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事前の『準備』

 C組が入場するころには、待機席は半分以上が空いていた。


 A組もB組も下りてしまって、残っているのはC組の空いた席と、D組だけだ。


 陸の隣の少年は、まだそこにいた。


 足を伸ばして前の列の背もたれに預けている。ずいぶん楽そうな座り方だった。


 陸のほうは、楽にしていられない。


 場の土が動きはじめたとき、自分の鼓動が速くなっているのが分かった。


 今度せり上がってきたのは、石だった。


 壁が一枚ずつ、折れた柱が、半分だけ残った階段が。地面がまるごと、半分崩れた街に組み替えられていく。


 「……なんだ、これ」


 「廃墟だろ」


 少年が言った。


 「これはいいほうだよ。少なくとも地面が硬い」


 喋っているあいだも背もたれに預けたままで、姿勢は一つも変わらない。


 「……硬いほうがいいんですか」


 「沼で刀振ったことあるか」


 陸には無い。


 硬い地面で振った回数だって、数えられる程度だ。


 鐘が鳴った。


 C組が始まった。


 五分ほど見て、陸は自分が何も見ていないことに気づいた。


 画面では人が走り、符契が叫ばれ、崩れた壁の裏から何かが飛び出している。


 それが全部、目の前を流れていくだけで、一つも引っかからない。


 目が、同じところへ戻ってしまうのだ。


 向かい側のあの通路。


 今はまだ、空だ。


 『オヤジ』


 「ああ」


 『ちょっと考えよう』


 陸は、視線を戻した。


 『オヤジ、五個あるでしょ』


 『でも使えるのは一個。多くて二個』


 『だから先に決めとかないと』


 その声は、居間でどうしても越えられない面をやっているときと、まったく同じだった。


 怖がっているのではない。支度をしているのだ。


 陸は頷いた。


 頷いてから、蓮には見えないことを思い出した。


 『風渦曲陣、熱素時限刃、凍水無影斬、幻夢蜃気斬』


 蓮は、その四つを一息で読み上げた。


 つっかえもしない。頭の中では何度も読んでいるのだろう。


 『あと一個、まだ使ってないのがある』


 『あれは使ってみないと分かんない』


 『だからまず、この四つから選ぶ』


 四つ。


 陸は、その四つがどんな形をしているのかすら知らない。


 「……どれがいいんだ」


 『地図による』


 場では、一人が崩れた壁の陰から顔を出していた。


 一度出して、また引っ込めて、それから反対側へ回り込んでいく。


 あの壁は、彼を隠していて、同時に向こう側も隠している。


 『火は沼だと役に立たないし、風は森だと木に邪魔される』


 『でも、うちの組が何になるかは分かんない』


 陸は、場のあの崩れた壁を見た。


 もしああいう場所だったら。石と、死角と、見えない曲がり角。


 (……火は、燃え広がらないだろうな)


