117.天敵
天敵という言葉がある。
捕食者。天が定めたる敵。
相対すれば、本能が刺激され、脳内が逃亡で支配される。
魂に刻まれた経験が、体の根源から恐怖を呼び覚ますのだ。
足を動かせ、今すぐこの場から逃げろと、脳髄が叫び声をあげるのだ。
時に人間は、それを覆してきた。
武器を鍛え、技を磨き、毒を練り、陣を組み、己より強大な魔獣を倒してきた。
平原のマンティコアを殺し。
丘のグリフィンを殺し。
森のアラクネを殺し。
沼地のバジリスクを殺し。
湖のヒドラを殺し。
洞窟のゴーレムを殺し。
砂漠のワームを殺し。
平原に、丘に、森に、沼地に、川に、湖に、山に、砂漠に、居を構え、数を増やし、その範囲を拡大してきた。
やがて人間の天敵は、同じ人間だけとなった。
あるいは、天敵となった相手を……同等の知恵と力を身に着けた種族を、人間と呼ぶようになった。
ヴァストニア大陸に、人間の天敵は存在しない。
強力な魔獣であっても、人間を滅ぼすに至らない。
人間は、食物連鎖の頂点に立ったのだ。
ただ一種の例外を除いては。
それは、決して人間の住みたがる場所に住む生き物ではなかった。
時折平地に降りてきては人間を食らうが、それを止められることは無かった。
討伐したという記録はある。歴史において何度も。
しかしその全てにおいて、多大な犠牲を払ったと記録されている。
そして討伐したという記録より、討伐に失敗したという記録の方が、遥かに多かった。
確かに最近、一人の英雄がそれを打ち倒した。
しかし依然として、その生物は人間の上にいた。
ドラゴン。
「……」
サンダーソニアもまた、その生物をここまで間近で見たのは初めてであった。
これほどの恐怖を感じたことは、無かったかもしれない。
絶望を感じたことはあった。
つい最近、ゲディグズの罠にかかり殺され掛けた時は絶望した。
だが恐怖は無かった。
今は違う。
怖気が走り、歯がガチガチと鳴り、今すぐにでも逃げ出したいが体が硬直して動かない。無理にでも体を動かせば倒れ込み、赤子よりヘタクソな這いずりを見せることになるだろう。
根源的な恐怖。
人間は刻み込まれている。
この生物には、勝てないと。
ドラゴンが扉を越えて、こちらにきている。
あまりにも近い。
完全にキルゾーンだ。
もはや逃げることすら出来ない位置だ。
きっとブレスが来る。
ドラゴンのブレスを防ぐ手はない。
防げるかと自問自答する。
きっと出来るが、なぜだか自信がない。
いつのまに近寄ったのだと思いはするが、きっとなんてことはない。
これほど強大な生物であっても、足音ぐらいは消せるのだろう。
猫のように忍び寄り、我らを射程内に抑えたのだ。
ドラゴンの目が、ギョロギョロと動く。
ある一点で、止まった。
バッシュだ。
サンダーソニアは知っている。
このドラゴンは、バッシュに借りがある。
すんでの所まで追い詰め、己を殺しかけた存在。
恨みがある、敵だと認識している。そのはず。
まずい。
「ギャアアアアアアオオオオオオオオァァァァァァァァ!」
ドラゴンの咆哮に、サンダーソニアの思考が飛んだ。
何をしようと思ったのか、どう動こうと思ったのか、全てが吹き飛んだ。
何かをしようとしたはずだった。
周囲を守ろうとしたのか、立ち向かおうとしたのか、逃げようとしたのか。
何もわからぬまま、ただサンダーソニアは立ちすくんだ。
体は動かなかった。
生物の本能だ。
動くものを追う習性のある生物に対し、動かぬことで、難を逃れようという……。
目があっているにも関わらず……。
結果だけはわかった。
死。
「!」
そんなサンダーソニアの前に、影が立ちふさがった。
大きな背中が、サンダーソニアの、いや、全員の前にあった。
ただ一人動いて、ドラゴンとの間に立ちふさがっていた。
バッシュが、両手を広げて。
「グラアアァァァァオオオオオゥ!」
「ギャアアアアアアオオオオオオオオァァァァァァァァ!」
叫び声と一緒にドラゴンが突進してくる。
終わった。
捕食者が動き、被捕食者の身がすくんで動けない。
動かなければ死ぬとわかっていてもなお、ビクリと体が震えるだけだった。
