助け舟
襟首を掴まれたまま、陸はそう訊いた。
部屋の音は、まだ戻ってこない。
本人は、まるで悪気のない顔をしていた。
純粋に、疑問だったのだ。
ムスクルスの顔が、みるみる赤くなっていく。
振り上げられた拳が、天井の梁の影に入った。
その時だった。
「選抜の前に、そんなに力を使ってしまって大丈夫ですか」
涼しい声が、すぐ横から降ってきた。
「あとで、足が上がらなくなりますよ」
いつの間にか、一人の男が立っていた。
黒い、ふわりと癖のある短髪。人を食ったような、絶やさない微笑み。そして——
屋根の下だというのに、黒い傘を差していた。
「……てめえ、誰だ」
「通りすがりの者です」
男は、傘の柄を軽く回した。
石突きが、こつん、と床を叩く。
それだけだった。
それだけなのに、ムスクルスの拳が、静かに下りていた。
自分でも、なぜ下ろしたのか分かっていない顔だった。
「試験の前に減点されては、もったいないでしょう」
傘の男は、そう言って微笑んだ。
「今日ここへ来るまでに、あなたが払ったものを考えれば」
ムスクルスは何か言いかけて、やめた。
舌打ちを一つ残して、輪のほうへ戻っていく。少年たちは、もう誰も笑っていなかった。
「……助かりました」
陸は、乱れた襟を直しながら頭を下げた。
「いえ。当然のことをしたまでです」
陸は、なんとなく相手の顔を見つめた。視界の隅に、白い枠が開く。
【個体解析】——不可
「……え」
『……オヤジ。今の見た?』
「見た」
『弾かれたよ、今』
傘の男は、陸の視線に気づいたのか、少しだけ目を細めた。
「フランシス・デラクロー、と申します」
「……神坂です。あ、リクで」
「存じております」
「え」
「いえ。番号札が見えましたので」
(……番号札に、名前は書いてないんだけどな)
『オヤジ』
蓮の声が、低くなった。
『あの人、強いよ』
『……なんか、危ない感じがする』
「そうか?」
『そうだよ』
フランシスは傘を畳み、柄を肩へ預ける。
「では、私はこれで」
「あの」
「ご心配なく」
振り返らずに、彼は言った。
「またお困りでしたら、また参りますので」
人混みの中へ、そのまま消えていく。
黒い傘の先だけが、扉の光の中で一度だけ光った。
やがて、係の男が扉を開けて叫んだ。
「番号順に並べ! 入場する!」
通路の先が、明るくなっていく。
外へ出た瞬間、音が、壁のようにぶつかってきた。
闘技場は、すり鉢の底のような形をしていた。
土の地面。それをぐるりと囲む観覧席は、上まで埋まっている。声、旗、拍手、口笛。数えられる人数ではなかった。
(……こんなに、人が)
一段高いところに、別の席があった。
揃いの羽織を着た男女が、そこに何人か並んで座っている。誰も、身動きひとつしない。
(……なんだ、あの一角だけ)
空気の重さが、違う。
会議室で、決定権を持つ人間だけが座る側の椅子。あれと同じ匂いがした。
『……オヤジ』
「ん」
『あそこ、見ないほうがいいよ』
「なんでだ」
『空気が違うんだよ。なんか、危ない感じ』
陸は、素直に視線を落とした。
息子がこういう言い方をするときは、たいてい当たる。ゲームの話でも、いつもそうだった。
だから、次に顔を上げたのは、観覧席がざわついたからだった。
その一段高い席の、いちばん端。
金の髪の男が一人、立ち上がっている。
ざわめきが、一段跳ね上がった。
「うそ、本物?」
「……『瞬光』だ」
「壹番隊の隊長が、なんで選抜になんか出てくんだよ」
男は、そのざわめきを片手で抑えた。
「公会本部、選抜統括。壹番隊隊長、『瞬光』のレイモンドだ」
「堅苦しい挨拶はしない。三つだけ言う」
指が、一本立った。
「一つ。ここで落ちても、また受けに来ればいい。何度でもだ」
二本目。
「二つ。自分が何のためにここへ来たのか、もう一度考えろ」
三本目。
「三つ。今日ここで何をするかで、お前たちの残りの人生が変わる。以上だ」
三百人が、しんと静まり返った。
「——一次試験を、開始する」
陸は、そっと顔を上げた。
視界いっぱいに、白い枠が並んでいる。
【ミレイ】LV2/無級
【トビアス】LV1/無級
【ケイン】LV3/無級
三百人ぶんの名前が、頭の上に、静かに浮かんでいた。
無級でない者は、ひとりもいない。
列の反対側では、ムスクルスがまだこちらを睨んでいた。
【ムスクルス】LV9/無級
向こうにも、こちらが見えている。
二十八歳。LV4。無級。木刀。
(……隠せるものが、何も無いな)
陸は、名前のついたばかりの木刀の柄を、静かに握り直した。
——現実。
神坂ゲーム社の社長室には、まだ「社長」がいない。
その机の前に座っているのは、綾乃だった。
積み上がった書類。読めない専門用語。ページをめくる指が、時々止まる。
時計は、とっくに日付を跨いでいた。
扉が、静かに開く。
「まだいらっしゃったんですか」
御剣晃が、湯気の立つカップを二つ持って入ってきた。
「ありがとう。……助かるわ」
「無理をなさらないでください。代理とはいえ、慣れないことばかりでしょう」
「そうね。……でも、誰かが座ってないと」
綾乃は、そこで初めて顔を上げて、少しだけ笑った。
「あの人が帰ってきたとき、椅子が無くなってたら困るもの」
晃は、何も言わなかった。
ただ、静かに頭を下げて、部屋を出ていく。
扉が閉まったあと、彼は誰もいない廊下で立ち止まった。
やがて、口の端だけが、ゆっくりと持ち上がる。
(……ええ。座っていてください、綾乃さん)
(その椅子は、あなたには重すぎる)
(そのうち——あなたも、私のものになる)
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【ステータス(能力面板)】
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【名前】リク(神坂 陸)
【LV】4
【種族】人族
【職業】浪人(初心者)
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【基本能力値】
HP(生命力):45 / 45
MP(魔力) :??? / ???
SP(體力) :40 / 40
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【裝備・武器】:羈絆の刃・守
【 招式塊スロット】:【 風渦曲陣 】【 熱素時限刃 】【 凍水無影斬 】【 幻夢蜃氣斬 】【 ロード中 】
【パッシブ】:【 魔物解析 】【 個体解析 】
【?】:【 放置モード 】【 写身 】




