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Protocol 17/47:SS級ハッカー、死の迷宮をやり直す  作者: 入江 鋭利
1章「最強ハッカー、死に戻る」
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4話「1%の虚飾」


 ホームルームが終わると、九十九学園の初日は騒がしく動き出した。


 午前中の身体測定を終え、昼休みを挟んだ午後の予定は、全生徒にとって最も憂鬱であり、かつ最も誇らしい時間――"固有定義(シグネチャー)"測定だ。


 地下二階にある巨大な演習ホールへと続く長い廊下を歩きながら、隣を行く結衣の顔は、朝の元気はどこへやら、ひどく浮かない様子だった。


「あーあ……。どうしよう湊。私、春休みに固有定義の訓練、サボっちゃった」


「サボってたのか?」


「宿題が忙しかったの! あー、もう。評価、下がっちゃったらどうしよう。(B)級への昇格、遠のいちゃうかも……」


 結衣は自分のポニーテールをいじりながら、情けない声を漏らす。


 ハッカーを評価する基準は大きく分けて二つある。

 

 一つは、"マテリアル・コード"。


 これはハッカーの意志ビット(Will-Bit)の総量や演算速度、これまでの戦果などを総合的に数値化した"物差し"だ。


 一から百までの"Level"で表され、その数値に応じて、鉛級(リード)鋼級(スチール)銀級(シルバー)といった階級に分類される。

 

 そしてもう一つ、ハッカーの個性を決定づけるのが、"固有定義"だ。


 一人に一つ備わった、世界を書き換えるための独自の"異能力"。


 どれほどレベルが高くても、この固有定義が使い物にならなければ、実戦ではただのデカいバッテリーでしかない。逆に、レベルが低くても定義さえ強力であれば、一発逆転の可能性を秘める"最強の武器"になり得る。


「まあ、別にお前はいいだろ。もともと強い固有定義なんだからさ。多少サボったところで、お前の"蓄光(ルミネセンス)"が錆びつくとは思えないしな」


「そうかなぁ……。でも、湊はいいよね、いつも落ち着いてて」


 結衣が羨ましそうに俺を見る。


 俺は肩を竦めた。


「俺なんて、最初から期待されてないんだ。悩むだけ無駄だよ」


 口ではそう言いつつ、俺は自分の胸の内に意識を向ける。


 俺の固有定義、"最適化(オプティマイズ)"。


 Will-Bitの燃費効率をわずかに向上させるだけの、この時代の評価基準では"ハズレ"の代表格。


 だが、47年の地獄を経て、俺はこの能力を磨き上げている。そうして、SS級ハッカー、マテリアル・コードで言えば、最上位の金剛(ダイヤモンド)級まで上り詰めたのだ――。


 

(――もっとも、それを今ここで披露するつもりは、毛頭ないがな)



 演習ホールに辿り着くと、そこには既に多くのクラスメートが集まっていた。


 ホールの中心には、教官の翡翠先生が、手元に計測用の特殊なL-Gearを携えて立っている。その鋭い眼光に見据えられ、生徒たちの間に緊張が走る。


「では、測定を始める。名前を呼ばれた者から前へ出ろ」


 翡翠先生の冷徹な声が響き、測定が始まった。

 

「次。田中、前へ」


 呼ばれた男子生徒が、意気揚々と中央へ進み出る。

 彼は自身のL-Gearを構え、全身のWill-Bitを右手に集中させた。


「はあああぁっ!」


 瞬間、彼の周囲に浮遊する無数の石の礫が出現した。


 それは凄まじい風切り音を立てながら、ショットガンのように演習用のターゲットへと叩きつけられる。


 派手な音と共に、ターゲットの装甲が火花を散らして凹んだ。


「……ふむ。出力は安定しているが、無駄な散乱が多すぎるな。ビットの三割が空気抵抗で霧散している。評価、55点。次」


 翡翠先生の辛口な採点に、田中と呼ばれた生徒は肩を落として戻っていく。


 俺の目から見ても、今の攻撃はひどく"汚いコード"だった。


 出力を上げることばかりに意識が行き、そのリソースがどう流動しているかが見えていない。若さゆえの暴走――。47歳の俺からすれば、微笑ましいとさえ思える。


「次。蛍原、前へ」


 名前を呼ばれ、結衣の身体がビクッと跳ねた。


 彼女は不安げな視線を俺に一度投げると、意を決して翡翠先生の前へ進み出た。


「蛍原結衣。……いきます!」


 彼女がデバイスを掲げた瞬間、演習ホールの照明が、まるで彼女に吸い込まれるように屈折した。


 固有定義、"蓄光"。


 L-Gearに溜め込んだ光をエネルギーに変換し、自身のビットと同期させる、極めて稀少かつ強力な定義だ。


 彼女の全身が、眩いばかりの純白の輝きに包まれる。


 一歩。

 彼女が踏み出した瞬間、その姿が残像となって消えた。


 高速移動。


 そして次の瞬間には、ターゲットの背後に現れた彼女の指先から、極太の光条(ビーム)が放たれた。



 ドォォォォン!