ドラゴンが、巨大な牙が、みるみるうちにバッシュへと肉薄し……。
しゅるしゅるとその身を縮ませていき、小さな女になった。
「バッシュ」
そして、傷ついた体で弱弱しく走ると、両手を広げたバッシュへと抱き着いた。
★ ★ ★
誰も、何が起きたのか理解できていなかった。
ただ一つ言える事実。
それはドラゴンが『ニュート』で人間になり、バッシュに抱き着いたということだ。
しかも抱き着いただけではなく、懐いているということだ。
先ほどまで居丈高だったアスモナディアが、また膝を抱えて座りつつ、人間になったドラゴンと目を合わさないようにブルブルと震えている。
他の者も、目の前の女にただ困惑していた。
先ほどまでに感じていた、根源的な恐怖はすでにない。
今の女からは脅威を感じない。
すでに負傷しているし、殺そうと思えば、恐らく殺せることだろう。
だが今もクルクルと喉を鳴らしつつ、バッシュの顎の下あたりに己の額をこすり付けている女から敵意や殺意のようなものは感じず、殺すのもためらわれた。
そもそも、彼女は他の者達のことを意に介していないし、先ほど言葉を発していた。
「バッシュ、間違えてる。ここは"私達の山"じゃない」
今も発している。
「あ……ああ」
バッシュですらも困惑しているようだった。
両手を広げた姿勢のまま硬直し、しかし押し付けられる柔らかな感触に耐えきれず、時折手を彷徨わせては女の頭や肩や背中のあたりを撫でまわし、また両手を広げた姿勢へと戻る。
離すこともできず、さりとて抱きしめることもできぬ。
いかにオークの本能が密着してくる女体を蹂躙せよと命令しても、ドラゴンという天敵を抱きしめるという行為は、生存本能に激しく逆らうものなのだろう。
「な、なぁバッシュ……ええと……知り合いか?」
そんな相手に恐る恐る、サンダーソニアは問いかける。
バッシュはゆっくりと首を振る。
が、女の方が振り返った。
「なんだお前は」
その眼光は鋭い。
サンダーソニアを見るその目は、餌を見る目。
ドラゴンそのものだった。
サンダーソニアは喉の奥からヒュッという音が鳴る。
「バッシュ。なんだこいつは」
「俺の……妻だ」
「ふぅん……?」
女はバッシュの方を見上げ、そして一人一人、その顔を視界に収めていく。
「雌ばかりだ。全部、お前の妻か?」
「ああ」
女はフンと鼻を鳴らし、周囲を睥睨する。
その目に少し不快げなものが宿るのは、ドラゴンが番を作る性質であるからか。
しかし、ほんの僅かに不快げなだけであって、敵意や叛意のようなものが生まれるでもない。
話の理解できる生物の範疇から出ていない。
敵意を持たれたら殺すしかないが、そもそも殺せるのか。
今すぐ襲い掛かって、目の前の相手がドラゴンに戻る前に致命傷を入れられるのか。
一か八かに賭けるより、ちゃんと会話した方がいいのではないかと、サンダーソニアの生存本能は訴えかけてきている。
「バッシュ」
「ああ」
バッシュも先ほどから、まともな言葉を発せられていない。相槌ばかりだ。
バッシュも混乱しているのだ。
以前、バッシュは確かにこの姿のドラゴンに会ったことがある。
狡猾にもバッシュ達に己を治療させ、最後には正体を現した。
だがその後、すぐにいなくなった。
たしかそう、名誉を重んじてくれて、見逃されたのだったか。
だが今回は、なぜ。
バッシュはわからない。
思えば人生、わからないことだらけだった。
だが、このまま死ぬわけにはいかない。
童貞は卒業したが、せっかく嫁ができたのだ。
オークは女を孕ませてナンボ、子供を作るまで死ぬわけにはいかない。
「これが、お前の群れか?」
「ああ」
バッシュはただ声を発しただけだが、偶然にもそれは肯定と受け取られるものだった。
「人間は、群れを作るんだったな……なら、私も群れの一員か」
女はそう言うと、まずサンダーソニアに近づいて、その顔の臭いを嗅いだ。
サンダーソニアは咄嗟に身をかわそうとしたが、すんでの所で思いとどまった。
「わ、私は、『エルフの大魔導』サンダーソニアだ。お、お前のことは、なんと呼べばいい?」
その瞬間、その場にいた全員が、サンダーソニアの勇気をたたえた。
