第58話「一緒に食べる場所」
「……一緒に食べたい」
好代は。
その感情を。
しばらく棚の中に置いた。
焦げた甘さ。
雨。
土。
金属。
空腹。
寂しさ。
そして。
一緒に。
それらは。
一つのものではなかった。
いくつもの感情が。
重なっている。
好代は。
ゆっくり目を開けた。
目の前には。
一番奥の席。
三つの椅子。
その中央に。
普通のハンバーガーが一つ。
「……」
好代は。
バーガーを見た。
自分は食べられない。
だから。
自分が食べるために。
ここにあるわけではない。
では。
誰が食べるのか。
好代は。
まだわからなかった。
第一章「一つでは足りない」
朝。
渾沌ちゃんが。
厨房から出てきた。
「すきよちゃん!」
「はい」
「昨日のバーガー、まだある?」
「はい」
「食べてない?」
「誰も」
「じゃあ」
渾沌ちゃんは。
新しいバーガーを二つ持ってきた。
「増やした」
「……」
「一緒に食べるなら」
渾沌ちゃんは。
三つ並べた。
「一個じゃ足りないでしょ」
好代は。
少し笑った。
「でも」
「うん」
「誰が食べるんでしょう」
「三人?」
「誰が?」
「すきよちゃんと」
「はい」
「私」
「はい」
「あと一人」
渾沌ちゃんは。
空席を見る。
「誰か」
「……」
「来るかもしれないじゃん」
好代は。
三つのバーガーを見る。
普通のバーガー。
何の異常もない。
ただ。
一つだけ。
黒いにおいが。
ほんの少し。
混ざっている。
「……渾沌さん」
「なに?」
「これ」
「うん」
「誰かのために作ったんですか?」
渾沌ちゃんは。
少し考えた。
「誰かっていうか」
「はい」
「食べたい人のため」
「……」
「食べたい人が来たら」
渾沌ちゃんは笑った。
「食べればいいじゃん」
好代は。
その言葉を。
棚へしまった。
第二章「席を増やす」
昼。
秩序ちゃんが。
一番奥の席を見ていた。
「椅子が一脚増えています」
「はい」
「昨日から」
「はい」
「記録します」
秩序ちゃんが。
端末を開く。
「三脚」
「はい」
「テーブルとの距離」
「はい」
「通常配置との差」
「はい」
「……」
好代が。
少し笑った。
「秩序さん」
「はい」
「こういうことも記録するんですね」
「もちろんです」
「どうして?」
秩序ちゃんは。
少し考えた。
「増えたものですから」
「はい」
「増えたなら」
秩序ちゃんは。
椅子を見た。
「理由があるかもしれません」
「……」
「理由がなくても」
「はい」
「増えたという事実は残ります」
好代は。
少し考えた。
「じゃあ」
「はい」
「誰かが座るために増えたのかもしれないことも」
「記録します」
秩序ちゃんは。
入力する。
一番奥の席:椅子三脚。
その下に。
用途不明。
好代は。
その文字を見た。
「用途不明」
「はい」
「なんだか、いいですね」
「そうですか?」
「わからないまま残せるので」
秩序ちゃんは。
少しだけ。
好代を見た。
「……そうですね」
その時。
三脚目の椅子が。
ほんの少し。
テーブルへ近づいた。
秩序ちゃんの端末が。
勝手に一行追加した。
使用者未確認。
秩序ちゃんが。
静かに。
その記録を保存した。
第三章「世頼ちゃんの届け方」
午後。
礼拝室。
世頼ちゃんが。
歌っていた。
好代は。
扉の前で立ち止まる。
今日の歌は。
いつもより。
少しだけ強い。
白い。
温かい。
まっすぐ。
好代は。
棚を開いた。
歌が。
どこかへ届いている。
遠い。
とても遠い。
その先に。
黒いにおい。
でも。
今日は。
焦げていない。
少しだけ。
柔らかい。
歌が終わる。
世頼ちゃんが振り返る。
「好代さん」
「はい」
「今日は、どうでしたか?」
「届いています」
「どこへ?」
「まだ、わかりません」
「そうですか」
好代は。
少し考えた。
「世頼さん」
「はい」
「届けるって」
「はい」
「相手が受け取らなくても」
「……」
「届けたことになりますか?」
世頼ちゃんは。
少し黙った。
「難しいですね」
「はい」
「でも」
世頼ちゃんは。
静かに言った。
「私は、届いてほしいと思って届けています」
「はい」
「だから」
少し考える。
「受け取るかどうかは、その人が決めることだと思います」
「……」
「私が決めることではないです」
好代は。
その言葉を聞いた。
「じゃあ」
「はい」
「『一緒に』も」
「はい」
「相手が一緒にいたいかどうかは」
「その人が決める」
「……はい」
好代は。
その答えを。
棚へしまった。
第四章「帰る場所」
夕方。
郷愁ちゃんが。
一番奥の席に。
新しい花を置いていた。
「また花ですか?」
「うん」
「毎日替えるんですか?」
「元気なうちは」
「昨日の花も残していましたよね」
「残してるよ」
郷愁ちゃんは。
古い花を小さな瓶へ移した。
「こっちは別にしておく」
「どうして?」
「前にあったものだから」
「……」
好代は。
その花を見る。
「郷愁さん」
「なに?」
「ここを」
少し考える。
「帰る場所にしたいんですか?」
