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第49話「受け取る人」


「……はい」


好代が答えた。


厨房の調理台に置かれたバーガー。


誰が作ったのか。


わからない。


いつ作られたのか。


わからない。


ただ。


まだ温かい。


好代は包み紙を見つめていた。


「受け取って」


さっき浮かんだ文字は。


もう消えている。


白い紙には何もない。


ただ、バーガーだけがある。


「……どうしましょう」


背後から声がした。


「食べれば?」


渾沌ちゃんだった。


「渾沌さん」


「だって、受け取ってって言われたんでしょ?」


「はい」


「じゃあ、受け取ればいいじゃん」


「でも、私……」


好代はバーガーを見る。


「食べられません」


「あ」


渾沌ちゃんは少し困った顔をした。


「そうだった」


「はい」


「じゃあ、私が食べようか?」


好代は少し考えた。


「……それでいいんでしょうか」


「わかんない」


渾沌ちゃんは正直だった。


「でも、置いておいても仕方ないし」


「そうですね」


好代はバーガーを持ち上げた。


その瞬間。


外から。


黒いにおいが。


一気に近づいた。


好代の手が止まる。


「……」


渾沌ちゃんも止まった。


「来た?」


「はい」


「どこ?」


「外です」


二人で窓を見る。


何もいない。


けれど。


においだけが。


確かに。


ぱんでむのすぐ外にある。


好代はバーガーを握ったまま。


動かなかった。


第一章「誰のためのバーガー」


秩序ちゃんが来た。


「何がありましたか」


「これです」


好代がバーガーを見せる。


秩序ちゃんは眉を寄せた。


「……調理記録がありません」


「はい」


「材料の使用記録もありません」


「はい」


「それなのに存在している」


「はい」


秩序ちゃんはバーガーをじっと見た。


「食べ物としては正常です」


「正常?」


真意ちゃんが後ろから来た。


「少なくとも、見た目と構造は」


「異常反応は?」


「微弱です」


真意ちゃんはルーペを取り出した。


バーガーを見る。


一秒。


二秒。


三秒。


「……」


真意ちゃんの眉が少し動いた。


「何か見えますか?」


好代が聞く。


「見えます」


「何ですか?」


「注文者」


好代と秩序ちゃんが顔を上げた。


真意ちゃんはバーガーを見たまま答えた。


「ただし」


少し間。


「誰なのかはわかりません」


「それは……」


「輪郭だけです」


「輪郭?」


「誰かが注文した」


真意ちゃんはルーペを下ろした。


「その事実だけが残っています」


好代はバーガーを見る。


「じゃあ、やっぱり誰かが……」


「待ってください」


真意ちゃんが言った。


「このバーガー」


「はい」


「注文されたものではあります」


「はい」


「でも」


真意ちゃんが少し黙った。


「注文者が、このバーガーを食べるとは限りません」


好代はその言葉を聞いて。


第46話から続いている空席を思い出した。


誰かが座った。


誰かが食べた。


誰かが帰ろうとした。


でも。


帰った記憶がない。


「……渡すため?」


好代が言った。


真意ちゃんは答えなかった。


「誰かに食べてもらうために、注文した」


「可能性はあります」


「誰かに」


「はい」


「受け取ってもらうために」


「……」


真意ちゃんは少しだけ目を細めた。


「その可能性もあります」


その時。


厨房のドアが。


カタン。


と鳴った。


全員が振り返った。


誰もいない。


ただ。


床に。


一枚の紙が落ちていた。


第二章「注文票」


秩序ちゃんが紙を拾う。


古い注文票だった。


黄ばんでいる。


文字も少し薄い。


でも。


商品名だけは読めた。


ハンバーガー


数量。


一。


受取席。


一番奥。


注文者。


空欄。


「また……」


好代が呟く。


秩序ちゃんは注文票を裏返した。


何もない。


真意ちゃんが覗き込む。


「年代は?」


「判定できません」


「紙そのものが古い?」


「違います」


秩序ちゃんが答えた。


「紙の状態と記録された時間が一致していません」


「どういうこと?」


