16話「偽りの日常(カムフラージュ)」
ジジの工房を出た後、俺は琥珀川と別れた。
「炭崎先輩、今日は本当にありがとうございました! あの、頂いた蓄電石、絶対に無駄にしません。先輩の次のギアのために、私にできる最高の調整を考えておきますから!」
彼女は、重そうな工具鞄を揺らしながら何度も頭を下げた。15歳の彼女の瞳には、先ほどまでの恐怖は微塵もなく、代わりに憧憬と技術者としての闘志が爛々と輝いている。
「ああ、期待してるよ。……だが、あまり根を詰めすぎるな。まだ入学して数日なんだからな」
俺が苦笑混じりに手を振ると、彼女は「はいっ!」と元気よく返事をして、駅の方へとスキップせんばかりの足取りで去っていった。
その背中を見送りながら、俺は一息つく。47歳の精神にとって、若者の純粋なエネルギーにあてられるのは、ガイストとの戦闘とはまた別の疲労を伴うものだった。
(……やれやれ。中身がおっさんになっても、女子の熱意ってのは慣れんな)
だが、これでピースは揃いつつある。
ジジという信頼のおける職人。そして、将来には至宝となるであろう、琥珀川という若い芽。俺の"中身"に耐えうる装備が完成すれば、これから訪れる悲劇を回避するための土台は整う。
俺は思考を切り替え、中野の雑踏を歩き出した。
だが、その直後――。
「――あれ、湊じゃん。休みの日に中野なんて、珍しいね」
背後から響いたその声に、俺の心臓が一瞬だけ不規則なビートを刻んだ。
振り返れば、そこには買い物袋を下げた結衣が立っていた。春の陽光を浴びた茶髪が、穏やかな風に揺れている。
「……結衣か。買い物か?」
「うん、夕飯の買い出し。っていうか、湊……あんた、そんなところで何してたの?」
結衣の視線が、不自然なほど鋭く俺の全身をなぞる。
まずいな。中身は47歳でも、今の俺の肉体は17歳のガキだ。激戦の後遺症である微かなWill-Bitのノイズや、ダンジョンの情報の塵が、服の端々にまとわりついているのを隠しきれていない。
「……え、ていうか湊。あんた、もしかしてダンジョン潜ってたの?」
結衣が目を細めた。
幼馴染の勘というやつは、時にSS級の解析より厄介だ。
「……まあ、色々あってな」
俺は視線を逸らし、ぶっきらぼうに答えた。
本当のことは言えない。お前を救うために、未来の知識を使って脱法エンジニアと取引してきた、なんて口にした瞬間に、あの脳を焼くような再帰干渉のエラーが走るのは明白だ。
「色々って……何よそれ。それに、さっきの子。新入生じゃない。あんた、Level 2のくせに女の子を危険な場所に連れ回して、何考えてるのよ。何かあったらどうするつもりだったの?」
結衣の言葉には、怒りよりも純粋な"心配"が混じっていた。
その真っ直ぐな善意が、今の俺には少しだけ痛い。
「……心配ないさ。それより帰るぞ、結衣」
俺は背を向けて歩き出した。だが、結衣は納得いかない様子で俺の横に並び、さらなる追及の手を緩めない。
やがて、彼女の視線が俺の腰元――ジジから借りた、剥き出しの配線が走る、間に合わせのギアに釘付けになった。
「それ、学校支給のギアじゃないわよね? 一体何してたの? どこで手に入れたのよ」
「ちょっと、色々あってな」
「またそれ!? もう、コソコソして……気持ち悪ーい!」
気持ち悪い、か。
手厳しいな。だが、今の俺が彼女の目に不気味に映るのは当然だ。Level 2の劣等生が、突然得体の知れない武器を下げ、休日に知らない新入生とつるんでいる。整合性が取れるわけがない。
結衣は歩きながら、苛立った様子で自分のL-Gearを操作し始めた。
(……やめろ、結衣。ログを見るな)
俺の願いも虚しく、彼女は俺のパブリック・ステータスにアクセスした。
「……えっ。ちょっと、何これ……」
結衣の足が止まった。
画面には、今日俺が踏み込んだ座標履歴が表示されているはずだ。
「……練馬第4ダンジョンに、中野第2ダンジョン? 湊、あんた一日で二箇所も回ったの? 中野の第2なんて、確か"危険級"の目撃情報が出てたはずじゃ……」
彼女の顔から血の気が引いていく。
本来、俺のような落ちこぼれが立ち入っていい場所ではない。死体の山を築くのが関の山の、死地だ。
「……湊、本当は何してたの。あの工房の人と、どういう関係なの?」
結衣が震える声で問いかけてくる。
俺は、ヘラヘラとした軽薄な笑みを顔に張り付けた。これは、俺がこの人生で選んだ"仮面"だ。
「ただの成績稼ぎだよ。月末の試験、結衣に置いていかれたくないしな」
「そんなの、信じられるわけないじゃん……」
結衣の小さな呟きが、胸に刺さる。
彼女が知っている俺は、こんなに底の見えない、嘘を吐く男ではなかったはずだ。
だが、俺は振り返らない。
夕暮れの中野に伸びる俺の影は、彼女の知らない30年分の闇を孕んでいる。
(……嫌われても、気味悪がられてもいい)
俺は心の中で、自分に言い聞かせる。
あの月末、第11ダンジョンで、お前が情報の塵に変わる未来。あの絶望を変えられるのなら、俺は喜んで"気持ち悪い幼馴染"になりきってやる。
「ほら、結衣。早くしないと、特売の肉が売り切れるぞ」
「……分かってるわよ! もう、バカ湊!」
結衣は俺を追い越し、乱暴な足取りで前を歩き出した。
その怒ったような背中を見ながら、俺はわずかに口角を上げる。
2040年。まだ失われていない、騒がしくて温かい放課後。
この日常を"最適化"し、永遠に確定させる。その決意を、俺は中野の冷たい風の中で、改めて静かに固めるのだった。