郷愁ちゃんは。
少し驚いた顔をした。
「……誰の?」
「わかりません」
「それなら」
郷愁ちゃんは。
空席を見る。
「誰でもいいんじゃないかな」
「誰でも?」
「帰りたいと思った人が」
「……」
「帰ってきた時に」
郷愁ちゃんは。
花を置く。
「ここが残っていればいい」
好代は。
その言葉を聞いた。
「一緒に食べる場所にも?」
「もちろん」
「待つ場所にも?」
「うん」
「帰る場所にも?」
「うん」
郷愁ちゃんが。
笑った。
「席って、そういうものじゃない?」
好代は。
三つの椅子を見る。
「……そうですね」
第五章「誰が来るのか」
夜。
閉店時間。
三つの椅子。
三つのバーガー。
好代。
渾沌ちゃん。
そして。
空席。
渾沌ちゃんが。
椅子へ座る。
「いただきます」
好代は。
向かい側を見る。
誰もいない。
でも。
もう一つの椅子も。
少しだけ。
引かれている。
「……」
渾沌ちゃんが。
一口食べる。
「おいしい」
好代は。
その言葉を聞いた。
空席のにおいが。
少し動いた。
渾沌ちゃんが。
また一口。
「これ、好き」
好代は。
棚を開いた。
「……」
何かが。
近づいている。
でも。
外からではない。
店内。
空席の方から。
好代は。
その感情を読む。
「好き」
「食べたい」
「一緒にいたい」
「帰りたい」
全部。
少しずつ。
重なっている。
そして。
その奥に。
一つだけ。
違う感情。
怖い。
好代の手が止まった。
「……」
渾沌ちゃんが。
顔を上げる。
「すきよちゃん?」
「はい」
「どうしたの?」
「……この人」
「うん」
「一緒にいたいのに」
好代は。
空席を見る。
「怖がっています」
渾沌ちゃんは。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
自分のバーガーを。
テーブルの中央へ置いた。
「じゃあ」
「はい」
「無理に来なくていいんじゃない?」
好代は。
渾沌ちゃんを見る。
「……」
「ここに置いとけばいい」
渾沌ちゃんは。
笑った。
「食べたくなったら食べればいいし」
「はい」
「帰りたくなったら帰ればいい」
「はい」
「一緒にいたくなったら」
渾沌ちゃんは。
空席を見る。
「座ればいい」
好代は。
その言葉を聞いた。
そして。
とても小さな。
温かいにおいを感じた。
第六章「無理に呼ばない」
閉店後。
好代は。
一人で残った。
三つの椅子。
一つの空席。
二つの空になった包み紙。
そして。
まだ食べられていないバーガー。
好代は。
それを。
向かい側へ置いた。
「……」
そして。
言った。
「食べてほしいです」
返事はない。
「一緒にいたいなら」
沈黙。
「来てもいいです」
何も起きない。
「でも」
好代は。
続けた。
「来たくないなら」
少し間。
「来なくてもいいです」
その瞬間。
空席の椅子が。
少しだけ。
後ろへ引かれた。
好代は。
驚かなかった。
「……」
誰かが。
距離を取った。
逃げたわけではない。
拒絶したわけでもない。
ただ。
少しだけ。
離れた。
好代は。
それを見て。
「わかりました」
と言った。
「待っています」
椅子は。
それ以上。
動かなかった。
第七章「外のもの」
深夜。
ぱんでむの外縁。
黒い影が。
立っていた。
前より。
近い。
でも。
入ってこない。
影の前に。
白い包み紙が。
置かれている。
中には。
バーガー。
誰かが。
置いた。
影は。
しばらく。
動かなかった。
やがて。
ゆっくり。
手を伸ばす。
触れない。
少しだけ。
近づく。
また。
止まる。
その瞬間。
ぱんでむの中。
一番奥の席の椅子が。
一脚。
ゆっくり動いた。
誰もいない。
でも。
そこに。
「来ていい」という場所が。
できた。
影が。
それを感じたように。
顔を上げる。
好代は。
遠くから。
その気配を感じていた。
棚を開く。
黒いにおい。
焦げた甘さ。
空腹。
寂しさ。
好き。
怖い。
そして。
今までになかった。
安心。
好代は。
小さく息を吐いた。
「……」
影は。
バーガーを取らなかった。
まだ。
食べない。
ただ。
その場に。
立っている。
好代は。
それでも。
いいと思った。
受け取るかどうか。
食べるかどうか。
帰るかどうか。
一緒にいるかどうか。
決めるのは。
向こうだ。
好代は。
それを待つ。
すると。
外縁の影が。
初めて。
ぱんでむへ向かって。
ほんの少し。
頭を下げた。
礼なのか。
謝罪なのか。
それとも。
別の意味なのか。
好代には。
まだわからない。
ただ。
その瞬間。
影のにおいから。
焦げた甘さが。
ほんの少し。
薄くなった。
そして。
代わりに。
焼きたてのパンのにおいが。
ほんの一瞬だけ。
混ざった。
好代は。
そのにおいを。
棚へしまった。
「……待っています」
誰に向けた言葉なのか。
もう。
考えなかった。
一番奥の席には。
三つの椅子。
そのうち一つだけ。
まだ。
誰も座っていない。
それでも。
そこは。
空席ではなくなっていた。




