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記憶の都

 城門をくぐった瞬間、音が変わった。


 門の外にあった風の音も、車輪の音も、すべて人の声に塗り潰されている。


 (……新宿の朝より多いんじゃないか、これ)


 それが、北辰京に対する陸の第一印象だった。


 門の内側には検問の詰所があり、槍を立てた衛兵が列を捌いていた。


 「次。手形」


 「あ、はい。えっと……これで、いいんでしょうか」


 懐から浪人証を取り出す。木札に、霊桜町の焼き印。


 衛兵はそれを一瞥しただけだった。


 「滞在の目的は」


 「選抜です」


 「三日以内に登録しろ。過ぎたら受けられん。次」


 それで、終わりだった。


 『……冷たっ』


 「助かった。名前しか聞かれなかったな」


 浪人証を懐へ戻しながら、陸はほっと息をついた。


 『そこ喜ぶとこ?』


 通りに出て、陸は足を止めた。


 (……時代劇のセットみたいだな)


 いや、セットなら、こんな匂いはしない。


 テレビの向こうにあったはずの街並みが、音と匂いを持って、目の前で動いている。


 道を埋めているのは、着物姿の人々だった。その流れの中に、着物の裾から一本、ふさふさした尻尾がはみ出して揺れている。頭ひとつぶん背の高い、竜の頭を持った男もいた。誰も、そんなことは気にしていない。


