第57話「一緒に」
「……はい」
好代は。
向かい側の椅子を引いた。
誰もいない。
それでも。
「一緒に」
そう言った。
その言葉が。
店内に残った。
しばらく。
何も起きない。
好代は。
椅子に座った。
目の前には。
一つのバーガー。
普通のハンバーガー。
自分は食べられない。
だから。
向かい側に置いた。
「……どうぞ」
静かな店内。
時計の音。
厨房から聞こえる冷蔵庫の音。
遠くで。
ぱんでむの設備が動く音。
それだけ。
好代は。
しばらく待った。
そして。
向かい側の椅子が。
ほんの少し。
沈んだ。
ギッ。
好代は。
顔を上げた。
誰もいない。
でも。
確かに。
誰かが座った。
「……」
棚を開く。
においが来た。
古い家。
花。
パン。
温かい飲み物。
昨日までの人。
そして。
それとは違う。
もっと遠い。
焦げた甘さ。
雨。
土。
金属。
空腹。
好代は。
すぐに気づいた。
今日は。
二つのにおいが。
同じ場所にある。
「……」
古い客と。
外の何か。
初めて。
同じ席に。
重なっていた。
第一章「二人分」
朝。
渾沌ちゃんが。
一番奥の席を見ていた。
「すきよちゃん」
「はい」
「昨日のバーガー」
「はい」
「食べた?」
「誰かが」
「そっか」
渾沌ちゃんは。
少し嬉しそうだった。
「じゃあ、よかった」
「はい」
「でもさ」
渾沌ちゃんが。
向かい側の椅子を見る。
「昨日、ここ二人分だったよね」
「はい」
「今も?」
好代は。
棚を開く。
「……はい」
「誰と誰?」
「わかりません」
渾沌ちゃんは。
少し考えた。
「すきよちゃんでもわかんないんだ」
「はい」
「じゃあ」
渾沌ちゃんは。
椅子をもう一つ引いた。
「三人分にしよう」
「え?」
「二人だけだと寂しいじゃん」
好代は。
思わず笑った。
「そういう問題でしょうか」
「そういう問題だよ」
渾沌ちゃんは。
自信満々に言った。
「いっぱい座れる方が楽しい」
「……」
好代は。
その言葉を聞いた。
そして。
少しだけ。
棚を開いた。
渾沌ちゃんのにおい。
明るい。
温かい。
楽しい。
誰かと共有したい。
その感情が。
空席へ向かって。
ほんの少し広がった。
第二章「一つ増えた席」
昼。
一番奥の席には。
椅子が三つあった。
もちろん。
普段は二つしかない。
渾沌ちゃんが。
勝手に持ってきたのだ。
秩序ちゃんが見つけた。
「渾沌さん」
「なに?」
「椅子を一脚、どこから持ってきましたか」
「倉庫」
「記録は?」
「……してない」
秩序ちゃんが。
無言で端末を操作する。
「記録します」
「お願い」
好代は。
二人を見ていた。
いつもの会話。
いつものぱんでむ。
でも。
一番奥の席だけ。
少し違っている。
三つの椅子。
一つ目。
古い客がいた場所。
二つ目。
昨日まで誰かを待っていた場所。
三つ目。
今は誰もいない。
好代は。
三つ目を見る。
棚を開く。
何もない。
完全な空白。
「……」
そのことが。
逆に。
気になった。
「何もない席って」
好代が言う。
渾沌ちゃんが振り返る。
「うん?」
「どうして、こんなに気になるんでしょう」
渾沌ちゃんは。
三つ目の椅子に座った。
「ここ?」
「はい」
「普通だよ」
「普通ですか?」
「うん」
渾沌ちゃんは。
椅子を揺らした。
「誰も座ってないだけ」
好代は。
その言葉を聞いた。
誰もいない。
何もない。
それは。
異常ではない。
そう思った。
その時。
三つ目の椅子の下から。
小さな音がした。
カラン。
何かが落ちた。
好代が拾う。
小さな紙片。
何も書いていない。
ただ。
においだけがあった。
黒い。
そして。
ひどく遠い。
好代の顔から。
笑みが消えた。
第三章「紙片」
秩序ちゃんが。
紙片を調べている。
「普通の紙です」
「でも」
好代が言う。
