第7話:暗闇の咆哮と、嘲笑をあざ笑う二人の影
どれほど言葉で踏みにじられても構わない。私たちの絆と準備は、暗闇の中でこそ鋭く輝くのだから。
大講堂の天井に吊るされた巨大な魔導水晶が、蒼白い光を放ちながら静かに回転している。
千人を超える生徒たちがひしめく大空間は、教壇に立った学園長の第一声によって、一瞬でどよめきと緊張感に包まれた。
「――静粛に。本日諸君に集まってもらったのは、王立グランヴェル魔術学園の伝統行事にして、今年度最初の大型実地試験を告知するためだ」
白髪の学園長が杖を打ち鳴らすと、講堂の中央に巨大な立体魔術映像が浮かび上がった。
それは、複雑に絡み合う無数の階層と、不気味な黒い岩肌で構成された古代の地下遺構――学園の地下深くに広がる『大試練の地下迷宮』の全貌だった。
「一週間後、『新入生合同ダンジョン演習』を執り行う!」
学園長の声が滔々と響く。
「ルールは至って単純。広大な地下迷宮の第一層から第三層を舞台とし、配給される『探索証』のポイントを競ってもらう。魔物の討伐、遺物の回収、あるいは他チームからの奪取――手法は問わん。期間は二日間。そして、本演習は『二人一組』による完全協力戦とする!」
「二人一組……!」
「嘘だろ、いきなりダンジョン実地かよ!」
「誰と組む? 魔法騎士科の優秀なやつと組めば上位を狙えるんじゃ……」
周囲の生徒たちが一斉にざわつき、お互いに顔を見合わせ始めた。
この学園において、ダンジョン演習の順位は今後の奨学金や派閥内での立ち位置を大きく左右する。誰もが少しでも優秀なパートナーを確保しようと必死になるのは当然だった。
だが、私の決断にはコンマ一秒の迷いすらなかった。
隣を見る。
私のすぐ隣で、ちょこんと背筋を伸ばして立っている小柄な少女。藍色の瞳をまっすぐ教壇に向けたまま、微動だにしない銀髪のパートナー。
「リリィ」
「はい、サクラ」
呼びかけると、彼女は声のトーンひとつ変えずにこちらを向いた。
「もちろん、私と組んでくれるわよね?」
「肯定。それ以外の選択肢は存在しません。サクラ以外の個体とペアを組むくらいなら、この建物の構造柱を破壊して演習そのものを瓦解させます」
「物騒な代替案を出さないで! 組んでくれるならそれでいいから!」
私が思わず苦笑すると、リリィの柔らかい髪がさわさわと揺れた。
前回の実技演習――傲慢な貴族ジュリアンとの戦いを経て、私たちの間には目に見えない固い絆が生まれていた。私の「精密な解体と分析」と、リリィの「規格外の戦闘力」。私たちはもう、切っても切れない最高のコンビなのだ。
――しかし。
全員がペアを決めるために騒ぎ立てる中、私たちの周囲にだけ、妙な「浮いた空間」ができあがっていた。
「おい……見ろよ、あの二人」
「あいつら、組むつもりか? 『あのペア』で?」
クスクスという不快な忍び笑いが、あちこちから漏れ聞こえてくる。
声を潜めているつもりなのだろうが、私の耳にはハッキリと届いていた。
それもそのはず、前回の第一訓練場での戦いを知っているのは、あの日あの場所にいた一部の一年生と教官だけだ。学園全体で見れば、私とリリィの評価は依然として「最低」のままだった。
しかも、噂というものは尾ひれがついて歪んで広まるのが世の常である。
「聞いたか? フィズ家の『凡才令嬢』、昨日の演習でジュリアン様に勝ったって聞いたけど……本当はジュリアン様が持病の貧血で倒れた隙を突いたらしいぜ」
「なんだ、やっぱり卑怯な手を遣っただけか。魔力測定値『124』だもんな。まともに戦って勝てるわけがないわ」
「もう一人の銀髪の女もヤバいだろ。ろくに魔術も使えず、わけのわからない爆発と鉄の塊で暴れ回ったんだろ?」
「うわ……不気味。単なる野蛮人じゃない」
心ない言葉が、ナイフのように空気を切り裂く。
他クラスの貴族生徒たちが、扇子で口元を隠しながら嘲笑っていた。
特に、第二クラスの筆頭と呼ばれる高慢な令嬢――エリス・フォン・シルフィードが、取り巻きを引き連れて私たちの前で足を止めた。
「あらあら、まあまあ。微笑ましいことですわね」
エリスは可憐な動作で肩まで伸びた巻き髪をかき揚げ、さも可哀想なものを見るような目つきで私を見下ろした。