『エルフの大魔導』まさかこれほどの勇者か、と。
「……? 『骨』には『目』と呼ばれていた」
「じゃあ『目』と呼ぶぞ」
「うん」
敵意は無かった。
『目』はサンダーソニアから離れると、一人一人の臭いを嗅いでまわった。
そして「『目』だ」と名乗り、相手から名前を聞き出していた。
これがドラゴンの自己紹介なのだと言わんばかりに。
誰もが、生きた心地がしなかった。
だが、自己紹介をしたことで、少なくとも敵意が無いのはわかったのだろう。
アスモナディアを除いては、少なくとも『目』を見て怯えるのはやめていた。
「『目』、といったな」
「うん」
一通り自己紹介を終えた後、目はバッシュの元へと戻った。
「お前は、なぜ、ここにいる?」
「うん」
女は己の背中と腕を見せた。
大きな怪我が存在している。
今もなお、だくだくと血が流れ出ている。
「やられた」
「なぜ」
「お前の縄張りの近くの山で、巣を作ってた。森にいったら、長い耳の人間に頼まれた」
指を刺され、サンダーソニアはビクリと身を震わせる。
だが、言葉の内容を聞いて、訝しげな表情を見せた。
バッシュの縄張り近くの山。
巣を作っていた。
森。長い耳の人間。
シワナシの森のエルフの話だ。
「おい、そいつらは何て言ってたんだ? 何を頼まれた!?」
「青い肌の人間に襲われそうだから、助けてくれって」
「それで、力を貸して、くれているのか?」
「そうしようと思った。なのに……あいつら、許せない……」
『目』の怒りの籠った言葉に、サンダーソニアに冷や汗が流れる。
もしかしてシワナシの森のエルフは、何かこのドラゴンに不義理を働いたのだろうか。
おいおい、勘弁してくれよ……。
と、慄くサンダーソニアをよそに、『目』の視線は、アスモナディアの方へと向かった。
「青い肌の人間、なんであんなことをした」
アスモナディアは目を閉じていたが、青い肌の人間と言う言葉を聞いて、自分に聞かれていると察した。
ハイデーモンは優秀だからわかるのだ。
しかし、あんなこと、の中身についてはさっぱりだった。
「あんな、こと、とは?」
「なんで『骨』を、あんな風にした!」
「ヒィッ!」
アスモナディアは頭を抱えてうずくまった。
彼女だけは、まだ根源的な恐怖に支配されていた。
「お、落ち着け、こいつじゃないぞ。こいつはきっと何もしてない。ほら、お前のこと、こんなに怖がってる。何かしでかせるような勇気はない、だから、ほら、落ち着いてくれ、な?」
とっさにサンダーソニアが間に入り、アスモナディアを守った。
『目』はサンダーソニアを睨みつつも、バッシュから離れない。
それを見て、サンダーソニアはバッシュに助けを求める。
「おい、バッシュからも何か言ってやってくれよ」
「う、うむ……『骨』とは何だ?」
「友達だ。ずっと一緒だった」
グルグルと唸りながら、女はアスモナディアを庇うサンダーソニアをにらみつける。
と、そこでサンダーソニアはあることを思いだした。
ドラゴンと『骨』。
絞り出すような知識の中に、少しだけ該当するものがあったことを。
「そういえば、カスパルが『骨』ってやつの名前をちょいちょい出してたけど、もしかしてあれか、あいつが連れてきたドラゴンのことか!? そこのバッシュが倒し……」
「うん」
バッシュが倒した、は失言だったかと思いきや、『目』は素直にうなずいた。
「それをあいつら! 死体を勝手に使った! いけないことをした! おぞましい!」
「なるほどな」
サンダーソニアが思い出すのは、デーモンとビーストがぶつかり合った戦のことだ。
あそこには、一匹の怪物がいた。
翼を持った巨大な四足獣の死体を無理やり動かしたような怪物。
圧倒的な力でビーストを蹂躙した姿は、まさに世界の強者。絶対捕食者。
ドラゴンゾンビだ。
あれが、この女の言う『骨』ということだろう。
要するに、ゲディグズは大事にとってあったドラゴンの死体を、死霊術か何かで蘇らせ、使役したということか。
身内に死霊術を使われたら怒るのは当然だ。
ドラゴンにもそんな意識があったのは驚きだが……。
