を見る。
「目的は違うんですね」
摩天ちゃんは。
少し考えた。
「……そうかも」
世頼ちゃんも。
頷く。
「でも、行く方向は同じかもしれません」
好代は。
包みを持ち上げた。
「じゃあ」
三人で。
出発した。
---
第一章「昨日の場所」
外縁。
黒い粒が落ちていた場所。
何もない。
好代は。
地面にしゃがんだ。
棚を開く。
雨。
土。
石。
そして。
黒いにおい。
昨日より。
薄い。
「こっちです」
好代が歩き出す。
数歩。
十歩。
二十歩。
黒いにおいは。
少しずつ強くなった。
ところが。
突然。
消えた。
「……?」
好代が立ち止まる。
「どうした?」
摩天ちゃんが聞く。
「ここで途切れています」
「道が?」
「においが」
世頼ちゃんが。
周囲を見る。
「何もありませんね」
「はい」
好代は。
地面を嗅ぐ。
何もない。
空気にもない。
上にもない。
下にも。
「……」
摩天ちゃんが。
前を見る。
「じゃあ」
「はい?」
「ここから先に行けばいい」
「でも、においがありません」
「それでも」
摩天ちゃんは。
一歩進んだ。
「先はある」
その瞬間。
足元から。
黒い線が伸びた。
一本。
細い。
地面を這うように。
前へ。
「……!」
世頼ちゃんが。
息を呑む。
線は。
道のように伸びていく。
でも。
道の先には。
何もない。
ただの空間。
摩天ちゃんが。
その前に立った。
「行ける」
「何が見えるんですか?」
好代が聞く。
「何も」
「じゃあ」
「だから行く」
摩天ちゃんは。
足を踏み出した。
一歩。
空中へ。
落ちない。
足元に。
見えない何かがある。
摩天ちゃんは。
そのまま進んだ。
「……」
好代は。
驚いていた。
「道がないのに」
世頼ちゃんが。
微笑む。
「摩天ちゃんは」
一歩。
また一歩。
「道がないことを、道がないままにしておけないんです」
好代は。
その言葉を聞いた。
そして。
摩天ちゃんの背中を見る。
何かが。
ほんの少し。
変わっていた。
---
第二章「届ける人」
世頼ちゃんが。
包みを持った。
「では」
「はい」
「私も行きます」
世頼ちゃんが。
一歩。
空中へ踏み出す。
普通なら。
落ちる。
けれど。
落ちなかった。
まるで。
見えない道が。
世頼ちゃんにも続いている。
好代は。
少し驚いた。
「世頼さんも?」
「はい」
「どうして?」
世頼ちゃんは。
前を見た。
「届けたいからです」
それだけ。
その瞬間。
包み紙から。
小さな光が漏れた。
好代が。
棚を開く。
「……」
これは。
ドナルド様のもの。
でも。
まだ。
ほんの一部。
世頼ちゃん自身の気持ちに。
重なっている。
「世頼さん」
「はい」
「今」
「何か感じませんでしたか?」
「何がですか?」
「……」
好代は。
少し迷った。
「いえ」
まだ。
言わないことにした。
これは。
世頼ちゃん自身が。
見つけるものだから。
---
第三章「道の終わり」
三人は。
何もない空間を進んだ。
下には。
無数の世界線。
上にも。
横にも。
道はない。
ただ。
一本の黒い線だけが。
前へ伸びている。
好代は。
時々。
棚を開いた。
においは。
一定ではなかった。
近づいたり。
遠ざかったり。
突然。
別の方向へ流れたりする。
「変です」
「何が?」
摩天ちゃんが聞く。
「届け先が動いています」
「相手が?」
「はい」
「なら追えばいい」
「でも」
好代は。
立ち止まる。
「追いつけないと思います」
摩天ちゃんが。
振り返る。
「どうして?」
「においが」
好代は。
前を見る。
「先にあるんじゃありません」
「じゃあ?」
「私たちの後ろにあります」
三人が。
振り返った。
そこには。
何もない。
ただ。
今まで歩いてきたはずの道が。
消えていた。
「……」
世頼ちゃんが。
包みを見る。
「帰り道がありませんね」
摩天ちゃんが。
前を見る。
「なら」
「はい?」
「帰る必要はない」
一歩。
前へ。
「届け先まで行けばいい」
好代は。
思わず笑った。
「摩天さんらしいですね」
「そう?」
「はい」
世頼ちゃんも。
少し笑った。
「では」
二人は。
また進んだ。
---
第四章「それは誰の道」
やがて。
前方に。
何かが見えた。
小さな店。
古い建物。
窓。
扉。
そして。
一つのテーブル。
一番奥の席と。
よく似ている。
「……」
好代の棚が。
大きく開いた。
普通の人のにおい。
バーガー。
コーヒー。
雨。
古い木。
そして。
強い。
「帰りたい」
好代は。
息を止めた。
「ここです」
世頼ちゃんが。
扉へ向かう。
ところが。
摩天ちゃんが。
腕を出した。
「待って」
「どうしました?」
「道が変」
好代も。
見る。
扉の前。
黒い線が。
二本に分かれている。
右。
左。
どちらも。
店へ続いている。
「どちらが正しいんでしょう」
世頼ちゃんが聞く。
好代は。
棚を開く。
右。
知らない人。
左。
知っている人。
「……」
「どっち?」