「落ちこぼれの『凡才令嬢』と、まともな魔術も使えない不気味な野犬のような女。お似合いの『ゴミ拾いコンビ』ですわ。地下迷宮の暗闇の中で、魔物の餌にならないようせいぜい逃げ回ることね」
「エリス様、およしになって! あまりの低レベルさに、こちらまでバカが移ってしまいますわ!」
「キャハハハ!」
取り巻きたちが下品な高笑いを上げる。
(……やっぱり、そう見られるのね)
私は静かに息を吐き出した。
怒りや悔しさは、不思議なほど湧いてこなかった。
以前の私なら、こんな言葉を聞けば惨めさに押し潰され、俯いていたかもしれない。けれど、今の私には血の滲むような努力の成果と、何よりも私を信じてくれる最強の味方がいる。
他人がどう評価しようと、関係ない。
私たちは、私たちの戦い方で証明すればいいだけなのだから。
私が沈黙していると、隣で冷ややかな空気が弾けた。
スッ……。
リリィの手が、静かに制服の裾へと伸びる。腰の後ろに仕込まれた、あの恐ろしい『鉈剣』の柄へ指がかかった。
「感情的価値の低いノイズが著しく騒音です。サクラ、あの金髪の巻貝のような頭部を持つ個体を含め、周囲の不快音源を一括して沈黙(物理解体)させてよろしいですか?」
「巻き貝って言わないの! あと抜刀しようとしないで!!」
私は慌ててリリィの手を両手で包み込み、引き止めた。
「だーめー! ここで暴れたら失格になっちゃうでしょ!」
「ですがサクラ、あの個体群はサクラの尊厳を著しく棄損しています。排除するのがもっとも合理的なメンタルケアです」
「いらないから! そういう過激なメンタルケアはいらないから!」
私が必死で押し押し止めると、エリスたちは「な、なによあの不気味な女……!」と顔を引きつらせ、捨て台詞を残してそそくさと離れていった。
ふう、と胸を撫で下ろす。
「まったく……リリィはすぐ物騒な方向に思考が飛ぶんだから」
「……不満です。サクラは優しすぎます」
リリィはぷいっと横を向いて、少しだけ唇を尖らせた。無表情な彼女がみせる、ごくわずかな感情の不機嫌。それがなんだか愛おしくて、私はクスッと笑ってしまった。
「優しさじゃないわよ、リリィ。言葉で言い返すより、結果で黙らせる方がずっと気持ちいいでしょ?」
「……結果で、黙らせる?」
「そう。ダンジョン演習で、私たちが圧倒的な成績を出せばいいの。そうすれば、誰も私たちを『落ちこぼれ』なんて呼べなくなる」
私はリリィの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「見返してあげようよ。凡才の私の『準備』と、リリィの『力』があれば……どんな天才たちだって飛び越えられるってことを」
リリィは数秒間、じっと私を見つめていた。
やがて、彼女の藍色の瞳に、静かだが確かな熱が宿る。
「了解しました。サクラの意思を尊重します。『圧倒的な結果による精神的踏み潰し』を実行します」
「だから表現がドス黒いのよ……まあいいけど!」
◇
演習までの1週間、私たちの「準備」が始まった。
他の生徒たちが「誰と組むか」「どの高火力魔術で魔物をなぎ倒すか」といった華やかな話で盛り上がっている間、私たちは学園の資料館と自室にこもりきりになった。
地下迷宮は、単なる力押しが通用する場所ではない。
暗闇、複雑な構造、予期せぬトラップ、そして生態系の異なる無数の魔物。莫大な魔力を持つ天才であっても、油断すれば一瞬で足元をすくわれる魔境だ。
「凡才」の私にできるのは、考えうるすべての危機を想定し、それに打ち勝つ「備え」を完璧に組み上げることだけ。
「リリィ、地下第一層から第三層までの過去五十年のマップデータ、全部頭に入った?」
「肯定。構造、抜け道、危険エリア、全て脳内メモリに完全展開済みです。精度99.8%」
自室の机の上には、無数の羊皮紙と薬品の小瓶、そして特製の『魔導符』が山積みにされていた。
私は羊皮紙にペンを走らせながら、作戦を整理していく。
「第一層は狭い通路が多いから、集団で襲ってくる『粘液魔獣』や『毒蜘蛛』が脅威になるわ。普通なら範囲火炎魔術で焼き払うところだけど、狭い通路で火を使うと酸欠と酸素爆発の危険がある……」
