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うっかり

 地面が動きはじめた。


 陸は自分の足元を見下ろした。


 固まった土が靴の先から割れて、その裂け目が前へ走り、見えないところまで伸びていく。


 それから、両側の地面が持ち上がった。


 ゆっくりではない。


 ざあっ、という音とともに、誰かが下から床板ごと押し上げたみたいに。


 陸は顔を上げた。


 左右に岩壁が一枚ずつ現れて、上の縁を見るには首を完全に反らさないといけないほど高い。


 自分の立っている場所が、谷底になっていた。


 足の下のものも変わっている。


 固い土がほどけて細かい砂になり、その砂の中に石が一つ、また一つと混じっていた。


 その石は、どれも丸く削れている。


 陸は、その手の石に見覚えがあった。


 川の中にしかない石だ。


 だが、ここに水はない。


 谷底は端まで乾いていて、踏むと埃が立つほどだった。


 顔を上げて、左右に目をやる。


 七十五人が谷底に散らばって、みんな両側の岩壁を見上げていた。


 もう武器を抜いている者もいる。


 その場でぐるぐる回って、どこを見ればいいのか分からずにいる者もいた。


 陸は腰に手をやって、木刀の柄に触れた。


 そのとき、谷底の砂が動いた。


 全体ではない。


 あちこちで、下から突かれたみたいに。


 一番近い砂が先に盛り上がり、それから真ん中から割れた。


 中から、目が二つ立ち上がった。


 【サンドクラブ】LV4/徘徊級


 蟹だった。


 体は丸ごと砂の下に埋まっていて、その一対の目だけが外に伸び、ゆっくりと左右に回っている。


 陸は後ろを見た。


 二つめ、三つめ、少し離れた七つめの砂も、同じように割れていた。


 そのどれにも、目が一対ずつ立っている。


 何匹いるのか、数えられない。


 同時に、岩壁の下の縁から、何かが滑り出してきた。


 足はなく、体は半透明で、這った跡が砂の上に一本、てらてらと光って残る。


 【ソープスラッグ】LV2/徘徊級


 レベル二。


 この場で一番低い。


 誰かが笑い声を上げた。


 「二レベルだぞ!」


 「先に点だけ拾おうぜ!」


 一番近くにいた十数人が駆け出した。


 その光る跡を最初に踏んだ男は、両足がまるごと前へ飛んだ。


 後頭部から落ちた。


 二人目は、一人目を踏んだ。


 三人目は二人目を避けようとして、自分から岩壁にぶつかった。


 三秒もたたないうちに、その一角に七人が転がっていた。


 ソープスラッグは、まだ這っている。


 這う速さは、とんでもなく遅い。


 一回ごとの縮み方まで見えるくらい遅い。


 なのに、誰も追いつけなかった。


 ——一段高い席では。


 「この組はどうなってるんだ」


 そう言った男は、笑っていなかった。


 「レベル二の魔物で、七人だぞ」


 「毎年転がってるさ」


 答えたのは、あの金髪の男だった。


 背を起こしもせず、片手で顎を支えたままだ。


 「転がる場所が違うだけでな」


 隣の男は、すぐには返さなかった。


 「隊長は、惜しいとは思わないんですか」


 「何がだ」


 金髪の男の指が、肘掛けを一度だけ叩いた。


 「今年のこの組は、どう見ても……」


 その男は、途中で止めた。


 金髪の男は、その先を引き取らなかった。


 その目は、谷底の絵の上を動いている。


 一区画、また一区画、ひどくゆっくりと。


 ——谷底。


 陸は動かなかった。


 人が転ぶのも、あの蛞蝓が這うのも、そのまま見ていた。


 (……あれ、どうやって倒すんだ)


 『あれには触らないで』


 蓮の声は早かった。


 『粘液踏んだら滑るから。オヤジだって滑る』


 「うん」


 陸は、上げかけていた足を元の場所に戻した。


 『それに、たった十点だし』


 「十点って、少ないのか」


 向こうが、半秒だけ静かになった。


 そこを聞かれるとは思っていなかったらしい。


 『徘徊級一匹で十点』


 『それより、左のやつ見て』


 陸は顔をそちらへ向けた。


 砂の上に目が一対立って、まっすぐ陸を向いていた。


 距離は十歩ほど。


 「……あれは蟹だな」


 『うん』


 その目がもう半周だけ回り、それから陸のところで止まった。


 『丸ごと砂に埋まってて目だけ出てるってことは、殻が下にあるってこと』


 『上からじゃ斬れない』


 陸はその目を見ながら、昔、市場で買った蟹を思い出していた。


 あれは縛られていたし、こっちを見たりはしなかった。


 「じゃあ、どうする」


 『氷』


 蓮は、それだけ言った。


 陸は木刀を腰から抜いた。


 (凍水無影斬)