「それは許せないな……それはそうと、お前はバッシュの何なんだ?」
サンダーソニアはとうとう、そのことを聞いた。
女はバッシュを見上げ、少し恥ずかしそうにしてから、自信満々に言った。
「『目』は、バッシュの番だ。子を産む約束をしている」
ツガイ。
とは、つまり男女の間柄であるということだろう。
「……」
バッシュはとても困惑した顔をしていた。
アスモナディアが妻だと言い放った時と同じ顔だ。
「誰だお前は」と言わないのは、目の前の相手がドラゴンであるとわかっているからだろう。
とはいえ、まったく身に覚えが無さそうであった。
「あ」
と、停滞した空気を動かすのは、常にコイツだ。
『風読み』のゼル。
かつてそうとも呼ばれた彼女は、風は読めても空気は読めない。
別名『空気投げ』のゼル。
場の空気をぶんなげて話をすることからそう呼ばれる。
ただ、ヒューマンになって記憶力は良くなっていた。
「そう言えば、旦那はこの状態のドラゴンにプロポーズして、ドラゴンもそれに了承してたっすね」
「!」
ドラゴンはゼルの方を見て、クルルと喉を鳴らし、首を傾げた。
「ゼル……お前、前より小さくないな。大きくなったのか?」
「大きくなったっす! 旦那の嫁になるために!」
「『目』と一緒だな」
実際の所、『目』はバッシュから逃げるために人間になったのであるが、細かい所は置いておこう。
「なーんだ。じゃああの時、戦って負けて、旦那に完全にメロっちまってたわけっすか!」
「そうだったのか!」
バッシュも意外そうに頷く。
しかし、言われてみると確かにプロポーズをした。
それを受け入れられ、とうとう童貞喪失だと喜び勇んで行為に及ぼうとした所で、ドラゴンに戻ったのだ。
あまりの危機感で完全に忘れていたが……。
もしかすると、あれは了承していたということなのだろうか。
「ならば、なぜあの時、飛び去った?」
「番なら巣が必要だ。『目』が作ると言っただろう? お前の縄張りのすぐ近くの山に作った」
二度も説明させるなと言わんばかりだが、これが一度目である。
しかし、そう言われてみると、バッシュ的には納得である。
なんということだろうか、バッシュはあの時すでに、嫁を手に入れていたのだ。
童貞は、失えなかったわけだが。
「うぅ……」
と、『目』がうめき声を上げつつ、よろよろと膝をついた。
どうしたのだろうとバッシュがその体を支えてやる。
ドラゴンとは思えぬほどのいい香りが鼻孔をくすぐる。
事情はなんとなく分からずとも、こいつも嫁になるならいいなと思えるぐらいには体も柔らかい。
「そういやケガしてるっすよね……」
「変な光にやられた」
「魔神砲だ。デーモンが持ち出したって、ドワーフでも話題になってた」
答えたのはプリメラ。
魔神砲。
戦争中に一度だけ使われ、山に巨大な穴をあけた有名な兵器。
そんな兵器まで持ち出したとなると、いよいよ次の決戦で全てが決まるだろう。
魔神砲は生贄の数で威力が決まる。
新鮮な死体が大量に生まれる決戦を経れば、さぞ威力が高まることであろう。
次の決戦でゲディグズ軍が勝てば、残ったのがヒューマンだろうがエルフだろうが、残党は一撃で葬られるはずだ。
「とにかく、回復魔法を使うか……傷を見せてみろ」
「ドラゴンを治療するのか!?」
と、金切り声を挙げたのはアスモナディアだった。
「私としても困惑してるが、こいつもバッシュの味方みたいだし。怪我は治した方がいいだろ……ていうか敵に回っても困るだろ……」
「信じられない! そいつは前に私を、私たちを……」
「昔の話をするなら、お前らデーモンだって、私らエルフに追い詰められて滅ぶ寸前までいったんだからな。許しがたい気持ちはわかるが……ドラゴンだぞ。仮にデーモンを虐げていたのだとしても、私らやお前らとちがって、悪意があってやったことじゃないだろ、多分」
「だといって……」
「聞いてみるか。ドラゴンは知能が高い。言葉も喋れるみたいだし、案外ちゃんと返してくれるかもしれんぞ」
サンダーソニアはそう言いつつ、『目』の方を見る。
『目』は弱弱しくも、しかし冷淡な目で、アスモナディアの方を見ていた。
