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Protocol 17/47:SS級ハッカー、死の迷宮をやり直す  作者: 入江 鋭利
3章「最強ハッカー、見誤る」
20/41

20話「朝露の融解(デフロスト)」


 2040年、4月中旬。


 人工太陽の光が東京の空を淡い琥珀色に染め上げる頃、俺は、一世一代の作戦区域に展開していた。


 場所は、学園指定の学生寮からほど近い、結衣の住む棟の入り口。


 目標(ターゲット)の出現予定時刻まで、あと5分。


(……心拍数、正常。周辺の通信ログ、異常なし。後は、本人の出現を待つだけだ)


 俺は誰に言い訳するでもなく、脳内で無意味なステータスチェックを繰り返していた。ポケットの中には、昨日、琥珀川から託された"限定スイーツ引換券"が、まるで起爆スイッチのような存在感を放っている。

 

 ハッカーとして、情報の海で何十年も生き抜いてきた。

 致命的なバグを修正し、強力なガイストの論理核を穿ち、崩壊する世界の際で踏み止まってきた。


 だが、今、一人の女子高生を待ち伏せして謝るというタスクが、どの任務よりも俺のシステムを過熱させている。


(ヘイト管理の基本は、迅速なリカバリーだ。……琥珀川に言われた通り、"言葉"を尽くさなければならない)


 やがて、自動ドアが静かにスライドした。


 眠たげに目をこすりながら、ポニーテールを揺らして結衣が姿を現す。彼女は一歩踏み出したところで、仁王立ちして待っていた俺の存在に気づき、露骨に顔を強張らせた。


「……湊? 何してんの、こんなところで」


「……おはよう、結衣。迎えに来た」


 俺が努めて冷静に(自分では最適化された挨拶のつもりで)言うと、結衣は一度天を仰ぎ、深い、深い溜息を吐き出した。


「……何それ。ストーカー? 昨日の今日で、よくそんな顔して私の前に立てるわね。っていうか、どうせまた"色々あった"んでしょ?」


 刺さる。言葉のナイフが、中年の老練な精神を的確に削り取っていく。


 結衣は俺を無視して歩き出そうとしたが、俺は素早くその横に並んだ。


「待て。……悪かった。昨日は、その、言葉が足りなかった」


「…………」


「最近、一人で考え事をしたり、琥珀川……あー、後輩の手伝いばっかりして、お前との時間を蔑ろにしていた。それは認める。……すまなかった」


 結衣の足が、ぴたりと止まった。


 彼女はゆっくりと首を巡らせ、信じられないものを見るような目で俺を見つめた。


「…………あんた、本当に湊? 中身、ガイストに書き換えられてない?」


「大真面目だ。……これ、受け取ってくれ」


 俺は、震える手でポケットから"それ"を取り出した。中野の駅前でしか手に入らない、期間限定の高級ケーキ引換券。

 

「……何これ。賄賂?」


「あいつが……いや、琥珀川が、女子はこういうのに弱いって言ってたから。……お詫びの、プレゼントだ」


 結衣は差し出された紙切れと、俺の顔を交互に見た。数秒の沈黙。俺にとっては、サーバーの再起動を待つ数時間にも感じられる永い沈黙の後、彼女の肩から不自然な力が抜けていくのが見えた。


「…………ぷッ。……あはははは!」


 突然、結衣が声を上げて笑い出した。


 腹を抱え、涙を浮かべて笑う彼女の姿に、俺は呆然と立ち尽くすしかない。


「もう……何よそれ! 謝るのに他人の入れ知恵借りて、しかも引換券って……! あんた、本当にバカね。ハッカーとしてはLevel2でも、恋愛偏差値はLevel 0以下じゃないの?」


「……笑いすぎだろ。俺は真剣なんだぞ」


「わかってるわよ。……でも、いいわ。あんたのその"不器用すぎる"努力に免じて、昨日の分はチャラにしてあげる」


 結衣はひょい、と俺の手から引換券を奪うと、それを大事そうに自分の鞄に収めた。

 

「……その代わり、今週末は絶対よ。そのスイーツ、一緒に食べにいくんだから。いいわね?」


「……ああ。約束する」


 ようやく、俺の網膜上に表示されていた"警告:関係性破綻"の赤いログが消え、穏やかな緑色のステータスへと戻った。

 

 二人並んで、学園への並木道を歩き出す。


 結衣はいつものように、昨日見たテレビの話や、新学期のクラスの噂話を始めた。俺はそれを適当に聞き流しながら、時折相槌を打つ。

 

 30年前。俺が失ってしまった、かけがえのない日常の音。


 この何気ないやり取りを維持するために、俺は戦っているのだ。


 だが。

 

(…………?)

 

 俺の"最適化"された知覚が、微かな違和感を捉えた。


 背後、十数メートルの位置。

 街路樹の影から影へと移動する、極小のWill-Bitの反応。

 

 それは、野生のガイストのものではない。明らかに誰かの意志によって制御された、監視用の自律ドローン、あるいは小型の使い魔ガイストだ。

 

(……恨みを買ったとすれば、あの先輩か? ……いや、あの未熟者にここまでの精密操作ができるとは思えん。だとしたら……)

 

 俺は歩調を緩めることなく、解析プロトコルをバックグラウンドで走らせる。

 

(なるほど。……俺を"異常値"として検知し始めた奴が、他にもいるわけか)

 

 学園の監視。あるいは、俺の変貌を不審に思う上位ハッカーの差し金。


 平穏な日常のすぐ裏側で、情報の毒液がじわりと忍び寄っている。


「ねえ湊、聞いてるの?」


「ああ、聞いてるさ。……そのスイーツ屋、コーヒーも旨いらしいな」


「そう! よく知ってるじゃない!」


 俺は軽薄な笑みを返しつつ、内心で決意を新たにする。


 この平和を壊そうとするバグは、一つ残らずデリートしてやる。


 学園の校門が見えてきた頃、俺のL-Gearに一通の秘匿メッセージが届いた。


 送信元は、ジジ。


『クソガキ、例のモノが組み上がったぞ。今夜、店に来い。……お前の"最適化"に耐えられる、最高に狂ったマシンだ。覚悟しておけ』


 俺は画面を閉じ、視界を切り替えた。

 

「……いいタイミングだ」


 懐かしい日常を守るための、新しい牙。

 それを受け取る準備は、もう出来ている。

 

「湊? なんか、また変な顔してるわよ」


「気のせいだよ。……ほら、チャイムが鳴るぞ。急ぐぞ、結衣」


 俺たちは、春の光の中を駆けていった。


 背後に忍び寄る影と、これから始まる激動の予感を、今はまだ、その賑やかな笑い声の下に隠したままで。


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