摩天ちゃんが聞く。
「右は」
好代が言う。
「このバーガーを待っている人」
「左は?」
「……」
好代は。
少し迷った。
「このバーガーを返してほしい人」
世頼ちゃんが。
包みを見る。
「二人いる?」
「たぶん」
摩天ちゃんは。
左右を見る。
「じゃあ」
少し考え。
「両方行けばいい」
好代は。
首を振った。
「それはできません」
「どうして?」
「このバーガーは一つです」
「……」
摩天ちゃんが。
黙った。
世頼ちゃんも。
考える。
しばらく。
誰も話さなかった。
やがて。
好代が。
包みを見た。
「……」
そして。
小さく言った。
「返す相手を探していると思っていました」
「はい」
「でも」
好代は。
二本の道を見る。
「違うかもしれません」
「何が?」
「返してほしい人と」
一つ。
「待っている人」
もう一つ。
「同じ人かもしれません」
世頼ちゃんが。
目を見開いた。
摩天ちゃんは。
黙っている。
好代は。
続けた。
「返してほしいのは」
「はい」
「バーガーじゃなくて」
少し。
息を吸う。
「自分がここにいたことなのかもしれません」
その瞬間。
二本の道が。
一本になった。
---
第五章「扉」
古い店。
三人は。
扉の前に立った。
好代が。
ノブへ手を伸ばす。
触れる前に。
中から。
声がした。
『……ありがとう』
好代は。
止まった。
「聞こえました」
世頼ちゃんも。
頷く。
「私にも」
摩天ちゃんも。
「聞こえた」
扉が。
ゆっくり開く。
中には。
誰もいない。
一番奥の席。
二脚。
花瓶。
花。
そして。
テーブルの上に。
一枚の写真。
ぱんでむの。
一番奥の席だった。
「……」
好代は。
写真を手に取る。
裏には。
文字。
「帰る場所は、場所だけではない」
好代は。
その言葉を読む。
棚が開く。
たくさんの記憶。
渋谷。
ぱんでむ。
クルー。
千姿。
好代。
そして。
知らない誰か。
それらが。
一瞬だけ重なる。
でも。
混ざらない。
一つ一つ。
別々のまま。
存在している。
好代は。
少し笑った。
「……」
世頼ちゃんが。
聞く。
「どうしました?」
「いえ」
好代は。
写真を戻した。
「帰る場所って」
少し考える。
「誰かが残してくれるものでもあるんですね」
世頼ちゃんが。
頷いた。
「はい」
摩天ちゃんが。
窓の外を見る。
「じゃあ」
「はい?」
「道も同じ」
「道?」
「誰かが歩いたら」
摩天ちゃんは。
自分の足元を見る。
「そこが道になる」
好代は。
二人を見た。
「……」
なんとなく。
わかった。
世頼ちゃんは。
誰かへ届ける。
摩天ちゃんは。
誰も歩いていない場所を進む。
二人とも。
「まだ存在していない場所」へ。
何かを持っていこうとしている。
その時。
背後から。
声がした。
『返せ』
三人が。
振り返る。
黒い影。
そこに。
立っている。
以前より。
はっきりしていた。
赤と黄色。
黒い輪郭。
そして。
歪んだ存在感。
好代は。
棚を開く。
「……」
真意ちゃんに。
確認してもらった痕跡。
一致する。
「闇ドナルドです」
世頼ちゃんが。
少し身構える。
摩天ちゃんも。
前へ出る。
でも。
闇ドナルドは。
二人を見なかった。
好代だけを。
見ている。
『返せ』
好代は。
包みを抱える。
「何をですか?」
『……』
答えがない。
好代は。
もう一度。
聞く。
「バーガーですか?」
『……』
「記憶?」
『……』
「感情?」
『……』
黒い影の輪郭が。
大きく揺れた。
そして。
初めて。
言葉になった。
『……俺のものが、わからない』
好代は。
黙った。
その言葉を。
棚に入れた。
すぐに。
返事はしなかった。
やがて。
静かに。
「私も」
と言った。
「最初は、わかりませんでした」
闇ドナルドが。
止まる。
「でも」
好代は。
包みを見る。
「わからないものを、全部自分にしなくてもいいんです」
黒い影が。
少しだけ。
後ろへ下がった。
『……』
「一緒に探せます」
その言葉に。
闇ドナルドの中で。
何かが。
揺れた。
でも。
次の瞬間。
黒い空間が。
大きく裂ける。
闇ドナルドは。
その中へ消えた。
追わない。
追えない。
ただ。
消える直前。
一つだけ。
何かが。
こちらへ落ちてきた。
カラン。
小さな音。
好代が拾う。
それは。
黒い粒ではなかった。
小さな。
黄色い紙片。
そこには。
一言。
「好き」
とだけ。
書かれていた。
好代は。
それを見つめた。
そして。
少しだけ。
笑った。
「……」
摩天ちゃんが。
聞く。
「何?」
好代は。
紙片を。
大切に持つ。
「わかりません」
「そう」
「でも」
好代は。
前を見る。
「これは、誰かのものです」
世頼ちゃんが。
頷く。
「では」
「はい」
「届けましょう」
好代も。
頷いた。
「はい」
三人は。
帰り道のない場所を。
歩き始めた。
今度は。
後ろではなく。
前へ。
一本だけ。
新しい道が。
できていた。




