18話「屈辱の泥濘」
不快な電子音と共に、巨躯を誇ったガイストが光の粒子へと崩壊していく。
杉並第7ダンジョンの深層。通常の学生であれば苦戦を強いられるはずの"ソルジャー・クラス"――Levelにして、おおよそ15から20ほどの個体を、柘榴坂凱は僅か数分で解体してみせた。
「……チッ。手応えのねえ雑魚が」
柘榴坂は、再調整から上がってきたばかりのガントレット型L-Gearを乱暴にホルスターへ収めた。
周囲には、彼のご機嫌取りに必死な取り巻きの数人が「流石です、柘榴坂先輩!」「あんな大型を一撃なんて」と騒ぎ立てているが、その賞賛すらも今の彼には癪に障るだけだった。
柘榴坂の胸中を支配しているのは、出口のない鬱屈とした濁流だ。
すべては、あの日の学生ホールから始まった。
将来有望な"時間凍結"の固有定義を持つ新入生を、自分の奴隷として囲い込もうとした、完璧な計画。それが、一人の下級生によって無惨に、それも滑稽な形でぶち壊された。
(炭崎……あの、Level 2のゴミ野郎が……!)
思い出すだけで、奥歯が軋むほどの怒りが込み上げる。
あの時、自分の専用ギアが焼き切れたのは、あくまで一時的な不運――"運悪く"バグが重なっただけだと自分に言い聞かせている。だが、衆人環視の中で、無能と名高い炭崎湊に論理的に言い負かされ、あまつさえ「品性を疑う」と説教まで垂れられた屈辱は、消えない汚点として彼の魂にこびりついていた。
あいつは、事件の詳細を公式なログには残さなかった。だが、人の口には戸を立てられないのが学園という名の狭い社会だ。
『知ってるか? 柘榴坂さんが、万年最下位の炭崎に言い負かされたらしいぜ』
『自慢のギアも、目の前で壊されたんだってな』
『エリート面して、実は大したことないんじゃねえの?』
陰で囁かれるそんな声が、幻聴のように耳に張り付いて離れない。
これまで築き上げてきた"実力ある三年生"というブランド。優れた固有定義"切削研磨"と、数々のダンジョン攻略実績。それらすべてが、炭崎という泥水によって汚染された気がしてならなかった。
九十九学園において、評判の低下は実利の損失に直結する。
好条件のパーティ勧誘は減り、後輩たちからの畏怖の視線は、どこか薄ら寒い好奇のそれへと変わった。このままでは、卒業後のハッカー集団へのスカウトにも響きかねない。
「……おい。例の件、どうなった」
柘榴坂は、横で端末を弄っている取り巻きの一人に、低く凄みの利いた声をかけた。
「あ、はい。先輩に言われてマークしていた炭崎の動向ですが……」
取り巻きの男子生徒が、びくりと肩を震わせて報告を始める。
「……最近、あいつ、異常な頻度でダンジョンに出入りしているみたいです。それも、中野の第2とか、練馬の奥の方とか……。あんな Level 2が一人で行くには、明らかに不自然な場所ばかりですよ」
その報告を聞いた瞬間、柘榴坂の片眉が跳ね上がった。
「中野の第2だと? あそこは"危険級"の目撃情報が出て、立ち入りが制限されかかっているエリアだぞ。……あのゴミが、そこで何をしてる」
「それが……どうやら、例の一年生の琥珀川と一緒に、素材集めをしてるって噂です。それと、中野にある正体不明のジャンク屋に入り浸っている、とも」
柘榴坂の口元が、歪な形に釣り上がった。
「……素材集め? フン、身の程知らずな。どうせ、あの女の機嫌を取るために、安全な入り口付近で小石でも拾って歩いてるんだろうよ」
だが、同時に柘榴坂の脳裏に、あの日の炭崎の"目"が浮かんだ。
周囲の喧騒を一切無視し、自分のギアの欠陥を冷徹に、そして正確に見抜いた、あの老成した瞳。
ただの運が良かっただけの無能。そう切り捨てたい自分と、底知れない違和感を覚えた本能が、彼の中で激しく衝突する。
「……いいぜ。面白いじゃねえか」
柘榴坂は、ガントレットを装着した右拳を強く握りしめた。
金属同士が擦れる嫌な音が、静かなダンジョンの通路に響く。
「学園の中じゃあ、翡翠のクソ野郎や監視の目があって、思い切った教育もできねえからな。だが……ダンジョンの深層なら、話は別だ」
情報の吹き溜まりであるダンジョン。そこでは通信障害やログの欠損など、日常茶飯事だ。
不慮の事故。予期せぬガイストの襲撃。管理が行き届かない暗がりであれば、下級生の一人や二人、どうにでも"処理"できる。
(炭崎――お前がどれだけ小賢しい口を叩こうが、ここは意志がすべてを決定する世界だ)
一度失墜した評判を元に戻すには、元凶である彼を、誰の目にも明らかな形で、完膚なきまでに叩き潰すしかない。
「炭崎……。お前がその"器"に不相応な夢を見ているのなら、その夢ごと、現実を粉砕してやるよ」
柘榴坂の瞳に、赤黒い憎悪の光が宿る。
彼は、端末に表示された中野第2ダンジョンのマップを指先でなぞり、獲物の通り道を確信したように薄笑いを浮かべた。
「行くぞ。……身の程ってやつを、文字通り骨まで刻み込んでやる」
彼が踵を返すと、背後の取り巻きたちが顔を見合わせ、卑屈な笑みを浮かべて後に続く。
暗いダンジョンの奥から、再び不吉な羽音が響き始めた。
それは、獲物を狙う狩人の足音か、あるいは破滅へと向かう愚者の断末魔か。
柘榴坂凱の悪巧みが、情報の闇の中で、静かに、そして確実に鎌首をもたげようとしていた。