 爆音。


 演習用ターゲットの中央に、綺麗な円形の溶断孔が空いていた。


「……悪くない。休みの間に多少の緩みは見られるが、ビットの純度は高い。評価、88点。合格圏内だ」


「……っ! あ、ありがとうございました!」


 結衣がパッと顔を輝かせ、スキップせんばかりの足取りで戻ってくる。


 周囲の生徒たちからは、「さすがは特待生候補だ」と称賛と嫉妬の混じった視線が送られていた。


「湊、見た!? 私、なんとか大丈夫だった!」


「ああ、お見事。やっぱりお前は凄いよ、結衣」


 俺が本心から褒めると、結衣は少し照れくさそうに笑った。


 そして。


「次。炭崎、前へ」


 ついに、俺の番が回ってきた。


 周囲の空気が、一気に弛緩するのがわかる。


 期待の眼差しは消え、代わりに"休憩時間"のような、あるいは"滑稽な見世物"を見るような、侮蔑(ぶべつ)ぶべつの入り混じった冷ややかな視線が俺に刺さる。


(……さて、どうしたものかな)


 俺はゆっくりと翡翠先生の前へ歩み寄った。


 翡翠先生は、相変わらず無表情で俺を見つめている。だが、その瞳の奥には、どこか俺という存在を値踏みするような鋭さがあった。


「始めろ」


「はい」


 俺は、腰にある鉛色のL-Gear――学校支給の安物に手を添えた。


 本来なら、俺が本気でWill-Bitを回せば、このホール全体のエネルギーバランスが崩壊しかねない。


 だが、今の俺に求められているのは、そんな"最強"の姿ではない。

 

 俺は、脳内にある膨大な演算回路の99パーセントを意図的にシャットダウンした。


 残されたわずか一パーセントの領域で、極めて限定的な、極めて"つまらない"コードを走らせる。


「――実行(エグゼキュート)


 微かな起動音。


 デバイスから漏れ出たのは、結衣の輝きとは比較にならないほど、細く、頼りない青い光の粒子だった。

 

 俺は、その光を自分の身体の周りに、薄い膜のように展開させた。


 燃費効率を向上させる。


 それだけの、視覚的にも地味な現象。


(……まあ、こんなもんだろ)


 数秒間、その"粒子"を維持し、俺はデバイスを収めた。


「…………」


 翡翠先生は、手元の計器をじっと見つめていた。


 そして、短く告げる。


「評価、12点。ビットの消費効率上昇率は、1.0パーセント。……相変わらずだな」


 その言葉を合図に、教室内から失笑が漏れた。


「ひでぇ……。1パーセントって、誤差だろそれ」


「固有定義ってより、ただの節約術だよな」


「炭崎、あいつ、よくあんなので九十九学園に入れたよ。運だけはいいのかね」


 ひそひそと聞こえる嘲笑の声。


 結衣が「ちょっと、あんたたち!」と怒鳴ろうとするのを、俺は片手で制した。


「湊……」


「いいんだ、結衣。事実だしな」


 俺は、肩を竦めて自分の席へと戻った。


 憤りなど微塵(みじん)もない。むしろ、計画通りに事が進んだ安心感の方が大きかった。

 

 俺の目的は、ここで誰かに認められることではない。30年分の蓄積を使って、やりたい放題やろうなんてことは、微塵も考えていない。


 悪目立ちはむしろ避けた方が無難だ。今はまだ、"無能な炭崎湊"という隠れ(みの)が必要だろう。


(俺の力なんて、今はこんなもんでいいのさ)


 誰にも聞こえない声で、俺は独りごちた。


 枯れたふりをするのは、中年(おっさん)ハッカーの得意分野だ。


 だが。

 

 俺が席に戻る際、一瞬だけ翡翠先生と目が合った。


 彼は相変わらず無表情だったが、その計器を持つ指先が、ほんのわずかに震えていたのを、俺は見逃さなかった。

 

 12点という低い点数は、あくまでも固有定義の強度だ。


 しかし、気が付いたのだろう。最適化ビット効率――その1.0パーセントという上昇率が、コンマ以下の桁まで寸分も狂わず、"完全な一定値"で維持されていたことの異質さに。


 この場にいる"子供"たちの中で唯一、あの男だけが。


(……へえ、バレちまったか)


 まあ、いい。

 今日はこれで終わりだ。


 俺は、自分を笑うクラスメートたちの間を抜け、ホールの出口へと歩き出した。

 

 外は、まだ明るい。


 2040年の、穏やかで脆弱な人工太陽が、俺の背中を照らしていた。

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