 醤油団子の屋台車が、車輪を鳴らして目の前を横切っていった。


 軒先には、赤や紺の暖簾。


 窯で焼いた平たいパンに、白い乳酪をとろりと落としている店。


 香辛料をまぶした羊の串焼きを、炭の上で忙しく返している男。


 湯気の立つ蒸籠を、五段も六段も積み上げた店先。


 そして——


 「……うっ」


 陸は思わず、口元を押さえた。


 油の中で、四角い豆腐が、きつね色に揚がっている。


 鼻の奥を殴りつけてくるような、強烈な匂いだった。


 『オヤジ、それ臭豆腐じゃない?』


 「……なんでこの世界にあるんだ」


 口元を押さえたまま、陸は足を速めた。


 『美味しいらしいよ。食べたことないけど』


 視線を上げると、屋根より少し高いところを、光の粒がいくつも横切っていった。


 目を凝らす。粒には、小さな羽と、小さな手足があった。


 「……妖精、か」


 誰にともなく、陸は呟いた。


 「……本当に、異世界に来たんだな。俺」


 人族公会・北辰京本部は、通りの突き当たりにあった。


 霊桜町の公会が二階建ての民家だとしたら、こちらは屋敷だった。白壁に黒瓦、大きく張り出した庇。正面の梁には、人を象った紋——人族の会徽が彫り込まれている。


 そして、門前には長い列ができていた。


 「……並ぶのか」


 『まあ、そりゃそうでしょ』


 列に並んで、陸は気づいた。


 周りが、若い。


 十五、六の少年が大半で、まだ声変わりの済んでいない者もいる。腰の刀の柄を、意味もなく握ったり離したりしている少女もいた。


 木刀を提げているのは、見渡すかぎり、陸ひとりだった。


 小一時間並んで、ようやく順番が回ってきた。


 受付の男が、紙を一枚、板の上に滑らせる。


 「選抜登録だな。ここに記入を」


 「はい」


 陸は素直に頷いて、そのまま動かなかった。


 「……書け」


 「あ。俺が書くんですか」


 『そりゃそうでしょ』


 筆を借りて、紙の上に手を置く。


 背中のすぐ後ろで、次の順番を待つ列が、じりじりと詰まってくるのが分かった。


 紙には、四つの欄があった。


  名前/年齢/種族/得物


 名前——リク。


 年齢——二十八。


 受付の男が、そこで一度、顔を上げた。


 「……二十八?」


 「はい」


 「……そうか」


 その「そうか」の中には、いろいろなものが詰まっていた。


 種族——人族。


 得物——木刀。


 「……木刀」


 「はい」


 「……そうか」


 二度目の「そうか」は、一度目より短かった。


 男は書類の隅に判を押し、木札を一枚、投げてよこす。


  三百七番


 「明朝、明け六つ《あけむつ》の鐘が鳴ったら西の闘技場だ。遅れたら失格」


 「はい」


 木札を握って、陸は列を離れた。


 外へ出ると、腹が鳴った。


 考えてみれば、まともなものを食べたのは霊桜町を出る前が最後だ。


 『オヤジ、あそこ。行列できてる』


 路地の入口で、小さな店が湯気をもうもうと吐き出していた。


 汁の匂い。醤油に近い、けれど少し違う、香ばしい匂い。


 暖簾には、太い筆でこう書かれている。


  七星閣《しちせいかく》


 暖簾をくぐると、湯気と一緒に、鰹によく似た出汁の匂いが顔にぶつかってきた。


 狭い店だった。カウンターに七席、それだけ。半分は、選抜に来たらしい若い連中で埋まっている。


 「……ラーメン屋だよな、これ」


 『閣って。城かよ』


 『でも匂いは完全にそれだね』


 カウンターの奥で、寸胴の蓋がかたかたと鳴っていた。


 『……ていうかオヤジ。この世界来てから、ラーメン二回目じゃない?』


 「二回目だ」


 『他のも食べなよ』


 「……いや、でもラーメンが食べたい」


 情けない声だった。


 『理由になってない』


 端の席に腰を下ろす。木の椅子が、ぎ、と鳴った。


 鉢巻きを巻いた親父が、鍋から目を離さないまま言う。


 「並か、軍勢盛りか」


 「じゃあ、軍勢盛りで」


 深く考えずに、そう答えた。


 『オヤジ待って』


 「え?」


 『いま「軍勢」って言ったよね。昨日の夜、なんて等級だったっけ』


 運ばれてきた丼は、陸の頭ほどの高さがあった。


 麺の上に、山のように積み上げられた薄切りの肉。その上から、さらに湯気。


 周囲の客が、いっせいにこちらを見た。


 「……蓮」


 『うん』


 「父さん、たぶん今日いちばん危ない選択をしたぞ」


 結論から言えば、陸は完食した。


 最初の十分で、丼はまだ半分も減っていない。


 二十分を過ぎた頃には、隣の客が箸を止めて、こちらを見ていた。


 三十分。


 最後の一枚を噛みちぎったとき、陸の目は完全に据わっていた。


 箸を置くと、店の中から拍手が起きた。


 親父が、初めてこちらを向く。


 「兄ちゃん、いい食いっぷりだ」


 「……ごちそうさまでした」


 声が、少しかすれていた。


 『二十八歳の意地、見せたね』


 「腹が、痛い」


 店を出て、通りへ戻ろうとした、そのときだった。


 「ねえ、そこのお兄さん! うちでお茶でも——」


 声をかけた娘の言葉が、途中で止まった。


 「……あ」


 「なに? どうしたの……あ」


 「なんで二人して固まって——……あ」


 三人が、一斉に押し寄せてきた。


 通りを歩いていた何人かが、足を止めて振り返る。


 「お兄さん、うち! うちに来て!」


 「わたしが先に声かけたんですけど!?」


 「はい、順番なし。ごめんね」


 左右から袖を引かれ、正面にも回り込まれる。


 「ねえ、その服なに? 見たことないんだけど」


 「ちょっと、引っぱんないでよ。お兄さんが困ってるでしょ」


 「一番引っぱってるのあんたじゃん」


 三方から囲まれて、陸の顔が、みるみる茹で蛸のように赤くなった。


 耳まで真っ赤で、目も口も、力の抜けた曲線になっている。


 『……オヤジ』


 「ま、待て。俺は何もしてない」


 『何もしてないのに囲まれてるんだけど』


 「そうなんだよ」


 袖を引かれるたび、体が右へ左へ傾いた。


 『母さんに言おう』