「お前は、悪意を持ってデーモンを襲ったのか?」
「デーモン……青い肌の人間のことか?」
「そうだ」
「人間は『骨』を殺した。だから『目』は怒って食った」
その返答に、アスモナディアはウッと息を詰まらせた。
同時にサンダーソニアも気まずそうな気持ちになった。
殺したのはバッシュであり、七種族連合であったが、恐らくその『骨』というのをそそのかして戦場に連れてきたのは、四種族同盟のヒューマンだ。
人間が殺したと言われれば、まったくその通りで言い返すこともない。
「それは、すまなかったな、人間を代表して私が謝るよ……」
「何を謝る? 『目』はバッシュに教えてもらったぞ」
「……何を?」
「『骨』はバッシュの名誉になったんだ。ドラゴンを殺すのは、人間にとって名誉なんだろう?」
「名誉……まぁ……そうだな。うん、それはまぁ、名誉だろうな」
「バッシュは言ったぞ。ドラゴンを倒すことはとても誇らしいことだと」
お前、そんなこと言ったのか、とサンダーソニアが責めるような視線をバッシュに送る。
バッシュは大真面目に頷いた。
「ああ。ドラゴンを倒したのは、俺にとって誇りだ」
強敵を倒したことは誇ってもよい。
ビーストなどは、特に倒した相手を誇ることを良しとしている。
とはいえ、身内に言うのはデリカシーが無いとされる種族もいる。
ゆえに他の面々は戦々恐々だ。
ゼル以外だが。
「『目』もバッシュと戦って、名誉になりかけた」
「……」
それは、殺されかけたという意味だろうか。
ドラゴンとの戦いは撃退に留まったという話だが、もう単に逃がしただけで、ほぼ勝っていたということだろうか。
なら、恨みを持たれていてもおかしくないレベルである。
戦々恐々だ。
「『目』は死にたくなかったから、どうすれば『目』を殺す以外で、バッシュの名誉になるか、バッシュに聞いた」
「聞いた、な……」
まさに命乞いである。
バッシュもなんとなく思い出してきた。
確かに、ドラゴンに化けていた少女と、そんな話をした記憶がある。
「バッシュは言った。『俺の妻となり、子を産んでほしい』と。だから『目』はバッシュの妻、番になった。『骨』もそうだった。お前らもそうじゃないのか?」
「……まぁ、そう、かもな」
サンダーソニアは頷いた。
とはいえ、エルフの常識的に言えば、渋い顔をせざるをえない状況だ。
要するにバッシュに命乞いをしたら、妻になり子を孕めと迫られたということだ。
まさにオークらしいプロポーズの流れであるが、これもやはり種族によっては大変な屈辱である。
特にエルフなどは「断る!」だし、ヒューマンなどは「くっ、殺せ!」と言うことだろう。
「そうだろう。『目』はな、バッシュから『名誉』と『誇り』を学んだんだ」
『目』は胸を張っている。
きっとバッシュが教えたのだろう。
無知なドラゴンに、オークの常識を。
そしてこのドラゴンは、それが人間全体に通じるものだと思い込んでいるのだ。
「お前たち青い人間はよく戦った。『目』はお前たちを殺したことを誇らしく思うぞ」
だから、『目』はアスモナディアにそう言う。
「……」
アスモナディアは泣きそうな顔で頭を抱えた。
名誉とは、そういうのではない。
そう言いたい。
だが、頭の良いハイデーモンは気付いてしまうのだ。
ドラゴンにそう言われるのと、バッシュあたりにそう言われるのと、何が違うのか。
どちらも強者だ。
デーモンとしては、強者に「お前との戦いは誇りだ」と言われれば、溜飲が下がるのは事実だ。
アスモナディアとしては、今こそ復讐を遂げたい。
情けない自分と決別し、真の名誉を取り戻したい。
だが、なぜそれが出来ようか。
傷ついたドラゴンを前に怖気づき、それが人型になり威圧感がなくなってもなお怯えた。
今更こう言われて、なお襲い掛かることが出来ようか。
できない。
ハイデーモンはプライドが高い。
ゆえに認める時は認めるのだ。
自分は、このドラゴンには、勝てないのだと。
「よし、とにかく治療するぞ『目』、怪我を見せて見ろ」
「うん」
そして、アスモナディアは目の前でドラゴンが治療されるのを、黙って見すごすこととなったのだ。




