17話「綻びゆく静観」
それからの俺の日々は、ある種の規則性を帯びて動き出した。
午前中は学園で"無能な炭崎湊"を演じながら、退屈な講義を睡眠時間へと充当する。放課後になれば、中野の片隅にあるジジの店へ足を運び、鉄の匂いに包まれながら新しいギアの進捗を確認する。
そして週末や講義のない時間は、琥珀川を引き連れてダンジョンへと潜り、彼女の工作に必要な素材と、俺のレベリングに必要な経験値を稼ぐ。
一見すれば、それは熱心な学生ハッカーの日常そのものだった。
だが、その裏側で俺が積み上げている戦果の密度は、Level 2という肩書きからすれば、もはやバグ以外の何物でもなかった。
(……やれやれ。老けると、効率を求めすぎるのが悪い癖だな)
L-Gearのログには、俺が意図的に"最適化"しきれなかった戦闘の残滓が、僅かながら蓄積されていく。細心の注意を払って隠蔽しているつもりでも、情報の海に投じられた石の波紋を完全に消し去ることはできない。
そんなある日の放課後、俺のL-Gearが短く震えた。
視界の隅に表示されたメッセージの送信元を見て、俺は思わず眉を寄せた。
『ホームルーム終了後、生徒指導室へ来い。――翡翠』
その簡潔すぎる文面には、拒絶を許さない鉄の意志が宿っている。
俺は小さく溜息を吐き、ジジに遅れる旨のメッセージを入れてから、生徒指導室へと向かった。
九十九学園、生徒指導室。
重厚な防音壁に囲まれたその部屋は、外部からの電磁波やWill-Bitの干渉を遮断する、学園内でも特殊な空間だ。
奥にある安っぽいデスクに、あの"不屈の壁"が腰掛けていた。
「入りますよ。……で、何の用です? 俺、今日はもうバイトの予定が入ってるんですけど」
俺はあえて、不真面目な劣等生の仮面を深く被り直し、気だるげに扉を開けた。
翡翠先生は、組んだ両手の上に顎を乗せ、射抜くような眼光を俺に向けていた。
「最近、頑張っているようだな、炭崎」
第一声は、意外にも労いの言葉だった。
彼は手元の端末を操作し、俺がこの一週間でこなした依頼のリストを表示させた。
「依頼の達成数、およびその完遂精度。どれを取っても、二年生の平均を遥かに上回っている。特例だが……これだけの実績があれば、月末の中間試験を待たずして、臨時昇格の認定を出すことも可能だ」
「へぇ、そいつはありがたい。Level 2から Level 5くらいには上げてもらえますかね?」
俺はヘラヘラと笑い、椅子に深く腰掛けた。
だが、翡翠先生の表情は、ピクリとも動かなかった。
「……話は、それだけではない」
部屋の空気が、一瞬で冷え切った。
彼が指先でホログラムをスライドさせる。そこに表示されたのは、先週末の俺の行動ログ――中野第2ダンジョンでの詳細な記録だった。
「中野第2ダンジョン、未登録区域での戦闘ログだ。……炭崎。このログが正しければ、お前は単独で"危険級"のガイストを処理したことになるな」
翡翠先生の視線が、俺の"中身"を抉り取ろうとするかのように鋭さを増した。
危険級。
それは本来、Level 20以上の鋼級複数がかりで挑む相手だ。それを、記録上はLevel 2のガキが一人で片付けたことになっている。
「なーに言ってるんですか。俺と琥珀川は、たまたま素材集めで居合わせただけ。現場は混乱してて、ログもバグってたんじゃないすか?」
俺は肩を竦め、事も無げに嘘を並べた。
「ほとんどやったのは、付き添いのおっさんですよ。ほら、そこに名前があるでしょ」
「……瑪瑙 治。フリーのハッカーか」
翡翠先生は、ログに記載されたジジの名をなぞる。
「しかし、彼はこいつの討伐依頼の"依頼人"として登録されている。依頼主が自ら標的を倒したのなら、お前の依頼達成報酬は発生しないはずだが、お前はしっかりと満額のポイントを受け取っている」
「さあ? 若い衆にいいとこ見せたかったんじゃないすか? "俺が弱らせてやったから、トドメはお前が刺せ"って。よくある先輩の温情ですよ」
俺は椅子から立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。
これ以上ここにいれば、嘘のメッキが剥がれる。未来で成熟した俺の精神を持ってしても、翡翠厳一という男の"眼力"を長時間受け続けるのは骨が折れるのだ。
「そんなことより先生。昇格の話、前向きにお願いしますよ。俺、早くLevelを上げて結衣……あー、特待生連中の足元くらいは拝めるようになりたいんでね」
適当な言い訳を投げ捨て、俺は踵を返した。
翡翠先生からの呼び止めはなかった。だが、背中に突き刺さるような静かな視線が、扉を閉める瞬間まで消えることはなかった。
生徒指導室を出て、無機質な廊下を歩く。
人工太陽の光が窓から差し込み、床に俺の影を長く落としていた。
「……チッ。流石に、危険級を単独討伐したのはマズかったか」
俺は誰に聞こえるでもない声で毒づき、顔を歪めた。
自分では出力を抑え、最低限の手間で仕留めたつもりだったが、その"手間"の少なさこそが、熟練のハッカーである翡翠からすれば、異常事態に映ったのだろう。
(……悪い目立ち方をしちまったかもしれないな)
俺の目的は、結衣を救うことだ。
そのためには一定の権限が必要だが、同時に"自由"も必要だ。
もし俺が"未知の天才"として学園や政府の監視対象になれば、あの第11ダンジョンでの不正規な介入ができなくなる。
"最適化"を急ぎすぎた代償が、じわりと足元を侵食し始めている。
俺はポケットの中で熱を失ったL-Gearを弄りながら、これからの波乱を予感し、舌打ちを一つ。
廊下の先、放課後の部活動へ向かう生徒たちの騒がしい声が聞こえる。
その日常が、俺の足音によって少しずつ、けれど確実に書き換えられていくのを、俺は確信せずにはいられなかった。
「……まずはジジのところで、あのギアを完成させなきゃな」
俺は重い足取りで、夕暮れの校舎を後にした。