 「やめろ」


 ——その頃、画面のこちら側。


 蓮がふと振り返ると、いつからそこにいたのか、綾乃が立っていた。


 何も言わない。ただ、画面を見ている。


 やがて綾乃は、静かに部屋を出ていった。


 扉の前で一度足を止め、こちらを振り返らないまま、一言だけ。


 「……薄情者」


 扉が、閉まった。


 「ねえイケメンさん! このあと、暇!?」


 「すみません」


 陸は、妙に真面目な顔で答えた。


 「俺、心に決めた人がいるので」


 三人が、同時に胸を押さえた。


 「……だめだ。余計かっこいい」


 「はい解散。解散です」


 「奥さん、幸せだね……!」


 娘たちは、ばたばたと店の中へ戻っていった。


 通りの音が、ようやく戻ってくる。


 陸は、引っぱられて乱れた袖を直しながら、大きく息を吐いた。


 『オヤジ』


 「なんだ」


 『さっきの、けっこうかっこよかったよ』


 「……そうか?」


 悪い気は、しなかった。


 『うん。……でもさ』


 声が、わざとらしくゆっくりになった。


 「ん?」


 『母さん、さっきそこにいたんだよね』


 「……は?」


 『最後まで見ないで、部屋出てったけど』


 陸は、その場で石になった。


 袖を直していた手が、そのまま止まっている。


 通りを、荷車が一台、のんびりと通り過ぎていった。


 「……蓮。父さん、今日はもう帰りたい」


 『どこに』


 ——突然、人の流れが割れた。


 通りの真ん中を、五人の男が歩いてくる。


 揃いの羽織。歩幅まで揃っている。誰も喋らない。


 周りの人間が、押し黙って端へ寄っていく。屋台の親父が、暖簾をそっと下ろした。


 男たちが、陸の横を通り過ぎる。


 背中に——紋があった。


 北の空に据わって、動かぬ星。


 老人の言葉が、そのまま形になったような、その紋が。


 ただ、通り過ぎる。それだけのことだった。


 なのに、通りから音が消えていた。


 誰も顔を上げない。誰も、目を合わせようとしない。


 気づけば、陸も息を止めていた。


 やがて足音が遠ざかって、誰かが小さく咳をした。


 それを合図にしたように、通りに人の声が戻ってくる。


 何事もなかったように。


 その夜。


 宿の部屋は、畳三枚ぶんほどの狭さだった。


 窓の外では、まだ人の声が絶えない。都の夜は、霊桜町よりずっと明るいらしい。


 布団に横になると、一日ぶんの重さが、背中からゆっくり抜けていった。


 天井の木目を眺めているうちに、陸はふと思い出した。


 「……なあ蓮。俺、こっち来てから一回も着替えてないぞ」


 『えっ』


 『……えっ』


 二回言われた。


 「風呂も、霊桜町の旅館で入ったきりだ」


 『やば。オヤジ、めちゃくちゃ臭いんじゃない?』


 「そうなのか?」


 言われて初めて、そこに思い至った。


 『そうでしょ普通』


 陸は自分の袖を引き寄せて、鼻を近づけてみた。


 ……何も、匂わない。


 「……匂わないぞ」


 『は?』


 「本当に、何も」


 しばらく、沈黙があった。


 『……あー。そっか。このゲーム、匂いの設定ないんだ』


 「設定」


 『どれだけ走っても汗かかないし、服も汚れない。そういうふうに作ってあるんだよ』


 陸はもう一度、袖の匂いを嗅いでみた。


 やっぱり、何もしない。


 「……じゃあ、さっきのあの子たちは」


 『うん。何も気づいてない』


 「……よかった」


 胸を撫で下ろした陸に、声が容赦なく被さる。


 『よくないよ。現実だったらオヤジ、あそこで終わってたからね』


 陸は、袖を握ったまま、しばらく天井を見ていた。


 汗をかかない体。汚れない服。


 便利だな、と思ってから——ほんの少しだけ、変な感じがした。


 頭の中の声が、そこで大きな欠伸をひとつした。


 『……オヤジ。ひとつ聞いていい?』


 「なんだ」


 『放置モード、いつ切った?』


 「切ってないぞ」


 『……は?』


 声から、眠気が飛んだ。


 『いや、切ってないって。じゃあ今も入ってるじゃん』


 「入ってるな」


 画面を開く。【放置モード】の横には、やっぱり「ON」と出ていた。


 『……おかしいな』


 『俺が繋がってる間は、あれ入らないと思ってたんだけど』


 「入ってるぞ」


 『入ってるね』


 窓の外で、酔っぱらいが一人、大きな声で笑っていった。


 しばらく、間があった。


 『……まあ、いいか。困ってないし』


 「困ってないな」


 布団の中で、陸は寝返りを打った。


 『っていうか、ずっと入れといたほうが楽じゃない?俺が落ちても、オヤジ突っ立たないし』


 「そうしよう」


 話は、それで終わった。


 二人とも、それ以上は考えなかった。


 ——蓮の言ったことが外れたのは、これが初めてだった。


 布団を引き上げると、外の音が、少しだけ遠くなった。


 選抜は、明日の朝。


 明け六つの鐘が鳴る頃に。


 ー

【ステータス(能力面板)】

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【名前】リク(神坂 陸)

【LV】4

【種族】人族

【職業】浪人(初心者)


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【基本能力値】

HP(生命力):45 / 45

MP(魔力) :??? / ???

SP(體力) :40 / 40


--------------------------------------------------

【裝備・武器】:羈絆の刃(預設初心者木刀)

【 招式塊スロット】:【 風渦曲陣(ふうかきょくじん) 】【 熱素時限刃(ねっそじげんは) 】【 凍水無影斬(とうすいむえいざん) 】【 幻夢蜃氣斬(げんむしんきざん) 】【 ロード中 】

【パッシブ】:【 魔物解析 】

【?】:【 放置モード 】【 写身 】

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