 『氷にしよう』


 蓮が言った。


 その三文字は速かった。とっくに決めていて、陸が自分でそこまで来るのを待っていただけ、という速さだった。


 『凍水無影斬』


 『あれはどこでも使えるし、オヤジ、一回使ってるし』


 陸は、その五文字をもう一度頭の中で並べた。


 「使ったのか」


 『使ったよ。覚えてないの?』


 陸は覚えていない。


 あのとき動いていたのは、彼ではない。


 『じゃあ氷ね』


 『ほかのは出さないこと』


 「……分かった」


 それで終わりだと、陸は思っていた。


 『……あ、でも』


 声が戻ってきた。しかも、さっきより弾んでいる。


 『あの使ってないやつ、あとで一回使ってみようよ』


 場でまた一人、白い光に持っていかれた。陸の目は、そちらへ動かなかった。


 「……いいのか、それ」


 『だって誰もあれが何か知らないんだよ』


 『それに、どんな効果か見てみたい』


 陸は、すぐには答えなかった。


 この言い方には、覚えがある。


 店で、まだ開けていない箱を見つけたときの蓮が、この声を出すのだ。


 「……それだと二個になるだろ」


 『そう。二個』


 その「そう」は、やけに歯切れがよかった。


 『多くて二個って、オヤジが言ったんじゃん』


 「……それを言ったのはお前だ」


 『そう。だから問題ない』


 陸は口を閉じた。


 言い負かせないことは、分かっている。


 場では、C組の最初の一人が場外へ送られた。


 崩れた壁の裏で白い光が一度またたいて、そこが空になる。


 待機席は、ほとんど反応しなかった。


 三組目だ。もう見慣れている。


 『……あ』


 蓮が、ふいに声を出した。


 『そうだ』


 『オヤジ、唱えなくていいんだった』


 「何がだ」


 陸には、意味が分からなかった。


 『符契』


 『氷と幻は唱えなくても出るよ。あの二つは、写し身をもらったあとに唱えてるから』


 陸は思い出した。


 確かに、あの二つは口を開かなくていい。


 それはいいことだと、ずっと思っていた。


 『でもさ——』


 蓮の声が、半秒止まった。


 『……ほかの人、みんな唱えてるんだけど』


 陸も止まった。


 場のほうを見る。


 一人が崩れた壁の陰で口を開いて、何かを叫んだ。


 別の一人が半分だけ残った階段の上で、やはり叫んだ。


 場の七十五人が、技を出すたびに叫んでいる。


 つまり、一人だけ叫ばない人間がいたら——


 『オヤジ』


 蓮の声が、ぐっと低くなった。


 『唱えるふり、して』


 「……ふり」


 陸は、その二文字を頭の中に置いてみた。


 二十八歳の男が、待機席に座って、これから場に下りて呪文を唱えるふりをする練習をしている。


 『そう。口も動かして。声も出して』


 『じゃないと、上に座ってる人たちに絶対気づかれるよ』


 陸は、あの立ち上がって一列に頭を下げた羽織を思い出した。


 それから、腕を組んだまま最後まで立たなかった、あの金の髪の男も。


 「……で、何て言えばいいんだ」


 訊いてから、自分でも馬鹿な質問だと思った。


 『技の名前でしょ。凍水無影斬』


 「そのまま言えばいいのか」


 『うん』


 蓮の言い方は、当たり前のことを言うときのそれだった。


 『どうせ言っても言わなくても出るんだから。言うのは見せるためだけ』


 見せるためだけ。


 陸は、会議のために作った、見せるためだけの資料を思い出した。


 ここへ来てまで、それをやるとは思わなかった。


 陸は、その五文字を口の中で一度なぞった。


 声は出さない。唇だけを動かした。


 『……オヤジ』


 「ああ」


 頭の中が、二秒黙った。


 『今の、めちゃくちゃ嘘くさい』


 「どこがだ」


 陸としては、けっこう似せたつもりだった。


 『声が小さすぎ。あと口が半分しか動いてない』


 『みんなはこうやって——』


 蓮は、場の誰かが技を叫ぶときの様子を、頭から順に説明しなおした。息を吸って、口を開けて、最後に名前を放り投げるところまで。


 陸は、その通りにやってみた。


 『……うん。いいんじゃない』


 『もう一回』


 陸は、もう一度やった。


 隣の少年が、こちらを向いた。


 陸は口を閉じた。


 「……なんでもないです」


 「ふうん」


 少年は、また前を向いた。


 少ししてから、彼は言った。


 「緊張してるなら、先に息を吐いといたほうがいい」


 「……はい」


 「俺は前のとき、息するの忘れてた」


 陸は、その横顔を見た。


 その「前のとき」には、今度は続きが無かった。


 場では、C組の板が並びはじめていた。


 百二十。九十。七十。


 四桁も無いし、二百五十も無い。ごく普通の組の点数だ。


 陸はその数字を見ていて、ふと妙な気持ちになった。


 あれが普通なのだ。


 それなのに彼は、今日すでに千六百十を見てしまっている。


 鐘が鳴った。


 【C組 終了】


 石が、地の底へ沈みはじめた。


 崩れた壁も、柱も、半分だけの階段も、一つずつ低くなっていって、最後にはまた平らな土に戻った。


 待機席では、残っていた人間が立ち上がりはじめる。


 陸も立った。


 脚が、少し痺れていた。


 そこで初めて、さっきからずっと同じ姿勢で座っていたことに気づいた。


 「D組、入場準備!」


 ー

【ステータス(能力面板)】

--------------------------------------------------

【名前】リク(神坂 陸)

【LV】4

【種族】人族

【職業】浪人(初心者)


--------------------------------------------------

【基本能力値】

HP(生命力):45 / 45

MP(魔力) :??? / ???

SP(體力) :40 / 40


--------------------------------------------------

【裝備・武器】:羈絆の刃・守(まもる)

【 招式塊スロット】:【 風渦曲陣(ふうかきょくじん) 】【 熱素時限刃(ねっそじげんは) 】【 凍水無影斬(とうすいむえいざん) 】【 幻夢蜃氣斬(げんむしんきざん) 】【 ロード中 】

【パッシブ】:【 魔物解析 】【 個体解析 】

【?】:【 放置モード 】【 写身 】

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