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第47話「見つけたもの」


「ぱんでむそのものを、探している」


好代がそう言ったあと。


誰も、すぐには口を開かなかった。


店内には、営業終了前の静かな音だけが残っている。


厨房の換気扇。


冷蔵庫の低い駆動音。


どこかで食器が触れ合う音。


さっきまで普通だった。


それなのに。


今は全部が少し遠く聞こえる。


秩序ちゃんがインカムを下ろした。


「……確認します」


「はい」


「外縁部に何かがいる。ただし、現在位置は特定できない」


「はい」


「その何かが、ぱんでむを探している」


「そうです」


「根拠は?」


好代は窓を見た。


黒い影はもうない。


窓ガラスに残っていた跡も、いつの間にか消えている。


それでも。


「においです」


「歪者の?」


「……似ています」


好代は少し考えた。


「でも、第39話で会った歪者と同じだと言い切るには、まだわからないです」


真意が端末を閉じた。


「なら、断定はしない方がいいですね」


「はい」


秩序ちゃんが頷く。


「全クルー、警戒態勢を維持します。ただし、営業は継続」


渾沌ちゃんが振り返った。


「営業するの?」


「はい」


「外に何かいるのに?」


「外に何かいるからといって、今来ているお客様を帰す理由にはなりません」


渾沌ちゃんは少し考えた。


「……そっか」


好代は、その返事を聞いて少しだけ安心した。


ぱんでむは。


異常が起きても。


ぱんでむだった。


第一章「席を片付けない」


◆閉店前


一番奥の席だけ。


片付けられなかった。


テーブルの上には何もない。


包み紙もない。


飲み物もない。


椅子も元の位置に戻した。


それでも。


そこだけ。


誰かが座っていた感じが残っている。


好代はモップを持ったまま立っていた。


「……ここ」


渾沌ちゃんが隣に来る。


「まだ気になる?」


「はい」


「何か見える?」


「見えません」


「聞こえる?」


「聞こえません」


「じゃあ、何?」


好代は椅子を見る。


「……待ってる感じがします」


渾沌ちゃんは黙った。


「昨日から?」


「はい」


「その前から?」


「もっと前です」


「どのくらい?」


「わかりません」


好代は目を閉じた。


棚を開く。


この席。


昨日。


一昨日。


さらに前。


誰かが座った。


バーガーを食べた。


帰ろうとした。


その感触だけが残っている。


でも。


帰った記憶がない。


「……変ですね」


「うん」


「普通のお客様なら、食べて、帰ります」


「うん」


「でも、この人は違う」


「帰ってない?」


「……そうじゃないです」


好代は首を横に振った。


「帰ったかどうかが、わからないんです」


渾沌ちゃんが椅子に触れた。


「冷たいね」


「はい」


「誰かが座ってたのに」


「はい」


「変なの」


「はい」


渾沌ちゃんは椅子から手を離した。


「でも、嫌いじゃないな」


「え?」


「こういう席」


「どうしてですか?」


「誰かがいたって、わかるから」


好代は渾沌ちゃんを見る。


「誰かがいたことが?」


「うん」


渾沌ちゃんは空席を見た。


「誰もいないのに、誰かがいたってわかるのって……なんか、いいじゃん」


好代は少し考えた。


「……そうですね」


二人で。


しばらく空席を見ていた。


第二章「昨日の記録」


◆バックヤード


閉店後。


秩序ちゃんは昨日確認した記録をもう一度開いていた。


世達ちゃんもいる。


好代もいる。


「昨日の閉店時点では、この席に異常はありません」


秩序ちゃんが言った。


「でも、席は動いていました」


「はい」


「誰が動かしたかは?」


「記録なし」


世達ちゃんが端末を覗き込む。


「監視映像は?」


「あります」


映像が再生される。


夜。


客が帰る。


店員が片付ける。


最後にフロアが空になる。


一番奥の席。


何もない。


そして。


映像の時計が午前零時を示した。


その瞬間。


椅子が。


数センチ。


後ろへ動いた。


「……」


三人とも黙った。


映像の中には誰もいない。


風もない。


床も揺れていない。


ただ。


椅子だけが動いた。


好代が画面に顔を近づける。


「もう一度」


秩序ちゃんが戻す。


同じ映像。


椅子が動く。


「……その前」


「はい?」


「少し前に戻してください」


秩序ちゃんが戻す。


好代は画面を見る。


午前零時の少し前。


誰もいない席。


