第八十九話 離解
※注 過去編は、残酷な描写に加え、今までよりも精神的に重い内容が含まれています。
人間関係の破綻、死別、絶望的な状況などが描かれるため、苦手な方は閲覧をお控えください。
物語の性質上、一部に強い不快感や恐怖を与える可能性のある表現があります。
それでも良いという方は、玲とトワ、ノアが見てきた世界を一緒にご覧になってください。
今から5年前の話だ。9月の始め。
幽真の家族が何者かに惨殺された。
幽真だけが無傷で無意識の状態で見つかり、
周りには家族の死体が並んでいたらしい。
幽真が疑われかけたが、指紋のついた凶器が見つからなかったため、
疑いは晴れ、彼は養護施設に行くことになった。
中学校の入学式で再会した頃には、
幽真はまるで別人になったように人が変わってしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ゆっ...幽真!久しぶり....」
「......」
入学式当日、一人で教室の端に座っていた幽真に声をかけた。
小学校の時よりも髪が伸びており、顔を確認しなければ彼だと認識できない。
「......。」
昔とは顔つきが違った。
目には光が宿っておらず、横目でこちらを見るだけだった。
「久々に一緒に帰ろうよ!
話したいことが.....。」
「失せろ」
それを聞き、一瞬私の体は固まってしまった。
幽真とは思えないほど低く暗い声だったからだ。
幽真は席を立ち、私とは目を合わせずに教室を出て行ってしまった。
「待っ.....」
私が呼びかけても、幽真は足を止めなかった。
「.........何なの....」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
取りあえず初めての授業の日が終わった。
相変わらず、幽真は誰かと喋ろうとしない。
対して私は入学式の日に何人か友達ができ、
小学校からの友達もいるため、そこまで一人というわけではない。
「今日の放課後カラオケ来る奴集合~!」
「あっ、行くー!」
友達はすぐに食いつき、言い始めた男の方へ走っていった。
「ノアちゃんも行くでしょ?」
「う.....うん。」
チラっと、幽真の方を見る。
幽真は机の上に鞄を用意し、もう帰ろうとしている所だった。
「どうせなら全員行こうぜ!」
「ウェーイいいじゃん!!」
言い出しっぺのクラスのお調子者達が、
幽真の方を見る。
「......まぁ一応な....」
その中の一人が、幽真へと近付いていく。
「よぉー、お前も来るか?カラオケ~」
そう言い、悠真の肩に手を乗せようとする。
「触んな」と、幽真は、肩に触れられる前に手を弾いた。
「.......あ”?」
「.......じゃ」
言い出しっぺの男が睨み付けるも、それを無視するかのように幽真は鞄を担ぎ、そそくさと教室から出て行ってしまった。
「何アイツ感じ悪.....」
「誘わなくて良かったな。」
教室がヒソヒソとした声で包まれる。
全員、幽真への悪口が止まらない。
「ノアちゃんってアイツと同じ小学校でしょ?
元からあんなんなの?」
「いや....むか」
「もう行こうぜ。だがアイツには後で制裁が必要だなあ...」
クラスのムードが急に悪くなってしまった。
幽真は、この日から徐々に扱いが酷くなっていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ある日の朝、一人で登校し、教室の扉を開けた。
「おはよ.......う?」
「おう、田中じゃん。」
「.....何....してんの?」
そこには、幽真の机に群がっているクラスメイト達の姿があった。
全員が黒の油性ペンで、何かを書いている。
「ずっと阿部が、随分と舐めた態度取ってきてたからなァ。」
「粛清ってやつよ!」
クラスメイト達が集まっていた、幽真の机を覗き込む。
「っ.......。」
そこには、大量の罵詈雑言が書き込まれていた。
マンガやドラマでしか見たことのないような__空想のものと信じたいほどに酷い様子である。
「何見てんだよ」
そう言い、一人の男子が私に油性ペンを差し出してくる。
「お前も大分酷い扱いされてただろ。やれよ。」
「いや....でも....」
「いいから。」
私は圧に負け、そのペンを受け取ってしまった。
手が震えている。全身から冷や汗が噴き出していくのを感じた。
「......」
ゆっくりと、幽真の机に近付いていく。
ペンのキャップを外す。
.....この状況で、何を書けば.....
