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Protocol 17/47:SS級ハッカー、死の迷宮をやり直す  作者: 入江 鋭利
4章「最強ハッカー、運命に挑む」
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38話「書き換えられた運命(コード)」


 鼻を突く消毒液の匂いと、規則的に刻まれるバイタルモニターの電子音。


 重い瞼を押し上げると、視界に飛び込んできたのは、ひどく無機質な白い天井だった。


「……ここ、は」


 自分の声が、驚くほど掠れている。喉が焼けるように熱い。


 起き上がろうと身体に力を込めた瞬間、全身の節々に走ったのは、電流のような激痛だった。



「――っ! 先輩! 先輩が、目が覚めましたぁぁぁ!!」



 鼓膜を震わせる絶叫。視界の端から飛び込んできたのは、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした琥珀川芽依香だった。彼女は俺のベッドに縋り付くようにして、子供のように号泣し始める。


「よせ、琥珀川。……病人の耳元で大声を出すな」


 ベッドの脇に置かれたパイプ椅子。そこに座り、不機嫌そうに鼻を鳴らしたのはジジだった。だが、腕組みをしたその指先が微かに震えているのを、俺の目は見逃さない。


「フン。無茶を通り越して自殺志願者かと思ったぜ。"ヴォルテクス"をあそこまでボロボロにしやがって……おかげで俺の仕事が山積みだ」


「……悪かったよ。でも、おかげで生きてる」


 俺は苦笑し、自分の掌を見つめた。

 指先一つ動かすのにも、ひどい抵抗感がある。


 精神や技術は健在でも、17歳の肉体には、あの"フラクタル"の行使はあまりに過酷な負荷だったらしい。まるで、細い電線に超高電圧を無理やり流したような感覚だ。


(……"フラクタル"、か)


 辺りを見回してみるが、あの漆黒のバトンはどこにもない。


 右手の感覚を探ってみても、あの異次元の演算能力との接続は既に断たれている。


 やはり、あれはこの時代に存在する実体ではなかったのだ。俺が命を落としたあの日、あの場所で情報として霧散したはずのギアが、俺の意志の回帰に引き寄せられて結実した、一時的な影法師。


 それがもうここにないことは、口惜しくもあったが――それ以上に、寂しかった。


「湊。……お水、飲む?」


 花瓶の水を替えていた結衣が、静かに歩み寄ってきた。


 彼女の瞳は赤く腫れている。俺が意識を失っていた間、ずっとここにいたのだろうか。


「ああ、悪い。……俺、どれくらい寝てた?」


「3日。……丸3日、ずっと眠りっぱなしだったのよ」


 結衣がコップを差し出しながら、少しだけ呆れたように、けれど愛おしそうに目を細めた。


 一口含んだ水が、乾き切った体に染み渡っていく。



 ――結衣の話によれば、あの後、新宿第11ダンジョンの崩落は急速に収束したという。



 異変を察知した他の受験者が発した緊急信号を受け、学園の救助部隊――翡翠先生を含む一線級のハッカーたちが深層に突入。そこで彼らが目にしたのは、半壊した第14階層で意識を失っていた俺と、それを必死に守っていた結衣、そして満身創痍の尖晶先輩の姿だった。


「……他のみんなは?」


 俺の問いに、結衣の表情が曇った。


「尖晶先輩は……戦闘用のL-Gearは全損したけど、命に別状はないわ。でも、一緒にいた四回生の人たちは……公式には"行方不明"。事実上の、死亡扱いね」


 なるほどな、と俺は窓の外の街並みを眺めた。

 

 確かに、歴史は変わった。


 30年前、ここで確実に死ぬはずだった結衣は今、俺の隣で息をしている。


 だが、俺が払った対価と、俺の力をもってしても掬い上げられなかった命が、確かに存在する。


 "致命級"の顕現というバグを正すためには、これだけの犠牲が必要だったということか。


「湊? どうしたの、難しい顔して」


 結衣が心配そうに顔を覗き込んでくる。


 俺は、なんでもない、と笑って誤魔化したが、胸の奥に澱のように残っている"懸念事項"が、静かに警鐘を鳴らし続けていた。


 意識を手放す寸前、俺が結衣の背後に感じた、あの微弱なノイズ。


 あれは、ダンジョンの異常(エラー)ではない。


 

(……間違いない。あれは、()()()()()()()()()()()()だ)



 俺の脳裏に、2070年のあの日、俺の命を奪った瞬間の記憶が蘇る。


 俺の背後から、心臓を論理的に貫いた漆黒の人影。


 その顔は、ノイズに隠れて見えなかった。


 だが、その影が消え去った後の足元に、一つだけ落ちていたものがある。


(……結衣がいつもつけていた、あの髪飾りだ)


 もし。

 未来で俺を殺したのが、結衣だったとしたら?


 いや、そもそも彼女は30年前に死んでいたはずだ。死んだ人間が、どうして未来の俺を殺せる?

 

 矛盾。論理の破綻。

 

 彼女が死ぬはずだった運命を、俺は今、無理やり書き換えた。


 それは、彼女が"未来で俺を殺す"という結果に繋がる一本の線(ルート)を、期せずして開通させてしまったのではないか?

 

 あの瞬間に感じたノイズは、彼女の魂に刻まれた"未来の俺を殺すための種"だったのか。


(考えなければならないことが多すぎるな……)


「ちょっと! 琥珀川さん、湊に抱きつかないの! あんた、それでも一回生?」


 思考の深淵に潜り込もうとした俺を現実に引き戻したのは、結衣の刺々しい声だった。


「いいじゃないですかぁ! 私は湊先輩の"お守り"を作った功労者ですよ!? これくらいのご褒美、当然ですぅぅ!」


「お守りって……! あんた、あんな学園の規則外のギア作ったこと、まだ先生に怒られてないと思ってるの!? 離れなさいってば!」


 琥珀川は「いやですぅ!」と首を振りながら、俺の布団の上で芋虫のように身悶えている。


 結衣は顔を真っ赤にして、彼女の襟首を掴んで引き剥がそうと躍起になっていた。


「おい、やめろ……。ベッドが軋んで痛い……」


「あ! ほら先輩、口を開けてください! ジジさんと作ってきた、最高級の栄養ゼリー食べさせて差し上げます!」


「ちょっと、それは私の役目よ! 幼馴染を差し置いて何言ってんの!」


「関係ないですよ! 私と先輩は、何度も苦難を乗り越えてきたんですぅ!」


 ギャーギャーと騒ぎ立てる二人。ジジは呆れ果てたように「俺は帰るぞ」と言い残して、足早に病室を出て行った。



 ――騒がしい。



 けれど、この騒がしさが、俺にとってはどんな高度な論理回路よりも愛おしく感じられた。


 失われてしまうはずだったものが、今、ここにある。


 未来がどうなろうと。結衣が俺にとってどんな存在になろうと。

 

 少なくとも、あの日の"彼女の死"というバグだけは、俺の手でデリートしたのだ。


「……ふっ」


 自然と、口元に笑みがこぼれた。


「ちょ、ちょっと湊!? 何笑ってんのよ、気持ち悪いわね!」


「あぁ、先輩が笑った! 私の気持ちが通じたんですね!? そうなんですね!?」


「うるせえよ。……二人とも、ありがとな」


 俺は、病室の窓から差し込む柔らかな光を浴びながら、重い身体を横たえた。

 

 運命という名の巨大なコード。


 その最初の一行を、俺はようやく書き換えることができたのだ。

 

 第一のデバッグ、完了。


 だが、物語の真の深淵は、まだ情報の闇の奥で静かに俺を待っている。


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