35話「煌めく一閃」
ゴォォォォォォォォォッ!!
第14階層そのものが消滅したかと思うほどの、白銀の閃光。
70%の出力から放たれた衝撃は、テッセラクトの幾何学的な装甲を正面から粉砕し、その内側にある四次元の"核"へと肉薄した。
虹色の光と漆黒の光が激突し、互いの定義を削り合い、空間を白一色に染め上げていく。
「い、けぇぇぇぇ!!」
俺は腕が千切れるほどの負荷に耐えながら、全ての演算をその一点に注ぎ込んだ。
テッセラクトの核が、初めて恐怖を感じたかのように、不規則な振動を見せた。
勝った。
この出力なら、いかに致命級といえども、耐えきれるはずがない――。
――光の渦が収まり、周囲に静寂が戻り始めた。
俺は荒い呼吸を繰り返し、熱で赤く腫れた右腕を抱えながら膝をついた。
視界は情報のオーバーロードでかすれ、網膜に表示されるステータス・ログはエラーの奔流で塗りつぶされている。
(……やった、か……?)
煙の向こう側を凝視する。
そこには、核を半分以上剥き出しにしたテッセラクトの残骸が転がっている――はずだった。
だが。
――ズ、ズズ……ッ!
空間そのものが嫌な悲鳴を上げた。
煙の向こう側から漏れ出してきたのは、勝利を確信させるデータの消滅反応ではない。むしろ、それまでとは比較にならないほど濃厚で、濁ったWill-Bitの質量だった。
「……な、んだと……?」
自分の喉から、掠れた声が漏れる。
煙が晴れた先にいたのは、敗北した怪物ではなかった。
虹色の金属光沢を失った核は、剥き出しになったままドクドクと脈動している。そしてその核が、周囲に散らばる情報の瓦礫――崩落した壁のデータや、消滅した生徒たちの残滓であるノイズ――を、猛烈な勢いで吸い込み始めていた。
虹色は、不吉な紫黒へと塗り替えられていく。
結晶体はより複雑に、より鋭利に再構築され、その全高はさらに一回り巨大化していく。
(――嘘だろ。あの一撃を喰らって、まだ……"強制進化"だと!?)
絶望的な予測が脳内を駆け巡る。
未来の知識をもってしても、これは想定外だ。本来ならあの一撃で、テッセラクトの論理構造は崩壊していたはず。
だが――相手は、俺の想像を超えてきたのだ。
直後、進化したテッセラクトから、全方位に向けて衝撃波が放たれた。
「ぐ、はっ……!!」
ヴォルテクスは既に沈黙している。琥珀川が仕込んでくれた"お守り"も、先ほどの全力放射で燃え尽き、ギアの各所からは不吉な黒煙が上がっていた。
防御障壁すら張れなかった俺の身体は、木の葉のように吹き飛ばされ、硬いコンクリートの壁面に叩きつけられた。
「ガハッ……!」
肺から空気が絞り出され、視界がチカチカと明滅する。
身体中の骨が軋み、意識が遠のきかける。
万策尽きたか――。
30年後のあの日のように、また自分は、この場所で情報の塵に還るのか。
俺は、薄れゆく意識を歯を食いしばって繋ぎ止め、撤退の二文字を脳内に浮かべた。
今ならまだ、結衣を抱えて逃げる道があるかもしれない。プライドも計画も、今後の希望も捨て、生存のみに特化すれば――。
(…………ん?)
――だが、その思考を巡らせた瞬間、俺の両目は"あるもの"を捉えた。
それは、テッセラクトがその巨躯を現した際、空間を強引に引き裂いて作った裂け目の奥だった。
(……なんだ、あれは?)
赤黒いノイズが渦巻く裂け目の底に、周囲の不浄なエネルギーとは一線を画す、澄んだ光の粒が見えた。
それは、特定の法則性を持って明滅している。
(――"遺物"か……!?)
ダンジョンから稀に産出する、旧時代の、あるいは未知の高度なプログラムを内蔵した物体。
それらの中には、L-GearのようにWill-Bitを媒介できるどころか、現代の技術を遥かに凌駕する出力耐性を持つものも存在する。
(テッセラクトが出てきたあの場所は、得体が知れない。もし、あの裂け目の奥に未知の遺物が落ちているとしたら……ヴォルテクスを失った今の俺でも、Will-Bitを流し込む触媒にできるかもしれない)
希望の糸口。
しかし、それはあまりにも細く、危ういものだった。
(賭けてみる価値はある。……だが……!)
テッセラクトが、そんな余裕をくれるはずがなかった。
紫黒の結晶体となった怪物は、既に俺を排除すべき敵としてロックオンしている。
遺物を手に入れるためには、裂け目まで移動し、対象をスキャンし、自分の意志とリンクさせる必要がある。
その時間は、最短でも数秒。
今の満身創痍の俺にとって、その一瞬の隙は、永遠にも等しい致命的な空白となるだろう。
(考えろ。……考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ……!!)
47年の経験、SS級ハッカーの演算能力、未来の攻略知識。
持てるリソースのすべてを投じ、隙を作る方法を模索する。
だが、出される答えはすべて、テッセラクトの攻撃速度の前に不可能の烙印を押された。
紫黒の多面体が、ゆっくりと、確実に湊へと接近してくる。
逃げ場はない。
冷たい死の気配が、首筋を撫でた。
テッセラクトの幾何学的な"腕"が鎌首をもたげ、俺を情報の断片へと分解すべく振り下ろされようとした、その時だった。
「――っ、湊に触らないで!!」
鼓膜を震わせる、凛とした絶叫。
ドォォォォォォン!!
俺の眼前で、爆発的な光の奔流が巻き起こった。
テッセラクトの振り下ろされた腕が、正面から放たれた眩い光芒によって弾き飛ばされる。
「え……?」
驚愕と共に視線を向ければ、そこには、膝をつく俺を背にかばうようにして立つ一人の少女の姿があった。
「結衣……!?」
そこに立っていたのは、結衣――蛍原結衣、その人だった。
彼女の身に纏っているのは、これまでの演習で見せていた穏やかな光ではない。
自身の意志を限界まで燃やし、ギアから溢れ出すほどのエネルギーを凝縮させた、純白にして苛烈なまでの"蓄光"の輝き。
彼女は細剣型のL-Gearを両手で握り締め、全身を震わせながらも、決してその場を退こうとはしなかった。
「……湊。あんたばっかり、格好いいところ……見せさせないんだから!」
結衣は肩で息をしながら、目の前の巨大な絶望――進化したテッセラクトを、その強い意志を宿した瞳で真っ向から睨み据えた。




