第26話:眩しすぎる陽光と、不意打ちの槍尖
平和という名の静寂に浸る私たちの前に現れたのは、過去の闇すら力尽くで押し戻してしまうほどの、あまりにも眩しい一閃だった。
あの大闘技場を揺るがした凄絶な事件から、三ヶ月の月日が流れていた。
秋の冷たい風はいつの間にか穏やかな陽光へと変わり、石畳の端々に小さな青い花が咲き誇っている。過激な錬金術師の狂気によって傷ついた校舎や闘技場は綺麗に修復され、いまやどこを見渡しても、静かで穏やかな学園の日常が取り戻されていた。
「サクラ、体内の魔力循環はきわめて安定しています。心拍数、血圧ともに完全な平常値を維持」
中庭の大きな木陰に置かれたベンチで、私の隣に座るリリィが静かな声で告げた。
群青色の制服の襟元、彼女の銀髪には、あの日私が贈った深い藍色の髪飾りが朝の光を受けて透き通るように輝いている。
「ありがとう、リリィ。あなたのおかげで、毎日すごく心地よく過ごせているわ」
私が微笑みかけると、リリィの藍色の瞳が小さく、愛おしそうに揺れた。
かつて感情を奪われ、冷たい兵器として生きるしかなかった少女。
いま、彼女の小さな手は私の膝の上でそっと重ねられ、その温かな体温が私の指先へと伝わってくる。フィズ伯爵家からの庇護と、元傭兵団長バドさんからの温かい手紙を受け取って以来、彼女の立ち居振る舞いには、どこか柔らかい人間らしさがしっかりと根付き始めていた。
「サクラの膝の上の角度、および体温伝導率……非常に良好です。このままの状態で一時間の待機を推奨します」
「ふふ、一時間は足が痺れちゃうわよ。でも……もう少しだけ、こうしていましょうか」
私が彼女の手を握り返した、まさにその時だった。
「――そこにおわすは、学園を救いし噂の二人組でして!? 探しましたわよ!!」
静かな中庭の空気を切り裂くように、雷鳴のごとき高らかな声が響き渡った。
「え……?」
あまりの音量に、木の上で休んでいた小鳥たちが一斉に羽ばたいて逃げていく。
ベンチで寛いでいた他の生徒たちも、何事かと一斉に首を巡らせた。
中庭の石畳の真ん中に立っていたのは、一人の少女だった。
燃えるような赤銅色の髪を高い位置で二つに結い上げ、身の丈を遥かに超える巨大な一本の武具――鈍い銀色の光を放つ重厚な長槍を、誇らしげに肩に担いでいる。小柄な体躯に似合わない圧倒的な存在感と、周囲の視線など微塵も気にしていない直情的な眼差し。
少女は胸を大きく張り、スカートの裾をふわりと持ち上げて、優雅な(けれどどこか威圧感に満ちた)一礼をしてみせた。
「初めましてですわ! 本日付で特待生としてこの学園に編入してまいりました、バイオレット侯爵家が長女――グレイス・バイオレットと申しますわ!!」
バイオレット侯爵家。
その名を聞いた瞬間、私の頭脳の図鑑が一瞬で検索結果を弾き出した。
元々は平民上がりの一平卒の家系。けれど、数々の戦で驚異的な戦果を挙げ、ついには代々の功績と国家への貢献によって侯爵の座にまで上り詰めた、王国屈指の「叩き上げ武門」の最高峰。
「バイオレット侯爵家の……お嬢様?」
私が呆気にとられて呟くと、グレイスと名乗った少女は不敵な笑みを浮かべ、担いでいた長槍をくるりと風を切る速度で一回転させた。
そして――。
ピタリ。
寸分の狂いもなく、その重厚な槍の尖端が、リリィの眉間からわずか数センチの距離へと突きつけられた。
「な……!?」
周囲の生徒たちから、息を呑む音が漏れる。
だが、槍を突きつけた当の本人は、自信と熱量に満ちあふれた瞳でリリィをまっすぐに見つめ、声高らかに叫んだ。
「噂は予々伺っておりますわ、最高傑作の少女と、それを操る凄腕の令嬢! 我がバイオレット家の槍術と身体強化の真髄、どちらが上か……いざ勝負ですわ!!」
あまりにも唐突で、あまりにも空気を読まない宣戦布告。
中庭に、痛烈な沈黙が流れた。
普通なら、いきなり槍を突きつけられれば恐怖で悲鳴を上げるか、あるいは激怒して即座に魔法を展開する場面だ。けれど、私とリリィ、そして周囲の生徒たちの反応は、彼女の予想とは完全にかけ離れていた。
リリィは、眉一つ動かしていなかった。
眉間に鋭利な鉄塊を突きつけられた状態のまま、彼女はゆっくりと藍色の瞳を動かし、グレイスの顔、手首の角度、そして槍の重心を淡々と観察した。