黒いペン先が、悠真の机に触れる。
その時だった。
教室の扉が力強く開けられた。
扉から、ストレスでできた白髪の混じった黒髪の少年が教室に足を踏み込む。
「......幽真。」
「....ヒヒッ、どう?阿部君。皆で寄せ書き書いたんだ。
喜んでもらえると.....」
一人の男子が幽真を煽るような発言をし始める。
だが、幽真はまるで聞こえていなかったかのように、
視線をズラさずに自身の席に近付いていく。
「....オイ、無視してんじゃねえよ」
しかし、彼はそんな男の声を無視し、直進し続けた。
「退け」
「うわっ....」
幽真の机の前に居た私を、彼が片手で突き飛ばす。
幽真が罵詈雑言の書かれた自分の机を見下ろす。
「どう?喜んでもらえたかな?」
そう言った男を、私は横目で睨み付けた。
が、男は気付いていない様子だった。
そんなことも関係なく、幽真は淡々と席に座ってしまった。
「「.....は?」」
幽真は鞄を黒く潰された机の上に乗せ、
チャックを開いて平然とノートや教科書を机の中に入れ始めた。
周りの人間は全員、ぽかんと口を開けてそれを見ていた。
「.....おい待てや」
低く、苛立ちを滲ませた声だった。
教室の空気が一瞬で張り詰める。
「何普通に座ってんだよ。ざけてんのか?」
男が幽真の机を叩く。バンッ、と乾いた音が響いた。
それでも、幽真は聞こえてないように手を止めない。
教科書を一冊、また一冊と、机の中に入れていく。
「聞いてんのかって言ってんだよ!!」
男が胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。
その瞬間だった。
「……っ!?」
幽真が、視線すら向けずにその手首を掴んでいた。
光が鏡で反射するように、というかそれと同じような速度だった。
男が顔を歪める。
「……!?......離せや.....」
男は驚いたのか、少し震えた声で言う。
だが、幽真の指はびくともしない。
むしろ___
ミシッ、と確かに男の掴まれている左腕から鈍い音がした。
「いっ……!?」
「……うっせえ」
初めて、幽真が男の方を見た。
その目には――怒りも、苛立ちもない。
ただ、何も無い。
空っぽの底のような目。
「邪魔だ退け」
次の瞬間、男の体が床に叩きつけられた。
腕を捻られたまま、強引に引き倒されたのだ。
「ぐっ……あああっ!?」
「騒ぐなよ.....先生来たらどうすんだよ」
幽真は淡々とした声でそう言い、男の腕をさらに締め上げる。
完全に関節が極まっている。
少しでもさらに力を入れれば折れてしまいそうだ。
その様子に教室が凍りついていく。
「や、やめろよ……!」
「離せって……!」
周りのクラスメイトから止めようとする声が湧いてきたが、
誰も幽真に近づこうとはしなかった。
そして、周りの声など届いていないかのように、
幽真はただ、男を見下ろしていた。
「……次、触ったらちゃんと折るからな三枚目。」
小さく、しかしはっきりとした声。
それだけ言うと、幽真は手を離した。
男は倒れたままその場で横に転がって幽真と距離を取った。
「っ……この……!」
だが、立ち上がろうとして――
ビクッ、と体を震わせて止まる。
完全に目が合ったからだ。真っ黒な目をした幽真と。
「……来るのか?」
静かすぎる声。
挑発でもなんでもない、ただの確認のつもりなのだろうか?
それが逆に、恐怖を増幅させた。
「……っ、くそ……!」
男は舌打ちし、床に尻をついたまま何もできずに後退る。
誰も喋らない。
さっきまで嘲笑していた空気が、完全に消えている。
幽真は何事もなかったかのように椅子に座り直し、ノートを開いた。
ページを捲っていき、白紙のページを開いて机に乗せてボールペンで何かを書き込み始めた。
その姿が逆に異常だった。
まるで最初から何も起きていないかのように。
「なんで....」
「あ?」
私が静かに呟くと、幽真が睨みつけてくる。
手が震えている。それでも、私は続けた。
「幽真はそんな暴力振るうタイプじゃなかったでしょ.....
なんでそんな......」
「じゃ聞くが」
幽真が席を立った。
クラスメイト達の視線が幽真と私に集まる。
「お前、よくその立場でそんな事言えたもんだな?」
幽真が私の右手を指差す。
私も目をそちらへ泳がせた。
「あ.....」
私の手には、黒い油性ペンが握られていた。
私は思わず、手の力が抜けてしまい、床にペンを落としてしまった。
「どうしたよ?」
幽真が私の前に屈み、床に落ちた油性ペンを手に取った。
そして、それを手に乗せ、私に差し出した。
「え.....」
「どうぞ?俺はお前に酷い扱いしてたんだぞ?やれよ。」
先程のクラスメイトの言葉を聞いていたのか、同じ言葉で詰められる。
ペンを差し出してくる幽真から、後退る。
「いや....私は....」
「......チッ」
幽真が指に力を入れる。油性ペンが弾かれ、私の額に刺さった。
額に激痛が走る。こんなに力強かったっけ....。
「痛っ.....」
油性ペンがまた床に落ちた。
「...二度と俺に話しかけてくるなよ」
「...............えっ」
幽真は迂回し、教室の前にある扉から出て行ってしまった。
額の痛みはもうなかった。
代わりに、目頭が熱くなり、嫌にぬるい液体が私の頬を伝った。
つづく