渾沌ちゃんが聞く。


「古くなっているのに、古い時間に存在したとは限らない」


「……難しい」


「私も説明していて難しいです」


世達ちゃんが入ってきた。


「何をしているんですか」


「注文票です」


「またですか」


「はい」


世達ちゃんは紙を見る。


「……私、こういうの嫌いです」


「どうして?」


「仕事が増えるからです」


「それだけ?」


「それ以上ありますか?」


渾沌ちゃんが笑った。


「世達ちゃんらしい」


世達ちゃんは注文票を見た。


そして。


少しだけ表情を変えた。


「……この字」


好代が見る。


「知っているんですか?」


「いえ」


世達ちゃんは首を振った。


「でも」


注文票を裏返す。


「見覚えがあります」


「どこで?」


「わかりません」


「いつ?」


「それも」


世達ちゃんは疲れた顔のまま。


少しだけ困ったように笑った。


「……思い出せません」


好代は。


その瞬間。


世達ちゃんのにおいを読んだ。


書類。


疲労。


コーヒー。


それから。


ほんの少しだけ。


一番奥の席。


世達ちゃん自身が知らないはずの記憶。


誰かが。


世達ちゃんを待っている。


「……」


好代は何も言わなかった。


第三章「待っていた人」


その日の昼。


一番奥の席には。


客が座っていた。


若い女性だった。


一人。


普通の客。


注文はハンバーガー。


「こちらへどうぞ」


好代が案内する。


女性は席に座った。


「ありがとうございます」


好代は一瞬。


言葉を失った。


ここ。


また。


この席。


女性は何も知らない。


メニューを見て。


普通に注文した。


「ハンバーガーを一つお願いします」


「……はい」


注文を受ける。


厨房へ。


渾沌ちゃんがバーガーを作る。


パン。


肉。


野菜。


ソース。


チーズ。


普通のバーガー。


好代はそれを持って。


女性のところへ運んだ。


「お待たせしました」


「ありがとうございます」


女性は笑った。


そして。


包み紙を開いた。


好代はその場を離れようとした。


その時。


女性が言った。


「……あれ?」


「はい?」


「ここ」


女性が周囲を見る。


「前にも来たことがある気がします」


好代の足が止まる。


「そうなんですか?」


「たぶん」


女性は笑った。


「でも、変ですね」


「何がですか?」


「誰かと一緒に来た気がするんです」


好代は黙った。


「誰と来たかは思い出せないんですけど」


女性はバーガーを見る。


「ここで待ってた気がする」


好代の棚が開いた。


一気に。


古い席。


誰か。


バーガー。


待つ時間。


そして。


「ごめんね」


知らない声。


女性は何も知らないまま。


バーガーを一口食べた。


「……おいしい」


好代の胸が。


少しだけ苦しくなった。


その瞬間。


店の奥。


空席だったはずの椅子が。


一つ。


ゆっくり動いた。


女性は気づかない。


好代だけが見ている。


椅子が。


テーブルへ近づいた。


まるで。


もう一人分の席を作るように。


第四章「二人分」


好代は女性のテーブルを見る。


一人分のバーガー。


でも。


椅子は二つ。


女性が一つ。


もう一つ。


誰も座っていない。


「……」


女性が二口目を食べる。


「おいしいですね」


「はい」


「ここ、いいお店ですね」


「ありがとうございます」


女性は少し笑った。


「なんだか、帰りたくなくなります」


その言葉に。


好代は顔を上げた。


「……どうしてですか?」


「わかりません」


女性は笑った。


「でも、もう少しここにいたい」


好代には。


その気持ちがわかった。


この席には。


「帰りたくない」という記憶がある。


誰かを待っていた。


帰れなかった。


帰らなかった。


あるいは。


帰りたくなかった。


どれなのか。


まだわからない。


女性が最後の一口を食べる。


その瞬間。


二つ目の椅子が。


ギッ。


動いた。


女性が振り返る。


「……今、誰か座りました?」


好代の心臓が跳ねた。


「え?」


「椅子」


女性は笑う。


「動きましたよね?」


「……はい」


「誰かいます?」


