11話「不適合な出力(オーバーフロー)」
静寂は、前触れもなく訪れた「ノイズ」によって蹂躙された。
ダンジョンの壁一面に、まるで電子回路のショートのような火花が散る。直後、タイルの隙間から染み出すように、赤黒い霧が噴き出した。霧は凝縮し、不気味な脈動を繰り返しながら、鋭い爪を持つ獣のような形を成していく。
――電想霊。
それは、情報質量理論の副作用が生んだ"世界のバグ"だ。
ダンジョン内に充満する高濃度のWill-Bitが、ネットの海に漂う悪意、恐怖、憎悪といった負の感情データと結びつき、実体を得た異形の怪物。
奴らは物理的な質量を持ちながら、その本質は"矛盾した論理"の塊である。故に、通常の火器や刃物は通用しない。奴らの存在定義そのものを、ハッカーのWill-Bitで上書きし、消去する以外に打つ手はないのだ。
「……っ、が、ガイスト!? でも、スキャンには何も……!」
琥珀川が、悲鳴に近い声を上げて後退した。
無理もない。現れたのは、十体近い"インプ・クラス"の小型ガイストだ。
本来、この階層にこれほどまとまった数がリスポーンすることはない。空間の論理構造が何者かによって一時的に書き換えられ、敵の反応が隠蔽されていた証拠だ。
「琥珀川、下がってろ。鞄を離すなよ」
俺は一歩、前に出た。
キィィィィィィン!
耳を劈くような咆哮と共に、先頭の一体が弾丸のような速さで跳ねた。
空中から振り下ろされる、情報の結晶体で構成された鋭い鉤爪。
普通の学生なら、L-Gearで防御結界を展開するのが精一杯の局面だろう。
「……ノイズが大きすぎるな。少し"静か"にしてやる」
俺は、腰のL-Gearを抜かなかった。
代わりに、ポケットから取り出したのは、一本の簡素な導電ペン。エンジニアが回路の補修に使うような代物だ。
俺は、自身の体内にあるWill-Bitの流動を、コンマ数ミリ単位で"最適化"した。
踏み込み、一歩。
空中から迫るガイストの懐に、滑り込むように潜り込む。
驚愕に目を見開く琥珀川の視界の中で、俺の動作は、加速したビデオのコマ送りのように映ったはずだ。
「――解析。……一点集中」
導電ペンの先を、ガイストの胸部――心臓部に当たる、"論理核"へ一突き。
ドォォォォン!!
爆音。
出力にして1パーセント程度のWill-Bit。だが、それを極限まで一点に圧縮し、相手の構造的弱点へと叩き込んだ結果、ガイストは内部から爆散した。
残りの九体。
奴らが一斉に、俺を取り囲むように襲いかかる。
「あ、危ない……!」
「――いいや。これで終わりだ」
俺は、ようやく手に持った普及型のL-Gearを起動させた。
『構築:論理連鎖』
俺の周囲に、青い光の鎖が幾何学的な模様を描いて展開される。
それはただの鎖ではない。一歩動けば斬り裂き、一回触れれば存在を解体する、死のプログラム。
俺は、舞った。
47年の死線で磨き上げた、対ガイストに特化した、無駄のない殺戮。
右に一歩踏み込めば、背後のガイストが鎖に断たれて消滅する。
左に身体を捻れば、飛びかかってきた二体が空中で十字に引き裂かれる。
ドサリ、ドサリと、ガイストたちがただのビット粒子に還元され、霧散していく。
その光景は、戦闘というよりも、フリースタイルの舞踏に近かったかもしれない。
最後の一体の眉間に、俺はL-Gearの先端を押し当てる。
「――強制終了だ、悪いな」
パシュッ、という小さな音と共に、最後の一体が光の塵となって消えた。
戦闘開始から、わずか10秒。
演習室よりも激しい戦いが繰り広げられたはずの通路には、静寂だけが戻っていた。
「……す、すごい……。何、今の……。炭崎先輩、本当にLevel2なんですか……?」
琥珀川が、呆然と腰を抜かしたまま呟いた。
俺の動きは、彼女が知る"ハッカーの戦い"を遥かに超越していたことだろう。出力を上げて力で押すのではなく、最小の力で、最大の結果を引き出す。"確定事象"の真髄は、まだ、この時代には存在していなかったものだ。
だが、俺の顔色は、決して晴れやかではなかった。
「……ちっ。しまった、少し浮かれすぎたか」
俺の手元から、嫌な音が聞こえてきた。
ミシミシ、という軋み。
見れば、俺が握っていた学校支給のL-Gearから、青白い火花と黒い煙が上がっていた。
「えっ……先輩、そのギア……!」
「ああ。中身が焼き切れたな」
俺は溜息をつき、熱を持ったプラスチックの塊を見下ろした。
今の俺が放ったのは、紛れもなく最小限の出力だった。
だが、その出力の"密度"と"演算速度"が、この安物の限界容量を遥かに超えていたのだ。
F1マシンのエンジンを、軽自動車のシャーシに載せて全開走行させたようなものだ。論理回路が耐えきれず、物理的なメルトダウンを引き起こした。
「そ、そんな……。でも、これじゃあもう使えません。私、まだちゃんとしたL-Gearの修理なんて、したことないですし……!」
琥珀川が半泣きになりながら、俺の壊れたL-Gearを覗き込む。
どうあれ、仮に彼女に修理ができたとしても、頼むのは避けたほうがいいだろう。何せ、この時代で想定されているような使い方ではない。
並のエンジニアに持っていけば、修理どころか「どうしたらこんな無茶な使い方ができたのか」と事情聴取されるのがオチだろう。
「……心配するな、アテはある」
俺は、まだ煙を吹いているデバイスを腰のホルスターに収めた。
脳裏に浮かぶのは、あの小汚いバーのカウンター。
機械化義体で身体を固め、毒舌を吐きながらも、俺に最強のギアを世話し続けてくれた、あの男の顔。
2040年の今。
彼はまだ、街外れのジャンク屋で、その類まれなる才能を燻らせているはずだ。
「……あの頑固親父に会いに行くのは、もうちょい先にしときたかったけどな」
俺はそう口にして、暗い通路の先を見据えた。