 心の中で唱えた。


 心の中だけで。


 木刀を前へ振り抜いたとき、砂の表面に白い層が浮いた。


 その白は地面を舐めるように十歩走って、あの目の下まで届いた。


 砂の中で、かちり、と音がした。


 それきり、その目は動かなくなった。


 砂が崩れる。


 中にいたのは、まるごと霜のついた蟹だった。八本の脚を全部広げて、走り出す形のまま止まっている。


 陸は歩いていって、木刀で一度叩いた。


 蟹は、二つに割れた。


 【サンドクラブ】——討伐


 『十点』


 蓮が言った。


 『一点目、入った』


 「……うん」


 陸は、木刀についた霜を払った。


 落ちた霜は、砂の上ですぐに消えた。


 『オヤジ』


 「うん」


 蓮は、すぐには続けなかった。


 『今の、叫んでなかった』


 陸は、すぐには返せなかった。


 昨日の夜、あれだけ練習した。


 なのに、いざ振るときには、一言も声に出していなかった。


 「……忘れてた」


 『うん』


 『次は忘れないで』


 その「うん」は、ひどく平らだった。


 平らすぎて、それが「大丈夫」ではないことは、陸にも分かった。


 だが蓮は、それ以上言わなかった。


 ——一段高い席では。


 金髪の男が、背を起こしていた。


 入場してから今まで、ずっと背もたれに預けたままだったのに。


 「隊長?」


 隣の男もそちらを見たが、その絵はもう切り替わっていた。


 「今のだ」


 「今の、とは」


 「D組、谷底の西側だ」


 金髪の男は、肘掛けから指を離さないままだった。


 「叫ばなかったやつがいる」


 隣の男は、一瞬止まった。


 「……何を、叫ばなかったんですか」


 「符契だ」


 その男は、半分だけ笑った。


 「叫ばなきゃ、出ませんよ」


 「そうだ」


 金髪の男の返事は早かった。


 「だから、起き上がった」


 隣の男は、もう笑わなかった。


 自分も身を前に出して、その一角の絵を探しはじめる。


 だが、天涯幕はもう別のところにいた。


 「……見間違い、じゃないんですか」


 「かもしれん」


 金髪の男は、背もたれに戻った。


 ただし今度は、その目は一区画ずつ動いてはいなかった。


 その目は、D組の谷底、西側の一枚に据えられたままだった。


 ——谷底。


 木刀を握ったまま、次の一対の目のほうを見る。


 二匹目は十五歩先にいた。


 三匹目は、そのすぐ横だ。


 「……凍水無影斬」


 今度は、声に出した。


 だが白が出てくるまでの間は、さっきとまったく同じだった。


 その二匹は、同時に止まった。


 『二十』


 『三十』


 蓮の声が、少しだけ早くなった。


 それから、目の前に一行、文字が出た。


 【LV】5 達成しました。


 陸は一度まばたきをした。


 「……これ、変わるのか」


 『変わるよ』


 蓮の声が、半秒だけ止まった。


 『……ただ、三匹で上がったってことは、オヤジが元々低すぎたってこと』


 「低いと、まずいのか」


 『まずくはない』


 そう言うときの蓮の声は、まったく変わらなかった。


 『ただ、この先はこんなに早くは上がらない』


 「なんでだ」


 『上に行くほど、数がいる』


 陸には、返す言葉が浮かばなかった。


 『じゃなきゃ、もっと硬いやつ』


 陸は、その一行がゆっくり薄れていくのを見ていた。


 体には、これといった感じはない。


 ただ、木刀を握っている手だけが、さっきより少し据わっている気がした。


 谷底の反対側で、誰かが大声を上げていた。


 そこでは三人が、這うのが遅い蛞蝓を囲んでいる。三人とも、前に踏み出せずにいた。


 天涯幕の絵は、そちらにあった。


 陸のいる一角は、その絵の中にはない。


 陸はさらに前へ歩いた。


 四つめの目の前まで来たところで、足が止まった。


 蟹のせいではない。


 足の下だ。


 砂の下で、今、何かが一度動いた。


 ごく軽く。


 自分が踏んだ音かと思うくらい軽く。


 陸はそのまま立って、三秒待った。


 もう動かない。


 足を上げて、横へ一歩ずらした。


 砂の中が、また一度動いた。


 今度は、ついてきていた。


 ー

【ステータス(能力面板)】

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【名前】リク(神坂 陸)

【LV】5

【種族】人族

【職業】浪人(初心者)


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【基本能力値】

HP(生命力):65 / 65

MP(魔力) :??? / ???

SP(體力) :60 / 60


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【裝備・武器】:羈絆の刃・守(まもる)

【 招式塊スロット】:【 風渦曲陣(ふうかきょくじん) 】【 熱素時限刃(ねっそじげんは) 】【 凍水無影斬(とうすいむえいざん) 】【 幻夢蜃氣斬(げんむしんきざん) 】【 ロード中 】

【パッシブ】:【 魔物解析 】【 個体解析 】

【?】:【 放置モード 】【 写身 】

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