「……」


好代は答えられなかった。


女性は。


空席を見つめる。


「なんか」


少しだけ。


寂しそうに笑った。


「待ってるみたいですね」


好代は。


何も言わなかった。


女性は包み紙を畳んだ。


「ごちそうさまでした」


その瞬間。


空席から。


黒いにおいが。


一瞬だけ。


立ち上がった。


女性の「ごちそうさまでした」と。


重なった。


好代は。


その二つを。


初めて同時に感じた。


第五章「違うもの」


女性が帰ったあと。


好代は席を調べていた。


秩序ちゃん。


真意ちゃん。


世達ちゃん。


そして渾沌ちゃんもいる。


「どうでした?」


秩序ちゃんが聞く。


好代は目を閉じる。


「変わりました」


「何が?」


「においです」


「薄くなった?」


「はい」


「空席のにおいが?」


「それもです」


好代は続ける。


「黒いにおいも」


真意ちゃんが聞く。


「消えた?」


「違います」


好代は首を振る。


「少しだけ、離れました」


「離れた?」


「はい」


「どこへ?」


好代は店の外を見る。


「……わかりません」


「なら」


真意ちゃんが考える。


「今日の客が、何かを変えた?」


「たぶん」


「何を?」


「わかりません」


好代は空席を見る。


でも。


今までと違う。


昨日まで。


この席は。


「誰かが帰ってこない場所」だった。


今は。


少しだけ。


「誰かが帰れる場所」に近づいている。


それが。


良いことなのか。


悪いことなのか。


好代には判断できなかった。


第六章「受け取ったもの」


夜。


閉店後。


好代は厨房にいた。


昼の女性が食べたバーガー。


その記憶を。


もう一度確認していた。


普通の日常。


仕事。


家。


買い物。


そして。


一番奥の席。


知らない誰かの記憶。


でも。


今度は。


一つだけ違った。


女性の記憶の中に。


自分自身の記憶ではないものが混ざっている。


白い包み紙。


一人分のバーガー。


二つの椅子。


そして。


誰かの声。


「次は一緒に食べよう」


好代は目を開いた。


「……」


その言葉を。


女性は知らない。


でも。


確かに受け取っていた。


そして。


好代も。


その記憶を受け取った。


「……受け取るって」


好代は小さく言った。


「こういうことなんでしょうか」


誰も答えない。


好代は自分の手を見る。


世界線バーガーの記憶。


誰かの感情。


誰かの知識。


今までも。


何度も受け取ってきた。


でも。


今回のものは違う。


能力ではない。


知識でもない。


ただ。


誰かが誰かに向けた。


小さな気持ち。


それだけ。


好代は少し笑った。


「……これは、嫌じゃないです」


その瞬間。


厨房の奥で。


音がした。


カサ。


好代が振り返る。


昨日と同じ。


白い包み紙。


でも。


今日は。


一つではない。


二つ。


並んでいる。


好代は近づく。


二つとも。


普通のハンバーガー。


ただ。


包み紙に。


それぞれ文字が浮かんでいた。


一つ目。


「受け取って」


二つ目。


少し時間を置いて。


「返して」


好代は。


二つのバーガーを見た。


受け取る。


返す。


同じ場所に。


正反対の言葉が並んでいる。


そして。


二つの包み紙の間から。


ごく小さな黒いにおいが。


立ち上がった。


今までより。


はっきりしている。


けれど。


まだ遠い。


好代は。


二つのバーガーに触れた。


一つ目は。


温かかった。


二つ目は。


冷たかった。


その違いだけが。


今夜の好代にわかった。


「……誰かが」


好代は呟いた。


「渡したいんですね」


そして。


もう一つを見た。


「誰かは」


少し間。


「返してほしい」


窓の外。


暗闇の中で。


何かが。


一度だけ。


動いた。


好代は振り返らなかった。


ただ。


二つのバーガーを。


両手で持った。


まだ。


どちらも。


誰に渡すべきなのか。


わからなかった。

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