「においがあります」
「はい」
秩序ちゃんも。
紙片を嗅ぐ。
「……私は感じません」
「そうですか」
好代が。
もう一度。
においを読む。
黒い。
焦げた甘さ。
でも。
第39話で感じたものより。
薄い。
「これは」
好代が言う。
「外のものです」
世達ちゃんが来た。
「外?」
「はい」
「歪者?」
「……同じ根を感じます」
世達ちゃんが。
紙片を見る。
「ここに来たんですか?」
「たぶん」
「いつ?」
「わかりません」
「でも」
好代は。
紙片を裏返す。
「これを置いていった」
秩序ちゃんが。
すぐに記録する。
「外部存在による物品接触の可能性」
「可能性ですか?」
「断定できません」
「そうですね」
好代は。
紙片を持ったまま。
少し考えた。
すると。
紙片に。
文字が浮かんだ。
一文字。
二文字。
三文字。
「一緒に」
全員が。
黙った。
渾沌ちゃんが。
小さく言う。
「……また?」
好代は。
紙片を見つめた。
「はい」
「誰と?」
「わかりません」
「何をするの?」
「わかりません」
世達ちゃんが。
紙片を見る。
「でも」
「はい」
「前と同じ言葉です」
好代は。
頷いた。
「だから」
少し間。
「怖いです」
渾沌ちゃんが。
珍しく。
何も言わなかった。
第四章「全員に伝える」
秩序ちゃんが。
全クルーへ連絡を入れた。
「一番奥の席にて、外部由来と思われる異常物品を確認」
すぐに。
クルーが集まり始める。
普段の業務を止める者。
訓練から戻る者。
厨房から出てくる者。
礼拝室から来る者。
記録を持ってくる者。
それぞれが。
三つの椅子を見る。
誰も。
すぐには近づかなかった。
好代は。
その光景を見ていた。
ぱんでむのクルーたち。
いつもの仲間。
いつもの顔。
それなのに。
この場所だけ。
空気が違う。
理性ちゃんが。
最後に近づいた。
「ふむ」
「理性ちゃん」
「これは妙じゃのう」
「はい」
理性ちゃんは。
紙片を見る。
「『一緒に』か」
「はい」
「誰と一緒なのじゃろうな」
「わかりません」
「お主にも?」
「はい」
理性ちゃんは。
少し考える。
「ならば」
「はい」
「今は、決めつけぬ方がよい」
「……」
「誘いなのか」
「はい」
「警告なのか」
「はい」
「ただの言葉なのか」
「はい」
理性ちゃんは。
湯呑みを持ち上げた。
「まだ何とも言えぬ」
「でも」
好代が。
窓を見る。
「外にいる何かは」
「うむ」
「私たちを見ています」
理性ちゃんは。
窓の外を見る。
「……そうじゃな」
その時。
遠くで。
音がした。
ドン。
全員が。
一斉に窓を見る。
第五章「外縁」
ぱんでむの外。
何もない。
暗い空間。
でも。
好代には。
見えた。
遠くに。
小さな影。
人の形。
立っている。
動かない。
「……います」
好代が言った。
何人かが。
構える。
影は。
動かない。
好代は。
棚を開く。
においが。
届く。
焦げた甘さ。
土。
雨。
金属。
空腹。
そして。
帰りたい。
「……」
影のにおい。
昨日と同じ。
でも。
今日。
もう一つ。
別のものが混ざっていた。
「一緒に」
好代は。
そう感じた。
影が。
ゆっくり。
手を上げた。
攻撃ではない。
指差している。
ぱんでむを。
一番奥の席を。
好代を。
「……」
好代は。
動かなかった。
影の輪郭が。
少しだけ。
揺れる。
その瞬間。
好代の棚へ。
強い感情が流れ込んだ。
空腹。
寂しさ。
羨望。
そして。
好き。
好代は。
息を止めた。
その「好き」は。
渾沌ちゃんのものとも。
世頼ちゃんのものとも。
郷愁ちゃんのものとも。
違う。
もっと。
壊れかけている。
好きなのに。
苦しい。
好きなのに。
遠い。
好きなのに。
届かない。
そんな感情だった。
「……」
影が。
一歩。
近づいた。