「……個体識別名、グレイス・バイオレット。……槍の角度、不適切。間合いの保ち方に過度な隙が存在します。……私に対する殺傷意思、ゼロ。脅威度判定、きわめて低い値を示しています」
淡々と口にされる分析。
リリィは自らの鉈剣に手をかけることすら放置し、膝の上で私の手を握ったまま、面倒くさそうに首を小さく傾げた。
「サクラ。こちらの個体は不審人物ですか? 排除の要否について指示を求めます」
「あ、ううん……排除しなくていいわ、リリィ」
私は苦笑いを浮かべながら手でリリィを宥め、それから目の前で固まっているグレイスへ視線を向けた。
「あ……あの、グレイスさん? いきなり槍を突きつけるのは、学園の規則違反だと思うのだけれど……」
「な……なんですのその反応はー!?」
グレイスは突き出していた槍を慌てて引き戻し、信じられないものを見る目で私たちを見つめた。
「もっとこう……『いいでしょう、その挑戦受けて立ちますわ!』とか『我が誇りに賭けて、貴女を叩きのめしてあげますわ!』みたいな熱い展開にはなりませんの!? なんだか私だけが一人で浮いているみたいではありませんの!!」
「……実際、浮いてるわよ」
私が呆れて指摘すると、周囲で見ていた生徒たちからも、失笑や呆れを含んだ囁き声が漏れ聞こえてきた。
「おいおい、転校生か……? いきなりサクラ様たちに勝負を挑むなんて……」
「バイオレット家の人って、みんなあんなにテンションが高いのかしら……」
周囲のひそひそ声を聞きつけ、グレイスは瞬時に顔を真っ赤にした。
けれど、彼女は怯むどころか、さらに鼻息を荒くして胸を張り直した。
「お、お黙りなさいな周囲の皆さん! 我がバイオレット家は戦場で勝利を掴み取ってきた武門! 強い者を見たら手合わせを願うのが、武人としての礼儀というものですわ!」
彼女は再び長槍を構え直し、今度は私へと視線を向けてきた。
「それに……! 私は知っておりますのよ! サクラ・フィズ様! 貴女が『凡才』と蔑まれながらも、その比類なき頭脳と術式解析で学園の結界をハッキングし、危機を救ったという圧倒的な事実を!」
グレイスの瞳に、激しい熱量が宿る。
「私の父も言っておりました!『家柄や生粋の魔力量などに胡坐をかく貴族など愚か者だ! 自らの努力と知恵で道を切り拓く者こそ、真の勇者だ!』と! だから私は、貴女方に敬意を表しに来たのですわ!」
空気が読めず、どこまでもハイテンションで、暴走気味な言動。
けれど――その言葉の裏側にある根底の思いには、一切の嫌味や嘘偽りが存在しなかった。
血のにじむような努力で這い上がってきた武門の娘だからこそ知っている、努力する者への純粋な敬意。
私は思わず、くすりと小さく笑ってしまった。
「……ふふ」
「な、なんですの!? 何か可笑しいことですの!?」
「ううん、ごめんなさい。ただ……あなた、見た目や言い方はすごく派手だけれど、根はとっても真っ直ぐな人なのねって思ったの」
私が素直に告げると、グレイスは一瞬だけ口をぐぐっと開ぐらせ、真っ赤になった顔を背けた。
「べ、別に褒められたくて言ったわけではありませんわ! とにかく! 私は貴女方の力をこの目で確かめるまで、諦めませんからね! 明日からも毎日、勝負を挑みに来ますわよ!!」
グレイスは長槍を背中に背負い直し、フンと鼻を鳴らして高らかに言い放った。
「覚えておきなさいですわ! 私の名はグレイス・バイオレット! いつか貴女方の最高の友人となり、ライバルとなる女ですわ――!!」
捨て台詞を残し、彼女は嵐のような旋風を残して、大股で中庭を去っていった。
去り際、足がもつれて一瞬派手に転びそうになり、慌てて体勢を立て直していたのを、私は見逃さなかったけれど。
「……騒がしい個体でした」
リリィが、去っていくグレイスの背中を見送りながらぽつりと呟いた。
「そうね。でも……不思議と嫌な感じはしなかったわ」
私は手の中の温もりに視線を落とし、リリィの柔らかい髪に触れた。
「サクラがそう言うのであれば、警戒レベルを一段階引き下げます。……ですが、サクラに過度な接触を試みた場合、即座に制圧します」
「ふふ、お手柔らかにお願いね」
澄み切った秋の空。
嵐のように現れた爆走お嬢様によって、私たちの平穏だった毎日に、新しく賑やかな風が吹き込もうとしていた。
冷たい過去の悪夢を乗り越えた私たちの前に広がる、どこまでも眩しく、騒がしく、そして温かな学園生活。
新しい物語のページが、いま静かに開かれようとしていた。




