13話「等価交換の条件(トレード・オフ)」
「……ジジだと? どこのどいつか知らねえが、馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ。ガキ、自分の立場をわかってんのか。ここをどこだと思ってやがる」
ジジが椅子から立ち上がる。190センチを優に超えるその巨躯が、天井の低いガレージの狭い空間をさらに圧迫した。油と火薬、そして過熱した電子基板の匂いが鼻を突く。
だが、俺は一歩も引かなかった。この威圧感も、この不機嫌そうな声も、俺にとっては心地よい"日常"の記憶に過ぎない。
俺は懐から、練馬で無残に焼き切れた鉛色のL-Gearを取り出し、作業台の上に無造作に置いた。
「中身が焼き切れちまってさ。お前なら、もうちっとマシに作り替えられるだろ?」
「ああ? どこのガキか知らねえが、お前……」
ジジは鼻を鳴らし、ゴミを見るような目でそのL-Gearを一瞥した。学校支給の、どこにでもある量産品。鋼級にもなれない劣等生が、無理をして壊した程度の代物――そう断じて、追い払おうとしたのだろう。
だが、次の瞬間。
彼のセンサーめいた、職人としての本能が、その"壊れた機械"から漏れ出している異常な残滓を感じ取ったのだろう、ジジの動きが、ぴたりと止まった。
彼は無言でギアを手に取り、その焼け焦げた接続端子をまじまじと見つめる。
「……おい。これ、お前が使ったのか?」
ジジの声から、余裕が消えた。
彼はプロだ。このギアが単に"過負荷で壊れた"のではないことを見抜いている。
入力されたWill-Bitの密度があまりに高すぎ、流動があまりに速すぎたがゆえに、回路が物理的な限界を超えて融解したのだ。
現代の、少なくともこの2040年の学生レベルの技術で引き起こせる事象ではない。
「……クソガキ、お前、何モンだよ」
ジジが顔を上げ、俺を真っ向から睨みつける。その眼光は、単なる怒りを超え、得体の知れないバグに直面したハッカーのような鋭さを帯びていた。
「未来のSS級ハッカー、って言ったら、信じるか?」
「……抜かしやがる。お前、その目元の汎用ギア、九十九学園の生徒だろうが」
ジジは鼻で笑ったが、その直後、ふっと表情を消した。
彼はしばらく考え込むように視線を落とした後、頭に載せていたゴーグルをゆっくりと外した。
その瞬間、彼の両目が怪しく発光した。
瞳の奥に、結晶化した幾何学的な紋様が浮かび上がる。赤く、深く、それはまるで燃える瑪瑙のように輝いていた。
「――っ、固有定義!? なんで、工房の中で……!?」
背後にいた琥珀川が、息を呑んで声を上げた。
無理もない。通常、非戦闘区域である工房内で、それも威圧するように能力を展開するなど、この時代の常識ではあり得ないことだ。
「こいつは、これを使うために、ダンジョンの近くに店を構えてんだよ」
俺は冷静に答えた。
ジジの固有定義。詳細は不明だが、情報の構造を視覚的に捉え、物理的な不純物と論理的なバグを同時に見抜く"至高の鑑定眼"。ダンジョン付近の不安定な空間でこそ、その精度は極限まで高まる。
しばらく、その瑪瑙の瞳で俺の全身をスキャンするように観察していたジジは、不機嫌そうに鼻を鳴らして発光を収めた。
「……フン、どこで調べやがった。俺ァ、無免許の脱法エンジニアだぜ。学園の優等生様が、わざわざ会いに来るような相手じゃねえ」
「だろうな。俺の知るアンタも、死ぬまで法なんてクソ食らえだって言ってたよ。だけど、腕は確かだ。だろ?」
俺が不敵に笑うと、ジジは舌打ちをして椅子に深く座り直した。
「……チッ、クソガキが。まあいい。腕を貸すのはやぶさかじゃねえが……金は持ってるんだろうな?」
「あー、それは、な。……出世払いってことで、どうだよ?」
俺が平然と言うと、琥珀川が「先輩!?」と裏返った声を出す。
案の定、ジジの顔に青筋が浮かんだ。
「バカ言え。こちとら慈善事業でやってるんじゃねえ。材料費も演算電力もタダじゃねえんだ。金が出せねえなら、仕事もクソもねえ。とっととお仲間連れて帰りやがれ」
ジジが再び背を向けようとする。
だが、俺は動かなかった。彼が"ただの金"よりも重い価値を求めていることを知っているからだ。
「……待てよ。アンタ、最近中野の地下から上がってくる"ノイズ"に困ってるだろ。特に、お前の工房の裏口まで侵食してきてる、あの厄介な奴だ」
ジジの肩が、微かに揺れた。
彼は再び言葉を切り、何かを測るように沈黙した。
そして、ゆっくりと俺の方を振り返り、その瑪瑙の瞳を細めて、口元を歪めた。
「――そうだな。じゃあ、こうしようぜ」
ジジは作業台の上のL-Gearを指先で弾いた。
「俺の仕事をお前が受けてくれるんなら、お前のギアは、うちで面倒見てやるよ。最高級のパーツを突っ込んで、お前のその、狂った出力にも耐えられる逸品に仕上げてやる。どうだ?」
「……仕事? まあ、依頼ってんなら、別にいいけど。内容は?」
俺が尋ねると、ジジはニヤリと、凶悪な笑みを浮かべた。
「そうかよ、なら頼むぜ。……うちの裏手、中野第2ダンジョンに巣食う――"危険級"ガイストの討伐をよ」
その言葉を聞いた瞬間、琥珀川が真っ青な顔をして崩れ落ちそうになった。
危険級。
それは通常、複数の鋼級ハッカーがチームを組んで挑む、あるいは銀級以上のハッカーが単独で相手にするレベルの災厄だからだ――。




