34話「限界の向こう側(オーバー・クロック)」
接近するごとに、肌を焦がすような殺気が強くなる。
赤黒いノイズが吹雪のように吹き荒れ、視界に入る全ての物体が、歪んだ幾何学模様に溶けていくような、そんな死地の中心に、俺は狙いを定める。
ドォォォォン!!
Will-Bitを纏った俺の拳が、テッセラクトの側面を穿つ。
30年分の戦闘経験に裏打ちされた、寸分の狂いもない一撃。通常のガイストであれば、論理核ごと粉砕されてデータの塵に変わっているはずの衝撃だ。
だが、ヴォルテクスを介して右腕に返ってきたのは、惑星の核を殴ったかのような、絶望的なまでの硬度だった。
「……チッ。やはり、"致命級"ともなると、適応速度が異常だな」
俺は反動を利用して大きくバックステップし、間合いを取る。
テッセラクトの表面、俺が殴りつけた箇所が、瞬時にビスマス結晶のような複雑な積層構造へと組み替えられていく。こちらの打撃のベクトルを解析し、その衝撃を逃がし、無効化するための"最適解"を、奴は戦いながらリアルタイムで構築していた。
俺は、今直面している致命的な問題に、内心で舌打ちを禁じ得なかった。
(――マズいな。圧倒的に、突破力が足りん)
俺の固有定義である"最適化"。
それは、Will-Bitの消費を極限まで抑え、あらゆる演算を最小限のリソースで実行する、言わば"究極の省エネ"能力だ。これによって、俺はテッセラクトの展開する超高負荷領域の中でも、平然と活動することができる。
スタミナという概念を無視し、実質的に無制限の継戦能力を誇るのが、この能力の最大の売りだ。
――だが、それは裏を返せば、それだけの力でしかないということだ。
この能力自体には、空間を切り裂くような破壊力も、一撃で装甲をぶち破るような超出力の必殺技も存在しない。戦闘における俺の攻撃手段は、Will-Bitによる生身の身体強化と、ヴォルテクスから放つ単純なエネルギー放射の二択。
ボクシングに例えるなら、スタミナが無限で、相手のパンチを全て紙一重でかわし、何ラウンドでも的確にジャブを当て続けることはできる。
だが、相手が時速100キロで突進してくる巨大な岩石だった場合、ジャブを何万回当てたところで、その進行を止めることはできないのだ。
(こいつを倒すためには、この"最適化"されたWill-Bitを、強引に一点へ集約して出力を引き上げるしかない。だが――)
問題は、俺の肉体ではなく、手にしたヴォルテクスの方だった。
ヴォルテクスは、ジジと琥珀川が魂を込めて作り上げた傑作だ。
通常、この時代の学生が使うギア程度では、俺の放つ演算負荷の前に、一秒と持たずに融解する。
だが、ヴォルテクスは俺の全出力の約30%までを安定して受け止めることができるように設計されていた。さらに、ここ数日の二人による必死の調整によって、その許容範囲は40%まで引き上げられている。
この時代の技術水準で見れば、これは奇跡に近い数字だ。
しかし――目の前の怪物をデリートするには、それでも足りない。
(こいつの装甲を貫き、内側の四次元核を焼くなら……60、いや、最低でも70%程度の出力は必要だ。だが、そんなことをすれば――)
ギギギギ、ギシッ……!
テッセラクトの触手状の攻撃をビットの装甲で受け流した瞬間、不気味な軋み音が響いた。
左目のL-Gearに表示されるヴォルテクスのの健全度は、既にイエローゾーンを指している。
俺の演算が放つ熱量に、ギアの基板が耐えきれなくなっているのだ。これ以上の無理をすれば、ヴォルテクスは内側から焼き切れるだろう。そうなれば、俺は唯一の対抗手段を失い、この情報の深淵で裸のまま放り出されることになる。
(どうする? ……一旦退くか?)
脳内の1%が、冷徹な撤退案を提示する。
今の俺の速度なら、結衣ひとりくらい抱えて上層へ逃げ切ることは可能だ。このまま時間を稼ぎ、試験を中止させて、学園の総力を挙げてこいつを討伐させる。それが"論理的"な判断だ。
だが、俺の残りの99%が、それを即座に却下した。
(否。……ここで逃がせば、この怪物は数日のうちに第11ダンジョンの情報を全て食らい尽くし、さらなる進化を遂げる。そうなれば、2040年のハッカーでは、対処できるかわからん)
そして何より、そんな不確定な未来を許容すれば、いつかどこかで結衣が死ぬ運命に追いつかれることになるかもしれない。
「……ここで、確実に仕留める。一秒でも先延ばしにする理由はない」
俺はヴォルテクスのグリップを、砕けんばかりの力で握りしめた。
「――リミッター解除。出力、70%へ移行」
俺がそう呟いた瞬間、ヴォルテクスから立ち上る黒い蒸気のようなWill-Bitが、禍々しいまでの密度へと変化した。
メキメキ、パキッ。
漆黒の外装に、蜘蛛の巣状のヒビが入る。内部回路が熱暴走を起こし、火花が俺の肌を焼いた。
普通ならここで終わりだ。ヴォルテクスは粉々に砕け散り、俺は自滅する。
だが、それでも致命的な破損にまで至らなかったのは、俺の"最適化"だけが理由ではない。
俺の脳裏に、出発前の夜、工房で琥珀川が恥ずかしそうに語っていた言葉が蘇った。
『いいですか、先輩。今回の調整で、ヴォルテクスには私の、"時間停止"の定義を……その、お守り代わりに組み込んであります』
『といっても、外の時間を止めるほどの力はありません。でも……このギアが先輩の力に耐えきれなくなった時、ほんの僅かな時間なら、内部構造の崩壊という"事象"を停止させることで、物理的な破壊を防ぐことができるはずです』
「……全く。あいつは、俺以上に俺のことを分かってやがる」
俺は自嘲気味に笑った。
彼女の固有定義"時間停止"。本来は他者を止めるためのその力を、彼女はギアを内側から支えるために使ったのだ。回路が焼き切れるという"結果"が発生するまでの時間を、無理やり引き延ばしている。
「持てよ、ヴォルテクス。……お前の主は、お前を壊すためにここにいるんじゃない」
俺は全Will-Bitを右腕に収束させた。
周囲の空間が、俺の引力に吸い寄せられ、巨大な渦となって拳を包み込む。
テッセラクトも、俺の放つ異常な殺気を察知したのだろう。全身の立方体を一つの巨大な防壁へと組み替え、虹色の光を最強の盾へと変換した。
「――ぶっ飛べ、バグ野郎!!」
吠えると同時に、俺は渾身のWill-Bit放射を解き放った。




