15話「蜂の王と職人の誓い」
目の前に鎮座する、全長三メートルを超える巨躯。
"ハニカム・ビー"。
俺は左目のL-Gear越しに、その存在定義を即座に分解する。
(……推定Levelは20後半から30程度。女王種としては平均的な大きさだが、この時代の"鋼級"クラスが数人がかりで挑むべき相手だ)
ハニカム・ビーの本領は、背負った六角形の構造体――"ハニカム・キャリア“から射出される無数の随伴機にある。公園や自然遺構が変転したダンジョンでは、この物量こそが初心者の命を刈り取る死神となるのだ。
一匹一匹に対処しようとして思考のリソースを割かれ、気づいた時には全方位を包囲され、論理に回る毒の針でシステムを焼き切られる。それが、未熟なハッカーが陥る典型的なデッドエンドだ。
「ビィィィィィィィィッ!!」
女王が鋭い羽音で号令を下すと、数十体の小型蜂が、弾丸のような速度で一斉にこちらへ殺到した。
「炭崎先輩! 囲まれます……っ!」
「後ろにいろ、琥珀川。瞬きするなよ」
俺はジジから借りた試作ギアのグリップを、吸い付くように握り直した。
突っ込んでくる蜂の群れ。普通なら広域殲滅兵器のような派手な"構築"を走らせる場面だが、俺の選んだのは、極小の Will-Bit を編み上げた、一本の"糸"だった。
「――『干渉』:多重連鎖」
俺は、殺到する蜂の一体一体を狙うのではない。奴らが飛び交う"空間の座標"そのものを繋ぎ合わせ、一瞬で論理的な糸電話を完成させた。
パチン、と指を鳴らす。
一匹の蜂に叩き込んだ最小限の消去コードが、俺の張った糸を伝い、光の速さで全個体へと伝播する。
シュンッ、シュンッ、シュンッ!!
空中で、数十体のガイストが連鎖的に爆発し、ただの青い粒子へと還元されていく。一発の弾丸で、全ての的を射抜くような神業。
「……なっ、嘘だろ。個別の識別なしで連鎖を組んだのか、お前さん……!?」
背後でジジが絶句するのが聞こえる。
だが、俺に余裕はない。
手に持った試作ギアが、不吉な熱を発し始めていた。
(……っ、くそ。ジジが調整したこのギアでも、あと二回が限度か)
俺の固有定義によって"最適化"された Will-Bit は、あまりに密度が高すぎる。このギアでは、あと二発、最大出力を通した時点で回路が溶解する。
女王ハニカム・ビーが、随伴機を一掃されたことに激昂し、その巨大な針を突き出してきた。
「――一発目」
俺は、女王の突進を紙一重の転身でかわしながら、すれ違いざまに Will-Bit を圧縮。拳に宿した光を、女王の羽の付け根――機動力を司る関節部へと叩き込んだ。
ドォォォォン!!
重厚な衝撃音が通路に響き渡り、女王の右羽が幾何学的な破片となって飛び散る。バランスを崩した巨躯が壁に激突し、ダンジョンの構造物を粉砕した。
「二発目……これで、終わりだ」
俺は、ひび割れ始めたL-Gearを構え、女王の"論理核"をロックオンした。
女王は死に物狂いで、自身の体液を Will-Bit と混ぜ合わせた毒液を吐き出そうと口を開く。
「逃がすかよ……っ!」
俺はトリガーを引いた。
L-Gearの銃口から、真っ直ぐな青い閃光が奔る。
女王が吐き出そうとした酸の塊を貫き、そのまま喉奥から核へと直撃する、完璧な一点突破。
カッ、と周囲が白光に包まれ――次の瞬間、女王ハニカム・ビーは、中心からひび割れるようにして光の塵へと還っていった。
「……すげえな。本当にお前さん、ただの学生かよ……!?」
ジジが呆然と立ち尽くし、煙を吐く通路を見つめている。
琥珀川に至っては、言葉すら出ないようで、ただ必死にL-Gearの録画データを保存していた。
だが、俺はまだ、武器を収めていなかった。
「――先輩、危ないっ!」
琥珀川の叫び声。
女王の爆散による情報の嵐に紛れ、生き残っていた最後の一匹が、俺の死角……背後から音もなく迫っていた。
俺の手元にあるL-Gearは、今の一撃で完全に沈黙し、黒い煙を上げている。
振り向く時間はない。
だが、俺は焦らなかった。
左手で懐から一本の導電ペンを取り出し、振り返ることもなく、肩越しに後方へと投擲した。
シュッ。
パヂィン!
背後で、小型蜂の核を正確に貫いた導電ペンが火花を散らす。
最後の一匹は、俺の背中に触れることすら許されず、消滅した。
ノイズが収まり、ダンジョンに元の湿った静寂が戻ってくる。
俺はゆっくりとジジの方を向き、手の中で熱い鉄屑と化した借り物のデバイスを見せた。
「どうだよ、ジジ。これで"仕事"は完了。文句はないよな?」
ジジは、しばらくの間、俺と壊れたギアを交互に見つめていた。
やがて、彼は不敵な笑みを浮かべ、スキンヘッドの頭をガリガリと掻いた。
「バーカ、何言ってんだ。またうちの備品をぶっ壊しやがって。……とんでもねえ赤字だぜ、こりゃあよ」
口調こそ荒いが、その声に怒りは微塵もなかった。
むしろ、獲物を見つけた猛獣のような、獰猛で、そしてどこか嬉しそうな喜びが混じっている。
「……しょうがねえ奴だ。見てやるよ、お前のギア」
ジジは歩み寄り、俺の手から"かつてL-Gearだったもの"を引ったくるように受け取った。
その瑪瑙のような瞳には、先ほどまでの疑念はなく、代わりに"最高の難題"を突きつけられた職人の、純粋な闘志が燃え盛っていた。
「俺が、魂込めて組み上げてやる。……お前のその、化け物じみたビットをぶっ込んでも、もう二度とぶっ壊れねえ、最高のマシンをな!」
「期待してるぜ、ジジ」
俺が笑って答えると、ジジもまた、野太い声で笑い返した。
焦げた情報の匂いの中、俺は確かな手応えを感じていた。
俺が力を振るうためのピースは、確かに揃いつつある。このまま上手くやれば、きっと、結衣の死の運命も変えられる。
――運命の歯車が、動き出す音がした。