何も起きていない。


でも。


好代には。


何かがあるように感じた。


「止めてください」


映像が止まる。


「ここです」


「何かありますか?」


「……わかりません」


好代は画面に手を近づけた。


もちろん。


映像からにおいはしない。


それでも。


記憶を読むように集中する。


「……この席に」


「はい」


「誰かが座ろうとしている感じがします」


世達ちゃんが言った。


「座ったんじゃなくて?」


「違います」


好代は画面を見る。


「座ろうとして」


一瞬。


「……やめた」


秩序ちゃんが記録する。


「理由は?」


「わかりません」


世達ちゃんが椅子の映像を見る。


「座ることをやめた?」


「はい」


「どうして?」


「それも……」


好代は首を振った。


「わかりません」


秩序ちゃんは入力を続ける。


その時。


映像が乱れた。


一瞬だけ。


画面に人影が映る。


三人が同時に顔を上げた。


「……今」


世達ちゃんが言う。


「いましたね」


「はい」


秩序ちゃんが映像を止めようとする。


しかし。


人影はもうない。


好代だけが。


画面に残ったものを見ていた。


「……」


「好代さん?」


「この人」


「はい」


「昨日、私が感じた人と違います」


秩序ちゃんの指が止まる。


「違う?」


「はい」


好代は空席の映像を見る。


「昨日の人は、もっと……普通でした」


「では、今のは?」


好代は答えなかった。


ただ。


少しだけ。


嫌なにおいがした。


第三章「二つのにおい」


◆深夜


好代は一番奥の席に座っていた。


世達ちゃんは向かい側。


秩序ちゃんは少し離れたところで記録を取っている。


「まだ調べますか?」


世達ちゃんが聞いた。


「はい」


「眠くないですか?」


「少し」


「私もです」


「世達さんは、いつも眠そうですね」


「それは否定できません」


少し笑った。


その時。


好代の鼻が動いた。


「……」


「何ですか?」


「来ました」


世達ちゃんが立ち上がる。


「どこから?」


「わかりません」


好代は空席を見る。


さっきまで何もなかった。


なのに。


椅子から。


においがする。


一つ。


昨日の人。


少し古い服。


温かい飲み物。


バーガー。


帰ろうとした人。


そして。


もう一つ。


黒い。


焦げている。


甘い。


苦い。


「……二つあります」


世達ちゃんが黙った。


「何が?」


「においです」


「昨日の人と?」


「はい」


「もう一つは?」


好代は目を閉じた。


「わかりません」


「歪者?」


「……断定できません」


「でも、知っているにおい?」


「はい」


好代は少しだけ息を止めた。


「第39話で嗅いだものに近いです」


世達ちゃんの表情が変わった。


「……あの時の」


「はい」


「じゃあ」


「でも」


好代は遮った。


「同じとは限りません」


世達ちゃんは頷いた。


「そうですね」


二つのにおい。


重なっている。


けれど。


同じものではない。


好代には、それだけがわかった。


その時。


空席の椅子が。


ほんの少しだけ動いた。


ギッ。


二人が見る。


椅子は。


誰も座っていないのに。


テーブルへ向かっていた。


まるで。


誰かが座ろうとしているように。


第四章「ご注文は」


渾沌ちゃんがやってきた。


「まだ起きてたんだ」


「はい」


「何かあった?」


好代は説明した。


渾沌ちゃんは空席を見る。


「……二つのにおい?」


「はい」


「昨日の人と、もう一つ」


「はい」


渾沌ちゃんは少し考えた。


「じゃあさ」


「はい」


「もし、二人いるなら」


「はい」


「どっちがお客さんなの?」


好代は答えられなかった。


「……わかりません」


「バーガーを食べた方?」


「たぶん」


「じゃあ、もう一つは?」


「わかりません」


渾沌ちゃんは椅子を引いた。


「ここ、座っていい?」


「はい」


渾沌ちゃんが座る。


何も起きない。


「どう?」


「……」


好代はにおいを読む。


渾沌ちゃんのにおい。


バーガー。


厨房。


いつものにおい。


そこに。


空席に残っていた昨日のにおいが重なる。


好代は気づいた。


「……渾沌さん」


「なに?」


「昨日の人は」


「うん」


「渾沌さんがここに座っても、嫌がってないです」


「嫌がるの?」


「わかりません」


「じゃあ、いいじゃん」


渾沌ちゃんはテーブルを見る。


