21話「黒鉄の咆哮(ハウリング・ギア)」
夜の帳が下りた中野の路地裏。ジジの工房のシャッターを潜ると、そこには過熱した空気と、身震いするほどの濃厚な情報の匂いが立ち込めていた。
作業台の上には、鈍い光を放つ漆黒の筐体が鎮座している。
「……待たせたな、クソガキ。こいつが、お前の狂ったロジックを叩き込むためのマシンだ」
ジジがぶっきらぼうに顎で示したそれ――新型L-Gearの名は、"ヴォルテクス"。
渦を意味するその名の通り、内部にはジジが秘蔵していた高密度な演算コアが何層にも重ねられ、湊の膨大な Will-Bit を一時的に収束・旋回させることで、回路の融解を防ぐ特殊な構造を持っていた。
「ヴォルテクス……いい名前だ。ありがたく使わせてもらうよ、ジジ」
俺は、その冷たい黒鉄の感触を確かめるように手に取った。
九十九学園の量産品とは比較にならない重量感。だが、腕に装着した瞬間に、まるで自分の一部であったかのような一体感が全身を駆け巡った。
「さあ、炭崎先輩! 早く行きましょう、試運転です!」
隣で目を輝かせているのは、このギアのソフトウェア層の最適化を不眠不休で手伝ってくれた琥珀川だ。彼女に促されるまま、俺たちは再び中野第2ダンジョンの入り口へと向かった。
青白いノイズの霧が漂うダンジョン深部。
俺は新型ギア"ヴォルテクス"を起動した。
「――『干渉』:出力30%。固定」
以前のギアなら、この時点で基板から火花が散っていただろう。だが、ヴォルテクスは低く唸るような駆動音を立てるだけで、俺の Will-Bit を淀みなく処理していく。
目の前に現れたガイストの群れに対し、俺は軽く右手をかざした。
「――"消失"」
放たれた衝撃波が、物理法則を無視して空間を削り取り、ガイストたちを一瞬でデータの塵へと変えた。
以前のようなもどかしさはない。指先の動き一つに、思考の速度そのままの反応が返ってくる。
(……まだ、俺の全力に耐えられるほどじゃない。だが、今までのボロよりはずっとマシだ。これなら、あの"試験"でも戦い抜ける)
漆黒のギアを握り締め、俺はその性能に確かな手応えを感じていた。
一通り試運転を終え、データ収集に満足したところで、俺は工房へと戻ろうとする琥珀川を呼び止めた。
「おい、待てよ琥珀川。ようやく俺の問題が片付いたんだ、今度はお前の番だぞ」
「……? 私の番、ですか?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。その表情には、自分の役割はあくまで裏方であるという控えめな自意識が透けて見えている。
「ああ、お前の固有定義――"時間凍結"だがな、使いこなせれば、もっと輝くと思うんだ。お前は自分の能力を戦闘向きじゃないと思ってるかもしれないが、それは間違いだぞ」
「……固有定義は、別に。私は、湊先輩のギアの調整とか、そういう開発の仕事ができれば満足ですから……」
琥珀川は俯き、自信なさげに指先を弄った。
未来の自分が"鉄の女"とまで称されたことを、今の彼女はまだ知らない。その圧倒的な可能性を眠らせたままにするのは、あまりにも惜しいことだった。
俺はニヤリと笑い、彼女の顔を覗き込むようにして言った。
「忘れたか? ジジの工房は、ダンジョンの影響を受けてる。少しなら固有定義が使えるんだよ。……いいか、琥珀川。時間は情報の流れそのものだ。それを一瞬でも"止める"ことができるなら、それはL-Gearの微細な回路を調整する際、極限の精度を生み出す武器になるんじゃないか?」
その言葉を聞いた瞬間、琥珀川の顔がパッと明るくなった。
「回路の調整に……!? 確かに……! ナノ秒単位でズレる信号を物理的に止めて固定できれば、今まで不可能だった並列回路が組めるかもしれません!」
エンジニアとしての魂に火がついたらしい。彼女はすぐさま、自分のL-Gearを取り出し、意識を集中させ始めた。
彼女が自分の能力を"開発"のために磨く。それが結果として、彼女自身の戦闘能力を底上げし、将来的に俺の右腕としての価値を跳ね上げることになる。
(それに、こいつの成長が加速すれば、今後の俺のギア開発もかなり進むしな。一石二鳥だ)
そんな打算を胸に、俺は彼女の訓練を見守ることにした。
彼女は、宙に投影された仮想の回路図に対し、一瞬だけ時を止める干渉を繰り返す。最初は一瞬の瞬きほどだった停止時間が、繰り返すうちに明確な"静寂"となって空間に定着し始めた。
「そういえば、炭崎先輩」
額に汗を浮かべながら、琥珀川が不意に世間話を振ってきた。
「蛍原先輩を誘う作戦、どうだったんですか? やっぱり、あの引換券、効きました?」
俺はヴォルテクスの冷却ファンから漏れる熱を感じながら、鼻で笑った。
「ああ、勿論。余裕だったぜ。俺の完璧なヘイトコントロールにかかれば、あいつの機嫌を直すくらい造作もないことだ」
「……本当ですかぁ? なんだか、めちゃくちゃ必死に謝ってる先輩の姿が目に浮かぶんですけど……」
彼女は疑わしげな半眼で俺を見てきたが、すぐに「まあ、仲直りできたならよかったです」と嬉しそうに微笑んだ。
「というわけで、琥珀川。今週末のダンジョン探索はパスだ。俺はあいつとの約束があるからな」
「了解です! 私はその間に、この能力を使ってヴォルテクスの次のアップデート案を考えておきますね!」
元気よく答える琥珀川の声が、ダンジョンの冷たい通路に響く。
新たな武器、成長を始めた相棒、そして取り戻した日常。
すべてが"最適化"され、一つの歯車として噛み合い始めている。
だが、その歯車が回り出した先に、どんな波乱が待ち受けているか。
俺はヴォルテクスの漆黒の輝きを見つめながら、静かに来たるべき闘志を燃やすのだった。




