7話「輝く原石」
放課後の学生ホール。そこは、九十九学園という"鳥籠"の中でも、最も剥き出しの欲望と熱気が渦巻く場所だった。
天井まで届く巨大な壁面には、無数のホログラムウィンドウが明滅している。
そこにあるのは、企業からの資材回収依頼、政府からのダンジョン調査要請、あるいは学園周辺の治安維持を目的とした小規模なガイスト掃討。
ダンジョンは危険だ。只人が踏み込み、一歩間違えれば、情報の波に呑まれて存在そのものが消去される。
だが、そこは同時に、未知の鉱石や素子、この世界の物理法則を根底から覆すような貴重なリソースが眠る"宝の山"でもあった。
そして、それらを持ち帰る"ハッカー"という職業において、実力こそが唯一の正義だ。
(……さて。どうやってこの"Level 2"を脱出したもんかな)
俺は学生ホールの喧騒を背に受けながら、流れる依頼リストを眺めていた。
九十九学園において、生徒の評価を上げる――すなわちLevelを上げる方法は、大きく分けて二つ。
一つは、一学期に二回行われる中間試験と期末試験。そこでの実技演習の結果に基づき、教官が正式な再認定を行う。
だが、次の中間試験は5月末だ。悠長にそんなものを待っていては、月末に控える"新宿第11ダンジョン"での悲劇に間に合わない。結衣が消える一ヶ月後までには、俺は少なくともLevel 15以上の認定を受け、彼女と同じ遠征チームに潜り込む必要がある。
となれば、もう一つの方法を選ぶしかない。
この依頼掲示板だ。
ここに貼り出されている依頼は、難易度や戦果に応じてポイントが付与される。その働きが担当教員の目に留まれば、試験を待たずして即時Levelアップが認められる仕組みだ。
(まあ、今はLevel 2なんだ。人並みに仕事さえこなせば、誰だって認定を上げてくれるだろうよ。……問題は、どの依頼が最も"効率的"かだ)
俺は指先でホログラムをスクロールしていく。
安物のL-Gearでも対応可能な、手頃な低級ガイストの掃討。あるいは、学園内の物資運搬……。
そんなことを考えていた、その時だった。
「――てめえ、今なんつった!? 入学したばっかのヒヨッコが、俺に楯突いてんじゃねえよ!」
鼓膜を劈くような怒号が、ホールの静寂を無惨に引き裂いた。
俺は思わず、振り返る。
掲示板の正面、人だかりが割れたその中心で、一組の男女が"言い合い"をしていた。
いや、言い合いではない。
片方がもう片方を、一方的に威圧し、怒鳴りつけている。
立っていたのは、大柄な男だった。
身長は180センチ近くあり、筋骨逞しいその身体は、制服越しでもその頑強さが伝わってくる。中分けにした髪を肩のあたりまで伸ばし、その奥にある瞳には隠しきれない凶暴性が宿っていた。
制服のネクタイは黄色――三年生。
この学園において、三年生は既に一人前のハッカーとして扱われ始める時期だ。
対するもう一人は、新入生と思しき少女だった。
短く切り揃えられたショートカット。まだ着慣れていない様子の制服。彼女は不安げに視線を彷徨わせ、震える手で自分のL-Gearを握りしめている。
「た、楯なんてついてないです……ただ、私、その、自分の固有定義が、まだよくわかってなくて……」
少女の細い声は、男の威圧感にかき消されそうだった。
周囲の生徒たちは、関わり合いになるのを恐れるように、少し離れた場所から遠巻きに眺めているだけだ。
「知ってんだよ、入学時の適性試験のデータでよ。お前、"時間凍結"の固有定義が使えるんだろ?」
男のその言葉に、俺の眉がぴくりと動いた。
"時間凍結"。
47年分の記憶が、急速に再起動を始める。
(もしこれが、俺が知っているあの能力だとしたら……)
「は、はい……でも、私のはまだ、ほんの数秒、手のひらくらいの範囲を止めるのが精一杯で……」
「それを使って、ガイストの動きを止めろっつってんだよ! そうすりゃ、俺様の攻撃が百パーセント当たるわけだろ? お前みたいな一年が、俺様とパーティを組めるんだ。光栄に思えよ」
「でも、それって、私がガイストの至近距離まで行かないといけないんじゃ……? 私、まだ構築もまともにできないのに、そんなの危ないんじゃ……」
「あ゛? 知ったことかよ、そんなこと。お前はお前で自分の身を守れっつーの。全く、使えねえな、サポート向けの弱能力者はよ――」
男の手が、威嚇するように少女の肩へ伸びる。
少女は怯えたように目を瞑り、首を竦めた。
溜息が出そうになった。
ハッカーの世界において、力のある者が力のない者を導くのは当然の義務だ。
だが、自分の定義を命中させるための"固定具"として後輩を使い捨てにしようとする。その発想が、あまりにも低レベルで、汚い論理に見えた。
それに何より、"時間凍結"という能力。
(――確か、相当に希少な能力のはずだ)
使い手次第では、物理法則を根底からハックし、世界の在り方そのものを凍らせる究極の"管理者権限"になり得る、至高の原石。
それを"弱能力"と断じるその男の審美眼のなさが、SS級ハッカーとしての俺の矜持に、微かな不快感を抱かせた。
(……やれやれ。俺も、こういう面倒事には首を突っ込まない主義なんだがな)
だが、放っておけば彼女は無理やりパーティに入れられ、再起不能な傷を負うか、最悪の場合は命を落とす。
そうなれば、至高の領域に至れたはずの原石が、一つ欠けることになる。
俺はゆっくりと歩き出し、男と少女の間に割って入った。
「まあまあ、その辺にしときましょ、先輩」
俺の、どこか気だるげで、それでいて場にそぐわないほど落ち着いた声が、張り詰めた空気に波紋を広げた。
「あぁ……?」
男が、射殺さんばかりの鋭い視線をこちらに向ける。
背後にいる少女が、驚いたように目を開け、俺の背中を見つめるのがわかった。
(……ああ。やっぱり、面倒事に首を突っ込んでしまったな)
俺は心の中で、自分でも呆れるほど深い、深い溜息を吐いた。
目の前の三年生から放たれる、威圧的なWill-Bitの波動。
それを肌で感じながら、俺は鉛色のL-Gearをポケットの中で静かに握りしめた。