すると。
ぱんでむの外縁に。
細い亀裂が走った。
誰かが。
息を呑んだ。
亀裂は。
世界そのものに入ったように。
見えた。
でも。
影は。
それ以上。
進まない。
ただ。
そこに立っている。
そして。
もう一度。
手を上げた。
今度は。
一番奥の席を指した。
好代には。
その意味が。
なんとなく。
わかった。
「……あそこに」
好代が言う。
「帰りたいんですか」
影は。
動かない。
「それとも」
好代は。
少し考えた。
「誰かを、帰したい?」
影が。
ほんの少し。
揺れた。
第六章「近づかない」
摩天ちゃんが。
一歩前へ出た。
「……行く?」
好代は。
すぐに答えた。
「まだです」
摩天ちゃんが。
好代を見る。
「理由は?」
「わかりません」
「……」
「でも」
好代は。
外の影を見る。
「今は」
「うん」
「向こうも、こちらも」
「うん」
「まだ何もしていません」
摩天ちゃんは。
しばらく影を見る。
そして。
一歩。
戻った。
「……わかった」
誰も。
攻撃しない。
誰も。
近づかない。
影も。
近づかない。
それだけ。
数分。
十数分。
長い時間。
その場に。
二つの側が。
存在していた。
好代は。
不思議な気持ちになった。
怖い。
でも。
完全な敵意ではない。
「……」
その時。
影の向こうから。
何かが落ちた。
白い紙。
外縁のこちら側へ。
紙は。
亀裂を越えて。
ぱんでむの床へ。
ふわりと落ちた。
誰も動かない。
好代が。
ゆっくり近づく。
拾う。
普通の紙。
でも。
においがある。
黒い。
強い。
そして。
一つだけ。
普通の感情。
「食べて」
好代は。
目を見開いた。
第七章「普通のバーガー」
紙を拾った瞬間。
影が消えた。
亀裂も。
消える。
何事もなかったように。
外縁が。
元に戻る。
全員が。
しばらく。
動かなかった。
秩序ちゃんが。
最初に言った。
「……記録します」
世達ちゃんが。
「お願いします」
渾沌ちゃんは。
紙を見る。
「食べて?」
好代は。
頷いた。
「はい」
「バーガー?」
「たぶん」
「じゃあ」
渾沌ちゃんが。
厨房を見る。
「作ろうか」
好代は。
少し驚いた。
「今ですか?」
「うん」
「何を?」
「普通のハンバーガー」
好代は。
少し考えた。
「でも」
「うん」
「外のものが」
「うん」
「食べられるんでしょうか」
渾沌ちゃんは。
少し笑った。
「知らない」
「……」
「でも」
渾沌ちゃんは。
厨房へ歩き出した。
「食べてって言われたなら」
少し振り返る。
「食べられるものを作ってあげればいいじゃん」
好代は。
その背中を見た。
渾沌ちゃんは。
普通に厨房へ戻った。
パンを出す。
肉を出す。
野菜を出す。
ソースを出す。
いつもの仕事。
いつものバーガー。
でも。
今日は。
誰のために作るのか。
わからない。
敵かもしれない。
歪者かもしれない。
ただの誰かかもしれない。
それでも。
渾沌ちゃんは。
作る。
「すきよちゃん!」
「はい」
「ちょっと手伝って!」
「何を?」
「包むところ!」
「はい」
好代は。
厨房へ向かった。
そして。
一緒に。
バーガーを包んだ。
白い紙。
いつもの包み方。
最後に。
好代が。
一番奥の席へ運ぶ。
三つの椅子。
その中央へ。
バーガーを置く。
「……」
誰もいない。
でも。
好代は。
小さく言った。
「お待たせしました」
その瞬間。
遠くの外縁で。
何かが。
動いた。
今度は。
一歩ではない。
二歩。
三歩。
こちらへ。
近づいている。
好代は。
窓を見た。
そして。
棚を開いた。
今までで一番強い。
黒いにおい。
その奥に。
はっきりと。
一つの感情。
「一緒に食べたい」
好代は。
動かなかった。
その言葉を。
しばらく。
自分の中で。
受け止めていた。