「ここで食べてもいい?」


「何をですか?」


「バーガー」


「今ですか?」


「うん」


厨房へ行き。


渾沌ちゃんが普通のバーガーを一つ持ってきた。


包み紙を開く。


「いただきます」


一口。


「うん。おいしい」


好代はそのにおいを読む。


渾沌ちゃんの「おいしい」。


いつもの。


でも。


空席のにおいが。


少しだけ変化した。


「……?」


「どうしたの?」


「今、空席から」


好代が言った。


「少しだけ、においが薄くなりました」


「私が食べたから?」


「わかりません」


渾沌ちゃんはもう一口食べた。


「じゃあ、もう一口」


さらに。


「おいしい」


空席。


また少し。


薄くなる。


好代は黙っていた。


これは。


誰かがバーガーを食べている時のにおいではない。


もっと。


遠く。


「……食べることを見ている?」


好代が呟いた。


渾沌ちゃんが止まる。


「誰が?」


「わかりません」


空席を見つめる。


そこには誰もいない。


それでも。


誰かが。


こちらを見ている気がした。


第五章「注文表」


翌朝。


秩序ちゃんは一枚の紙を持ってきた。


「好代さん」


「はい」


「昨夜の席について、気になる記録が見つかりました」


「何ですか?」


「注文履歴です」


好代が紙を見る。


そこには。


六十一日前の日付。


一件の注文。


商品名。


ハンバーガー


数量。


一。


注文者。


空欄。


受取席。


一番奥の二人席。


好代の指が止まった。


「……六十一日前」


「はい」


「この席に?」


「はい」


「でも、昨日調べた時は」


「記録がありませんでした」


「どうして今?」


秩序ちゃんは首を横に振る。


「わかりません」


世達ちゃんが紙を見る。


「注文時刻は?」


「ありません」


「支払いは?」


「ありません」


「受け取り記録は?」


「ありません」


好代は注文表を嗅いだ。


紙。


インク。


古い時間。


それから。


ほんの少し。


昨日の人のにおい。


「……この人です」


「注文者が?」


「たぶん」


「たぶん?」


「このにおいは、昨日の席に残っていたものと同じです」


秩序ちゃんが画面を見る。


「では、六十一日前にこの人が来店した?」


「はい」


「しかし来店記録はない」


「はい」


「注文だけ存在する」


「はい」


三人が黙った。


その時。


注文表の下に。


新しい文字が浮かんだ。


誰も書いていない。


インクが滲むように。


一文字。


また一文字。


受け取ってください


好代は息を止めた。


秩序ちゃんがすぐに記録する。


「発生時刻――」


「待ってください」


好代が言った。


注文表を見つめる。


「この人」


「はい」


「昨日の人じゃないです」


秩序ちゃんが顔を上げる。


「え?」


好代は紙を握った。


「においは同じです」


「なら同じ人物では?」


「違います」


好代は確信していた。


「この人は」


少し間。


「昨日の人に、何かを渡そうとしていたんだと思います」


世達ちゃんが注文表を見る。


「……渡す?」


「はい」


「何を?」


好代は答えられなかった。


その瞬間。


店の一番奥から。


カラン。


ドアベルが鳴った。


三人が振り返る。


誰もいない。


ただ。


二人掛けのテーブルに。


白い包み紙が一つ。


昨日と同じ。


何も書いていない。


好代が近づく。


においを読む。


昨日の人。


そして。


もう一つ。


黒いにおい。


二つが。


初めて。


同じ包み紙の中にあった。


好代は手を伸ばした。


触れる直前。


包み紙の中から。


かすかな音がした。


紙ではない。


人の声。


とても小さい。


聞き取れないほど遠い声。


それでも。


好代には。


一言だけわかった。


「……返して」


好代の手が止まった。


その声が誰のものなのか。


何を返してほしいのか。


まだわからない。


ただ。


一つだけ。


第46話からずっと残っていた空席が。


初めて。


誰かを待っているだけではないことが。


わかった。


誰かが、何かを取りに来るのを待っている。


好代は白い包み紙を見つめた。


そして。


その向こう側から。


黒いにおいが。


ほんの一瞬だけ。


こちらへ近づいた。


好代は顔を上げた。


窓の外には。


何もいなかった。

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