「問題ありません。私が物理的にすり潰します」
「それもいいけど、魔物の体液を浴びたら服が汚れちゃうでしょ。だからこれ」
私は自作の特製魔導符をリリィに見せた。
「『超音波干渉符』魔物の可聴域を超える高周波を発生させて、虫や粘液系の魔物の感覚器官を狂わせるの。戦闘すら発生させずに通過できるわ」
「……サクラ。効率的すぎます。悪魔的です」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
さらに、暗闇での視界を確保するための特殊な燐光塗料、解毒ポーションの改良版、トラップを感知するための微弱な空気流検知結界――。
私は自分のお世辞にも多いとはいえない魔力をいかに無駄なく使うか、リリィの爆発的な戦闘力をいかに効率よく活かすか、それだけを突き詰めて構築していった。
リリィもまた、自分の『鉈剣』の調整に余念がなかった。
黒光りする無骨な刃を特製の砥石で丁寧に研ぎ澄まし、鞘の排気機構(あの爆破のような一撃を生み出す構造)のメンテナンスを完璧にこなしている。
私たちの間に、無駄な会話は必要なかった。
私が図面を描き、リリィが装備を整える。
カチリ、カチリと、二つのパーツが噛み合っていくような完璧な調和。
「ねえ、リリィ」
深夜、作業の合間に私が温かい紅茶を差し出すと、リリィはそれを両手で受け取って一口飲んだ。
「なにでしょう、サクラ」
「私と組むの、怖くない? ほら、私って魔力も少ないし、万が一の時にリリィを庇ってあげられないかもしれないでしょ?」
ずっと心の奥底にあった小さな不安を、吐露してみる。
私はどれだけ準備をしても、根っこは「魔力124の凡才」なのだ。
リリィはカップを置くと、私の前に歩み寄ってきた。
そして、私の手をとって、己の胸元――鼓動が脈打つ場所へと押し当てた。
ドクン、ドクン、と温かい命の証が手袋越しに伝わってくる。
「サクラ」
リリィの瞳が、暗闇の中で神秘的な光を放っていた。
「私の前を走る必要はありません。私の後ろに隠れる必要もありません。サクラは私の隣で、その恐ろしいほどの頭脳で未来を指し示してください」
彼女の手が、私の手をギュッと握り返す。
「サクラの描く軌道の上に、私の刃があります。サクラが指差す場所に、私の勝利があります。私にとって、サクラ以外のパートナーなど……この世界に存在しません」
その言葉は、どんな甘い讃美歌よりも私の胸を強く打った。
体の奥底から、沸き立つような熱い勇気が溢れてくる。
そうだ。私が不安がる必要なんて、どこにもないのだ。
私には、世界で一番頼もしくて、世界で一番私を信じてくれる女の子が隣にいる。
「……うん! 任せて、リリィ!」
私は思い切り笑ってみせた。
「最高の作戦を立てるわ。誰も追いつけないような、完璧なルートをね!」
◇
そして、一週間後。
地下迷宮の巨大な鉄扉の前に、一年生の全ペアが集結していた。
不気味に蠢く地下からの冷気が、鉄扉の隙間から吹き出してくる。
周りの生徒たちは緊張で顔を強張らせたり、必死に呪文の詠唱を確認したりしていた。
「おい、あいつらマジで来たぞ……」
「装備だけは一人前みたいだけどな」
「どうせ第一層の入口で泣いて逃げ出すさ」
相変わらずの蔑みの視線とヒソヒソ声。
エリスたち第二クラスの精鋭ペアが、嘲笑を浮かべながら私たちの横を通り過ぎていく。
けれど、私とリリィはもう、誰も見ていなかった。
視線はただ一つ、開かれようとしている漆黒の闇――ダンジョンの奥深くへと向けられている。
ゴゴゴゴゴ……!
重低音を響かせ、巨大な鉄扉がゆっくりと持ち上がっていく。
その先に広がるのは、未知の魔物と危険が渦巻く、弱肉強食の地下迷宮。
「演習開始!! 全チーム、突入せよ!!」
教官の号令とともに、怒号のような歓声が上がり、生徒たちが一斉にダンジョンへと駆け込んでいく。
「行くよ、リリィ!」
「了解。サクラの安全を完全確保しつつ――前方の障害を殲滅します」
私たちは顔を見合わせ、小さく頷き合った。
嘲笑も、蔑みも、すべて置き去りにして。
凡才の頭脳と、最強の刃を持つ落ちこぼれコンビが、今、暗闇の迷宮へと足を踏み入れた。




